4、婚約者
今日は月に一度ある婚約者とのお茶会。
ゲームの始まり、つまりヒロインが十七歳の時にはすでにカレン・ドロノアとイリアス・ペルトサークは婚約していた。けれど、まさか十二歳の現時点でもうすでに婚約しているとは思わなかった。考えてみれば、悪役令嬢カレンの情報って、ゲームではほとんど知ることができなかった。
侯爵令嬢という以外知っていることはほとんどない。
この婚約に至る経緯だって、カレン・ドロノアに憑依したから、振り返ることができる。
カレンが十歳の時、この国のニ大公爵のひとつ、ペルトサーク家で開かれたお茶会で、偶然見かけたイリアスに一目惚れしたのだ。カレンの我がままによって、二年越しにようやく婚約者になったのだ。
レイマリート学園のことしか知らなかった私は、カレンに憑依したおかげでこの世界のことがなんとなく理解できるようになった。
この世界の婚約はほとんど政略結婚だから、一度婚約が決まってしまえば、あとは結婚式をあげるまで一度も会わないということもあるらしい。
まあ、カレンとイリアスの場合は十六歳になれば嫌でも学園で顔を合わせることになるんだけど、それでも子を持つ親同士、一度も会わせないのは可哀想と思ったのか、月に一度は互いの家を行き来するお茶会が開かれるようになったらしい。
カレンの記憶をたどれば、今日は六度目のお茶会。つまり、イリアスがこの家に来るのは三度目だ。
私が庭に足を踏み入れると、椅子に座っていた人物が目に入った。
格式高い家柄に相応しい、子供ながらに貴族然とした礼装。ぴんと張った背筋。日に当たった黒髪は柔らかそうで、艷やかに天使の輪を描いている。こちらから見える横顔の顎のラインは完璧で、十二歳で既に大人びた雰囲気を漂わせていた。すっと通った鼻筋は形よく、ほんのり桜色をした唇も艷やか。遠くからでも、その肌は傷一つ見当たらない彫刻のようななめらかさだ。
何より目立つのは、綺麗な青色の瞳。柔らかさはなく、ちょっと近寄りがたい色。晴れ晴れしい青空とか包容力のある海の色とかじゃなくて、奥に氷を貼ったような色。
さすが攻略度難易度ナンバー1。既に人を寄せ付けないオーラを放っている。初めはヒロインにも冷たい。その冷たい目線が、とても甘い目線に変わるのを知ってしまえば、その初めの視線にぞくぞくするって、恵美ちゃんが言ってたっけ。要は攻略欲を掻き立てて乙女心を刺激するらしい。
そんなことを思い出しながら近づけば、イリアスが足音に気付いて顔を向けた。
ゲームの中にしかいなかったキャラクターが、生身で目の前で動いたことに、私は図らずも感動してしまった。
プレイしてるときは幾度となく格好良いって思ったけど、こうして正面から見ると、四歳差は大きいらしく、幼いなっていうのが初めの印象だった。
だって、私、女子高生だよ? 十代の四つの差はかなり大きい。流石に小学生は眼中にないよね。ショタコンじゃあるまいし。
イリアスの眉がわずかに動いたことに私は気付いた。
そう、ほんの僅か。注意深く見ていなければわからない程度。
でも、イリアスの顔を凝視していた私は、気付いてしまった。その眉が不快げに寄せられるのを。
瞬時に悟った。
これは間違いなく、百発百中嫌われてる。
それはそうだ。
反対の立場だったら、私だって、こんなケバくて、横暴でワガママな子なんて嫌だ。
うんうん、わかります、わかりますよその気持ち。
だって、最終的にはヒロインのために邪魔者のカレンを斬り殺しちゃうくらいだし。
他人事のように内心頷く途中で、私は動きを止めた。
――え?! 斬り殺す!?
今の今まで、慣れない周りの環境にしかとらわれていなかったけど、よくよく考えたらこの先、カレンには良くない未来が待ち受けているよね。
なんで気付かなかったの?!私!!
このまま、カレンのままいったら、あの未来が待ち受けているわけ!?
これはヤバい。一刻も早く、この状態から抜け出して、元の世界に戻らなきゃ。
冷や汗を浮かべて固まってしまった私をイリアスが訝しげに見つめる。
だけど、言葉は発さない。
仲良くならないうちは、イリアスは言葉少なめなんだよね。恥ずかしがりやとか人見知りとかじゃなくて、ただ単に必要性を感じない、お前とは仲良くする気はないっていう意思表示なんだけど。
ゲームの中で培った知識を思い出す。
徐々に親しくなってくると、彫刻のような顔がほぐれて、色んな表情を見せてくれる。歯を見せて笑ったり、はにかんだり、照れたり。自分の気持ちをだんだんと吐露してくれる。そのギャップに数多くの乙女たちが嬉しさの余り崩れ落ちるそうだ。初めの塩対応から考えると、本当嬉しくて、私も画面見ながらニマニマしてしまった記憶がある。
またもや意識があらぬ方にいってしまった私は、冷たい視線を受けてはっとする。
今はこんなこと考えてる場合じゃない。
この場をどうにかして乗り切らないと。
「イ、イリアス様、こんにちは」
にっこりと微笑む。
「――ああ」
イリアスが、ふいっと目を背ける。
そっけな――。
「きょ、今日は天気も良くて、素晴らしいお茶会日和ですこと。おほほほ」
普段の私の喋り口調じゃないけど、カレンの記憶があるせいか、スムーズに出てくる。
イリアスの眉がまた違った感じで訝しげに寄せられる。
うっ、しまった。
記憶を辿る限り、カレンは今まで一度として、天気の話などしたことはない。
挨拶が終われば、開口一番自分が身につけているドレスや宝石の自慢話ばかりしていた子だ。
いつもと違った言動に、不審がられるのも無理はない。かといって、自分の趣味ではないドレスを無理して褒めたくはない。
行き詰まった私は結局、椅子に座ると口を閉ざすことになった。
「……」
「……」
「…………」
「………………」
き、気まずい……!
「ズズッ」
とりあえず目の前のお茶をすする。
目の前のイリアスが軽く目を瞠る。
ついでに近くにいたメイドも目を丸くする。
え? 私、なんか変なことした?
戸惑って自分の行動を振り返れば、お茶が目に入る。
ああ! 音をたてて紅茶をすするなんて、淑女としてあるまじき行為だった!
貴族としてのプライドがエベレストより高く、淑女教育をひたすら積み上げてきたカレンはこれまで、お茶の作法は完璧だったのだ。音をたてて飲むなど『カレン』としてあるまじき失態である。
いくら記憶があるからといっても、すぐには本人と同じようにはできない。
まずい。このままでは、カレンでないとバレてしまう。
私は動揺のあまり、がたんと音をたてて立ち上がった。
「お、おほほ。私としたことが、今日はどうやら本調子ではないようです」
辛そうに額に手をあてる。
「実は先日、転んで頭を打ってしまって。まだその時の後遺症が……。うっ――」
顔をしかめる。
「痛みが――。今日はこれで失礼しますわ。それでは」
無言でこちらを見上げてくるイリアスの前で一人芝居を終えると、私はそそくさとその場をあとにした。
はあ、疲れた。
自分の部屋にたどり着いてドアを閉じて、ため息を吐く。ついて来ようとしたメイドは途中、振り切った。
「今日はこれでなんとか誤魔化せたかな。問題は次回だよね」
次こそはうまくカレンになりきってみせなければ。
重い気分と張り詰めていた緊張の糸が切れたせいか、私は寝台に倒れ込むと、沈むように眠りに入っていった。