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9.オルテンシアの転落

  1.


「こりゃ無理だな」


 長時間にわたりオルテンシアの顔に治癒魔法をかけていた治癒士がついにさじを投げた。


「こいつぁ魔力というより、もはや怨念だ。ここまで深いものだと誰にも手の施しようがないぞ」

「そうですか……」


 少年の声はぞっとするほど虚ろだった。


 オルテンシアの顔4分の1。右側の上半分、目元の周りには痛々しい火傷の痕が残っていた。腫れ上がった目の周辺は黒紫色に変色し、ミミズがのたうった後のような、不規則に引きつったような皺が刻まれていた。


「いちおう、これ以上の化膿や悪化はしないだろうが、これがわしのできる限界だ。悪いな」


 言葉の上では悪びれているものの、老いた治癒士の声には自分以外の誰にもこの火傷は治せないという、逆説的なプライドの高さがにじみ出ていた。


「あなたの腕が悪いからではなくて?」


 そして、そんな臭いを巧みに嗅ぎつけ、攻撃せずにはいられないのがオルテンシアという女性だった。


「――世界広しと言えど、わしに並ぶ治癒士はおってもわしより上の術士はおらんよ」


 老治癒士は明らかに気分を害していた。


「ねぇ、オズ君。私、王都の治癒士に診てもらいたいわ」

「オルテンシアさん……」


 要求は当然通ると信じて疑わない様子のオルテンシアに、少年はすまなそうに言った。


「この方は、元々王都で王家直属の治癒士をされていたんです。今はお弟子さんに地位を譲られて、ギルドのたっての要望でこの街に来ていただいているという方なんです」


 つまり、老人の言葉は決して大言壮語ではないということだった。


「腕が落ちたから後進に道を譲らざるを得なかったのではなくて?」

「……オルテンシアさん」


 オズ少年は哀しみを湛えた目でオルテンシアを見つめると、その身体をそっと抱きしめた。


「すみません。本当にごめんなさい。僕は……貴女を守るって言っておいて……」

「やめてもらえる? あなたの謝罪にはもう何の価値もないわ。この傷を治す以外にあなたの示す誠意は無いの。()かるかしら?」


 オズの身体を引きはがし、オルテンシアは冷たく言い放った。


 ちなみに、少年が彼女を守り切ることができなかった原因は()()()に眠り薬を盛られたらであるが、少年は知る由もないし、オルテンシアは()()()()そのことを忘れている。


「解っています。僕はこの先、一生を貴女の傷を治すことに捧げ――」

「待ちなさい少年」


 横やりを入れたのは老治癒士だった。


「わしは、このお嬢さんがアンタの――新進気鋭の冒険者の奴隷だというから多少の暴言にも目をつぶっていたのだが、違うのかね?」

「いえ、オルテンシアさんは僕が買った奴隷です」

「そうかね。だったら、自分の奴隷はきちんと(しつけ)たまえ。奴隷の言葉は(あるじ)の言葉。奴隷の失態も主が責任を負わねばならんのだ」


 少年は気まずそうに眼をそらした。


「失態を犯したのは僕ですから。僕は、彼女を守ると誓ったのに……」

「誓いはお互い様ではないかね。奴隷は主に誠心誠意仕えるという誓いを立てているはず。君たちを見ていると、奴隷が一方的に主から搾取をしようとしているようにしか見えん」

「でも、僕がオルテンシアさんを買ったのは、ただ……」


 うつむく少年。


「……」


 一方、オルテンシアの胸中に危険信号が灯った。これ以上、この老人と話をするのは危険だ、と……。


 普段のオルテンシアだったら、もっと早くこの会話の流れの悪さに気付いただろう。そもそも、この老治癒士に皮肉のひとつでも言ったかも知れないが、明らかに名誉を傷つけるような言葉はさすがに慎んだはずである。


 生粋の悪役令嬢であるオルテンシアも、殺人鬼に遭遇し顔を焼かれるという事態にあたって流石に動揺を隠すことができず、それが最悪の形で露呈したのだがまだ彼女は気付いていない。


 老人の次の言葉から、彼女の本当の破滅が始まると言うことを――。


「ま、性悪な奴隷を掴んでしまったものは仕方がない。()()()()()()()以上、持ち主は所有物に責任を取らねばならんのも事実だしな」

奴隷紋(どれいもん)?」


 小首を傾げるオズ少年。

 オルテンシアの顔から血の気が引いた。


「何? まさか君たち、教会で『主従の誓い』を立てていないのか? だとしたら少年、君とこの小娘はまだ主従でも何でもないぞ?」

「でも、奴隷屋の店主と契約書を――」

「それはあくまでお主と奴隷屋との間の話だ。主と奴隷を結ぶものはただ1つ、奴隷紋だけだ」


 治癒士は奥に向かって「おい!」と叫んだ。中から、小ぎれいな白いローブを羽織った若い女性が現れた。薬の調合をしていたのだろう、すりつぶされたばかりの薬草の匂いが漂っている。


「すまんが、少年に奴隷紋を見せてやってくれ」

「かしこまりました」


 女性はたおやかに頷くと、「失礼します」と少年に背を向け、ローブを大きくたくし上げた。

 彼女の白い尻に、紋章が半分だけ焼き付けられていた。


 奴隷紋は割り印であり、紋章のもう半分は主側が羊皮紙に焼き付けたものを保管するのだという。


「ちと可哀想ではあるがな。だが、この焼き印が奴隷の身の安全を保証してくれる。例えば、ならず者が奴隷を殺してしまったとしよう。奴隷紋の無い奴隷を殺してもせいぜい店の商品を壊したくらいの罪にしかならんが、奴隷紋のある者を殺せば準殺人であり持ち主にも多大な賠償を払わねばならん」


 老人がじろりとオルテンシアを睨む。


「たまに、主の権力をかさに着て威張り散らす奴隷がおるが、周りの者たちが恐れているのは奴隷そのものではない。其奴(そやつ)の尻に焼き付けられた紋章を恐れているのだ」


 オルテンシアの目が泳いだ。無意識に逃げ道を求めるように。


「奴隷紋を知らずに奴隷を買う君のような者も珍しいが、奴隷紋のことを黙っている奴隷は悪質と言わざるを得ん。その理由はただ1つ、その小娘はいずれ少年のところを脱走して身分を平民に偽ろうと画策しておったのだ」

「オルテンシアさん……」

「……」


 オルテンシアが何か言おうとするが、その前に老人がさらに畳みかける。長年宮廷仕えをしていただけあり、オルテンシアにさえ反撃の機会を与えない話術は見事と言えた。


「おかしいと思っていたのだよ。家を焼け出されたはずの君たちが、ここの治療費をあっさり払える金を持っていたことが。それも金貨ではなく、ギルドの証文をな」


 ビシっと、老人の指がオルテンシアを指す。


「おおかた、今夜あたり金を持ち逃げしようとしていたのだろう? 違うかね」

「無礼にもほどがありますわ……」

「主を(たばか)る奴隷に尽くす礼節があるのかね? 奴隷紋を持たぬとはそういうことだ。少年、悪いことは言わない、こんな性悪はさっさと売り飛ばすがよろしい。もっとも、その疵面(きずづら)ではまともな買い手は付かないだろうがね」


 最後の言葉が決定打だった。


 オルテンシアの顔色は蒼白を通り越して白(ろう)のように色を失っていた。自身の窮状が現実の津波となって押し寄せてきたのである。


 彼女を彼女たらしめていたのは、元侯爵家というプライドと、万人を魅了し威圧する美しい容姿だった。

 そして、彼女がより信頼を寄せていたのは自身の美しさの方だった。


 この容姿さえあれば、たとえ奴隷の身分に堕ちても金や権力はいくらでも付いて来ると思っていたし、事実その通りだった。


 恐る恐る鏡を見る。そこに映っているのは、嫉妬深い女神の呪いを受けたような、見る者に嫌悪感をこみ上げさせずにはいられない醜い疵。

 黒紫色に腫れ上がり、目を塞ぐ引きつった肉塊。まるで魔物が寄生しているように見える。元の顔立ちが整っているだけに、そのコントラストは強烈だった。


「あ、あぁぁ……」


 寒気を感じる。全裸で深夜の雪原に放り出されたような絶望の冷気。オルテンシアは思わず両手で己の身体をかき抱いた。


 崩れてしまった。美貌という、彼女の自信を支えていた土台が崩壊してしまった。


「オルテンシアさん」

「ひッ――」


 少年の声に、オルテンシアの身体がビクッと跳ねた。


「行きましょう」


 差し伸べられた手に恐る恐る触れる。その瞬間、少年は彼女の手を力強く握った。


「あ……」


 少年の手はあたたかい。


 やれやれと肩をすくめる老人に高い治療費を支払い、2人は街に出た。


 ちなみに、深手を負った少年の背中は簡単な応急処置と荒く縫合をされただけでありほとんど費用はかからなかった。


「さて、まずは寝床を確保しないといけませんよね。またフォーチュンテラーに襲われるかもしれないから、他人に迷惑のかからない郊外の空き家があればいいんだけど……」

「あの……」

「あぁ、その前に、その傷を隠す何か……大きめの帽子でも買いましょうか」

「あの! ご、御主人、様……!」


 オルテンシアは恐れていた。治癒士から自分の本性を暴かれたこともあるが、それ以上にこれまでとまるで態度が変わらない少年の真意が解らず、恐ろしかった。


「オルテンシアさん?」

「私、その、奴隷紋のこと、黙ってて……」


 ああ、とオズ少年は何事もないようにうなずいた。


「仕方ないですよ。あの時、僕は全財産で貴女を買ってしまったんですから。治癒士さんがおっしゃるには、奴隷紋の登録にも結構お金がかかるそうですから。あの時の僕には無理でしたからね」


 だから、言いたくても言えなかったんですよね? と少年は無邪気な目で見つめて来た。


 オルテンシアは控え目にうなずいた。

 その途端、強烈な恐怖と後悔が襲ってきた。息を吐くように嘘をつき、記憶を自分の都合に合わせて改ざんしてきた彼女が生まれて初めて感じる感情だった。


 それは、罪悪感らしきものだった。

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