1、事故
「花蓮〜、早くしないと遅刻するわよ」
「は〜い」
わたし、橘花蓮は洗面所から母に返事を返す。
手にしていた櫛をおいて、鏡の中の自分の姿を確認する。
黒髪ストレートの、至って平凡な顔立ち。
特段おかしくないことを見て取って頷いた。
「よし!」
高校の制服のスカートをひらりと舞い上がらせながら、くるりと向きを変えると、玄関へと向かう。
「はい、お弁当」
「ありがとう」
台所から顔を出した母からお弁当を受け取って、玄関口においてあった手提げ鞄の中にしまった。その時、鞄の中にあったゲームソフトの題名が目に入った。
『煌めきのレイマリート学園物語』
最近、クラスで人気の乙女ゲーム。携帯ゲーム機もソフトさえも持っていないわたしに、親友の恵美が貸してくれたものだった。
一ヶ月借りたから、今日返さなくちゃ。
汚れないようにお弁当の上に小さなゲーム機とソフトをおいて、家から飛び出した。
「いってきま~す」
「いってらっしゃい。気をつけていくのよ」
「はーい」
わたしは間延びした返事を返す。それが母と自分の最後の会話になるともしれず。
いつもの通学路の角を曲がったときだった。
え!?
白い車が視界に映ったかと思えば、体にものすごい衝撃が加わった。
つんざくようなブレーキ音、それから悲鳴。
でもどれも、膜がかかったみたいに霞んで聴こえた。
体がどさりと地面に落ちる。衝撃のあまり、痛みさえ鈍く感じた。
霞む視界に、一緒に吹き飛ばされ、地面に転がったゲームソフトが目に映った。
い、けない、きょう……返さ、なくちゃ……
何もわからないまま、それだけが頭に浮かんだ。
赤い鮮血がじわりじわりと、コンクリートに広がっていく。
ゲームソフトのほうに向かって、血が流れていく。
その血がどこから流れてきたのかさえ、考えつかないほど、ぼんやりと思う。
だめ。よご……れ、ちゃう。
ゲームソフトに手を伸ばそうとした。
けれど、体は言うことをきかず、実際は見ていることしかできなかった。
血がソフトに到達した。
それがわたしの、橘花蓮としての、最後の記憶になった。