3、化粧とドレス
三人のメイドに傅かれた私は鏡台の前に座りながら、頬を引きつらせていた。
け、けばすぎる……。
真っ赤な口紅に、薔薇色の頬紅。顔全体に塗りたくられた白いお粉のせいか、余計に際立ってみえる。極めつけは、目尻にすっと上がった濃いアイライン。真っ黒なそれが目尻を強調して、鋭くきつい印象を与えている。
髪の長さこそ違えど、間違いなく、そこには『きらレイ』に出てくる悪役令嬢、カレン・ドロノアそっくりのミニチュア版がいた。
私は頭を押さえて、ため息を吐く。
すると、鏡の中の私も同じ表情で、ため息を吐く。
それを見て、更に憂鬱な気持ちになった。
あれから一日が経っていた。目が覚めてもこの状況が変わらないとくれば、自分があの『カレン・ドロノア』に乗り移ってしまったことを認めざるを得ないだろう。
しかも、年齢は十二歳。
花蓮として生きてきた頃よりも、四歳は若い。
――いや、『私』が死んだとはまだ限らない。
脳裏に焼き付く最後の記憶から考えれば、死んだ可能性は限りなく高いけど、まだ確定ではないのだ。
『この子』は馬車が突っ込んできたことに驚いて、頭を打ったと聞いた。私は車――。
状況は似ている。
なら、同じ状況に陥ったら、また入れ替わる可能性はあるわけで――。
いやいや、そう何度も危険にさらされる度胸はない。
あの時の恐怖心が蘇り、私は身震いする。
ため息を吐き、続いて青ざめたのを見たアンナが恐る恐る口を開く。
「あの、カレン様、まだやはりお体の調子が悪いのでは?」
私を気遣う声をかけるものの、その顔は心配しているというよりは恐れている。
見れば、他のメイド二人もびくびくしながら、こちらを伺っている。
無理もない。
今まで支度を手伝わせる度に、これが気に入らない、あれが気に入らないと、持っている扇子で手を叩いたり、髪を引っ張ったり、果ては突き飛ばしたりしているのだ。
乗り移って、唯一救いだったのは、『カレン』としての記憶がばっちり残っていることだ。
でなければ、周りの環境、自分の立場もわからず、更に混乱していたに違いない。
きっと彼女たちはまたお叱りを受けるに違いないと怯えているのだ。
私は改めて、自分の姿をまじまじと見つめた。
け、けばい……。
同じ言葉しか出てこない。
化粧はさっき言った通り。
服装は貴族の令嬢だけあって、綺羅びやかだ。いや、綺羅びやかさを超えて派手と言っていいかもしれない。光沢のあるワイン色の生地が襟口で折り返してあって、肩はむき出し。スカート部分はこれでもかというほど広がり、存在を強調している。さらに最後のとどめとばかりに、首元には不釣り合いな大振りのネックレス。
まだ社交界にはほど遠い十二歳だというのに、まるで今から舞踏会にでも行くような装いだ。
十二歳でこれはない……。
化粧する前はまだあどけなく、可愛らしかったというのに、何故これなの?
私はげんなりしながら、自分の姿を見下ろした。責めるのは、一生懸命支度をしてくれた彼女たちではない。
そう、悪いのは全部、カレン・ドロノアなのだ。指示したのは、過去のカレン・ドロノア。彼女達はただ、これまでのカレン・ドロノアの命令に忠実に従ったにすぎない。
何故こんなにも子供らしさとはかけ離れた、違和感しかない大人びた格好を好むのかわからない。記憶はあっても、感情や考えまではわからないのだ。私はうんざりした感情を押し殺して、にっこり微笑む。
「ありがとう。とっても良い出来栄えだわ」
「は、はいっ!」
メイドたちがびっくりして、目を見開く。
今更嫌だと駄々を捏ねたら、彼女たちの努力が報われない。今まで散々虐められてきたのだ。一回くらい褒めても罰は当たらないだろう。本心ではこの格好がものすごく気に入らなくても。
お礼どころか、笑顔さえ今まで一度として、向けられたことなどないのか、アンナたちの顔が嬉しげに赤く染まった。それだけで、この格好にした報いがあったと、ひとり満足した。
扉がノックされ、六十代くらいの執事が顔を出す。白髪を後ろに綺麗になでつけたイケオジである。名前は確か、インギスと言ったっけ。
「お嬢様、婚約者のイリアス様がいらっしゃいました」
私はごくりと喉を鳴らす。
き、きたー!
いよいよ、『きらレイ』のメイン攻略対象者、イリアス・ペルトサークのお出ましだわ。
黒髪青眼の鋭い目つきが特徴の青年で、眉目秀麗、文武両道、かつ公爵家の跡取りという立派な地位から近寄りがたいオーラを放つ、一番攻略が難しいと言われるキャラクター。
初めはにこりともしない鉄仮面みたいだったのが、攻略していくうちにヒロインにだけ甘い微笑みを浮かべたり、照れたように頬を染めるようになるのよね。
その特別感と、苦労してやっと親しくなれた達成感に、誰もがガッツポーズして叫ばずにはいられないという、あのイリアスが、今ここに――。
私はドキドキする胸を押さえて、立ち上がった。
「いま、行くわ」
「今日は天気も良いですし、だいぶ暖かくなって参りましたから、庭園のほうに席をご用意致しました。お花を眺めながら過ごすのもたまにはよろしいかと。イリアス様もそちらでお待ちです」
「そう、ありがとう」
私がお礼を言うと、頭を下げていたインギスが軽く目を見張った。
長年この屋敷に働き、貴族に仕える心得を熟知しているはずのインギスが、私がお礼を言っただけで驚くんだから、どんだけ私、わがままお嬢様なんだろって改めて思った。
この家にいる限り、しばらくはそんな反応を見るのが日常茶飯事になりそうで、内心肩を竦めた。
改めて、今のこの状態にため息を漏らす。
一体、いつまでこの状況が続くのか。
どうすれば元の世界に戻れるのか。
再び目が覚めてからずっと考えていたことだ。だけど解決策は、今のところ見当たらない。
とりあえずこの悩みは脇においておいて、私は今、現在降りかかってきた問題に立ち向かうべく、階下に降りていった。