第6話 やっぱり異世界
窓から容赦なく差し込む陽の光と、棧に停まってチチチチとリズムカルに鳴く小鳥の声で目が覚めた。
ボクはのっそりと起き上がり、寝ぼけ眼で周りを見渡す。水差しから水を注いでコップを持って寝起きで乾いた体に水分を補給した。
ベッドの上であぐらをかいて、くぴくぴ水を飲むボクの気分は最悪だ。
くっそう。やっぱり夢じゃなかったか。
昨晩記憶を取り戻した直後は、頭がとても重くボーッとしていてた。
もしかしたらあれは記憶を取り戻した時のショックか何かだったのかもしれない。
フラフラと小屋に戻ったボクの鈍い思考は都合よく「あ、もしかしたらこれまでの事全部、夢なんじゃない?」と解釈し、胸のもやもやがストンと落ち去り気持ちよく床についたのに。
昨日と何も変わらない見慣れない部屋の景色が、残酷にも現実を突きつけてくる。
ボクの最後の淡い期待「今までの全てが夢落ち説」が、虚しく砕け散ってしまった。
それにしても記憶を取り戻したのはいいけど、分からない事がメガ盛りすぎる。
まずここは日本じゃない事は明確だ。『モン・フェリなんとか』なんて地名は聞いたことはないし、あんな彫りが深くてキャラも濃そうな日本人なんていてたまるものか。
じゃあここは海外か何かなのか? そして『落人』だっけ?
空から降ってきたとかとんでもない事を言っていたっけ。
いつもなら笑ってまともに取り合わないレベルの話だけど、さすがに初対面のボクに向かってそんな嘘を付く意味が分からない。
仮に、仮にだが、それが本当だとして一体どんなストーリーが考えられるのだろうか。
ボクは辻褄が合う様に推論を立ててみる事にした。
……むむむむ、こういう事かな?
『レース事故で怪我をして緊急手術が必要となり、海外のゴッドハンドと呼ばれる伝説の医師の元に向かう途中に飛行機が墜落して、見知らぬ辺境の地に落ちました』
そんなんあるかぃ! ゴッドハンドに緊急手術ってボク、確実に手足の一本や二本千切れてるじゃん!
いや、落ち着け。ここは冷静に考えよう。
もしも大怪我して海外で治療を受けるって所だけなら、きっとボクLOVEのおじいちゃんなら金に糸目をつけずにやるだろう、間違いなく。
だけど、だけどこの推論には穴がある。見知らぬ海外の辺境の地に落ちて、言葉が通じる筈がない。
これは早々に事件は迷宮入りだ。
となると……やっぱりここはボクが知らないいわゆる異世界ってヤツなのかな……。
あのキラキラお月様も「必要最低限のコミニュケーションは取れる様に」とか何とか言ってたし……。
それにしても何だってまたこんな事になってしまったんだ!
ボートレーサー養成所の厳しい初期訓練も終わり、待ちに待った実技訓練の矢先にこんな事になるなんて。異世界転移や転生なんて、そこら辺にニートやオタクに希望者はゴロゴロいるでしょう!
何でボクなんだよ! ボクにはボートレーサーになるって夢があるのよぅ!
状況が整理されひとしきり不満や嘆きを吐き出せば、残るのは自分を支えてるアイデンティティだ。
ボクはコップに残った水を一気に飲み干した。
そうよ、ここで挫けてはいけない。
あのキラキラお月様だって言っていた。「まだ生きてますよ」って。死んでないんだったらなんだってできる。
生きたままこの世界に来てしまったのなら、逆に帰る事だってできる筈。きっと日本に帰る方法がある筈だ!
そう、立ち止まってなんていられない。ボクの夢は始まったばかりなんだ。
日本に帰ってボクは風を切り裂くスピードの世界の住人———ボートレーサーになるんだ! 絶対に諦めない!
ボクが「うしっ!」と拳を握り気合いを入れてるとノック音が二、三度響き、しばらくしてカチャリと扉が開かれた。
見るとヴェルナードとゲートルードだった。今日は赤髪の強面おじさんアルフォンスはいないみたい。
二人はゆっくりと部屋に入りボクのベッドへと近づいてくる。
「やあ、おはよう。もう起きていたんですね。昨晩はゆっくりと眠れましたか?」
「あ、ゲートルードさん、おはようございます。お陰様でゆっくり休めたよ」
「それはよかった」
小さく笑みを溢すゲートルードは朝日にも負けない爽やかぶりを、昨日と変わらず発揮する。
やっぱりこの人は信用しても大丈夫かなと思う。
「さて。一晩休んで気持ちも体も落ち着いたであろう? 何か思い出しただろうか」
ベッド脇の椅子に腰掛け、不躾にそう切り出したヴェルナードは表情を変えずに冷たい視線でボクを見た。
この人は傷ついた幼気な少女を、もうちょっと労る気持ちがないのだろうか?
優しさの欠片もないヴェルナードの物言いに、ちょっとだけムカっとしたボクはじっとヴェルナードの目を見返した。
「……その前にボク、女なんですけど」
「ああ、それについてはゲートルードから先ほど聞いた。だが其方が男であろうと女であろうとこちらには対して違いはない。欲しい情報が変わるわけでもないしな。……さあ、何か思い出したなら聞かせてもらおうか」
ボクの女としての矜恃をあっさりと切って捨てたヴェルナードに、ぐぎぎと歯を食いしばるも当の本人は涼しい顔を崩さない。
後ろで見守るゲートルードの苦笑いに少し心が救われるも、焦れるヴェルナードは「さあ、どうか?」と更に煽りを入れてくる。
な、何よ腹立つ! 勘違いしてごめんの一言くらいあったってよくない?
だけどここで怒りに身を任せるのもどうかと思う。
こちらはまだまだ分からない事だらけ。少しでも情報を入手して、何とか元の世界に戻る手立てを考えないと。ここで口論しても何も始まらない。
落ち着いて! 冷静になるんだボク! 耐えるんだボク!
「……ええ! お陰様で色々思い出したよ! ……ボクの名前は若月和希。年齢は16歳になったばかり。多分こことは違う世界からきたと思う。どうやって来たかは分からないけどね」
「……ワカツキ……カズキ。それが其方の名前か」
「和希、でいいよ。両親や友達はみんなそう呼んでたから」
「なるほど、了解した。……ではカズキ。こことは違う世界とは、具体的にどういう事だろうか。何故カズキにはそれが分かるのだ?」
「何故と言われたって……うまく言えないけど、この部屋の雰囲気とか、アナタたちの服装とか、ボクがいた世界とは全然違うから」
二人とも日本人らしくない顔立ちと、どこか中世の貴族を連想させる格好なのだ。ボクから見れば違って見えて当然だ。
アナタたちだってボクのこの格好——カッパを着込んだ乗艇装備を見れば分かるでしょう! と口から出かかった言葉を飲み込んだ。
「話しの途中ですみません。カズキ……医師として知っておきたいのですが、記憶は朝起きたら戻っていたのですか? もしかして、あなたが記憶を取り戻したのには何かきっかけの様なものがあったのではないでしょうか?」
ギクリッ! もしかしてボクの夜間無断外出がバレたっ!?
わざわざ見張りをつけたくらいだ。もしかしたら外出した事がバレたのなら、怒られるのかもしれない。
……昨晩の事は黙っておこっと。
「い、いや。きっかけなんかなかったよ。朝起きたら思い出していたんだ。はっははははは……」
「そうですか。何かきっかけがあるのなら、今後の診療に参考になるのかなとも思ったもので。それに私たちがこの小屋に来ると、見張りが熟睡していましてね。もしかしたら一人で勝手に外に出て、記憶が戻る何かがあったのかなと……あ、これは失言でしたね。はははは」
ボクとゲートルードの乾いた笑いが部屋の全体に重複する。ボクの事をじっと湿った目で見るヴェルナードの視線が痛い。
「べ、ヴェルナードさん。一応聞くけど、日本とか東京、福岡って聞いた事ありますか? ボクの世界の地名なんだけど」
東京はボクの実家、ボートレーサー養成所があるのは福岡だ。
「……いや、ない」
やっぱり。はいこれで異世界確定。
「それで、カズキは何故この地に来たのだ? 何か目的があって来たのだろうか?」
「目的なんて……何もないよ! 事故って目が覚めたらここにいたんだ。ボクだって帰れるものなら帰りたいよ…………ねぇヴェルナードさん。ボク、帰りたいんだよ、元いた世界に。何か帰る方法とか知らないかな? 何でもいいんだ。手掛かりになりそうな事を知ってたら教えて欲しいんだ」
「……何処ぞの密偵という線は薄い、か」
「へ?」
「いや、こちらの事だ。……付いてくるといいカズキ。まずはこの『モン・フェリヴィント』を案内しよう」