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6.殺人鬼

  1.


 『占い師(フォーチュンテラー)』。それは、数年前から国内を震撼させている猟奇殺人鬼である。


 今や噂が噂を呼んで情報が錯綜(さくそう)しているが、最初の事件は王都の繁華街の一画で起きたと言われている。


 朝、数軒の店先や民家の前に人間のものと思われる不気味な肉片が置かれていた。そして、とある娼館の入り口の前には少女の生首が置かれていたのである。


 少女は、その店で働き始めたばかりの娼婦だった。

 それは無惨なものだった。少女の顔は、目元が焼けて黒焦げになっていた。恐怖と苦悶に歪んだその貌は、彼女が生きながらにして焼かれたことを如実に語っていた。


 ほどなく、同様の事件が各地で起きるようになる。


 被害者は下級貴族のメイドであったり、旅芸人の売り子であったりと様々だが全員が女性で、みな生きたまま顔を焼かれ、身体をバラバラにされて近所に配られていた。


 この残虐な殺人鬼が『占い師(フォーチュンテラー)』と呼ばれるようになったのは、犯人らしき人物を目撃した男の証言による。

 殺されたのは男の妻だった。2人は結婚したばかりだった。


 男が仕事を終えて夜遅く家路についていると、自宅の方から走って来る人影とぶつかりそうになった。

 疲れていた男は、走り去るその背中に悪態をつきながら自宅に入ろうとして、何かに(つまづ)いた。

 ランプの灯りを近づけると、それは焼かれた顔からまだ白煙を上げている愛する妻の首だった。


 男が目撃した犯人像は、『黒いフード付きローブを纏い、口元をヴェールで隠した細身の人間』だった。性別はわからない。小柄な男でも大柄な女でも通じる背丈だったという。

 口元より上は、被ったフードの影になって見えなかった。


 当時、国中の占い師はたいていフード付きローブに口元を隠すヴェールといういで立ちだったため、殺人鬼は『占い師(フォーチュンテラー)』と名付けられた。反対にあらぬ風評被害を受けることとなった無実の占い師たちはローブとヴェールを捨てざるを得なくなったのだった。


 そして、自らの不運を予知できなかった哀れな占い師たち同様、自分たちに非が無いにも関わらずあるものを捨てざるを得なくなった者たちがいる。


 それは被害者となった女性たちのある共通点のためであった。出身地も階級も職業も異なっていた彼女たちだが、1つだけ同じものを持っていた。



 全員、名前が『オルテンシア』だったのである。



 この国において『オルテンシア』は珍しい名前ではない。それは国教の聖女の名前であり、階級を問わず広く浸透しているものだった。


 だが、フォーチュンテラー事件の噂が全土に尾びれ背びれ付きで広がっていくにつれ、改名を望む者が多く現れた。

 もともと、この国は改名手続きの敷居が低いこともあり、国内のオルテンシアは急激にその数を減らしていった。



  2.


「嫌よ! 絶対!」


 ギルドの広間に、オルテンシアのよく通る金切り声が響き渡った。


「お願いします! 僕、どうしてもこの依頼をやりたいんです!」


 上体を90度傾けて頭を下げるオズ少年を、オルテンシアは紫色に加熱された瞳で見下ろしていた。


「……私を買ったのは、私の名前が『オルテンシア』だったから?」

「はい」


 少年が躊躇なく答えたことはオルテンシアに少なからぬ衝撃を与えたが、この時興奮状態にあった彼女はあまり自覚していなかった。


「僕は、どうしてもフォーチュンテラーを倒したい。協力してください、オルテンシアさん」


 少年にとって、それは運命だった。

 フォーチュンテラー討伐の依頼を引き受けるには、(アージェンタム)ランクの冒険者である必要があった。


 しかも、最近は『オルテンシア』という名前の女性が激減したせいかフォーチュンテラーは鳴りをひそめており、『フォーチュンテラー討伐依頼』は本格的に冬が訪れる前に取り下げられることになっていた。


 手っ取り早くランクを上げるにはパーティを組む必要があり、そのために訪れた奴隷屋で『オルテンシア』に出会った。


 少年は思った。運命の出会いとはこういうことを言うのだと。


「冗談じゃないわ。この私に、(おとり)になれって言うの?」


 一方のオルテンシアにしてみれば、たまったものではなかった。

 彼女が改名しなかったのは、なぜ自分が殺人鬼などというもののために己を曲げなければならないのかというプライドもあったが、それ以上に被害者が平民以下と知って興味を失ったためである。


 彼女の価値観は、この期に及んでいまだ侯爵令嬢のままであった。


 そんな彼女の前に、遠い下々の低俗なゴシップが命の危機として現れたのである。体のいい寄生先くらいに思っていた少年に、囮として使()()()()のも屈辱だった。


「どうしてもその依頼を受けると言うなら、私は出て行く。その辺に落ちてるオルテンシアでも探すがいいわ」

「そんな……」


 うなだれる少年に救いの手を差し伸べたのはギルドの受付嬢だった。


「それは通らないでしょう。貴女は彼の奴隷なんだから」


 わざとらしくこの場にいる者たちみんなに聞こえるような大声で話す受付嬢。すでに注目を集めていた彼女たちの会話は、他の冒険者たちに筒抜けになっていた。


「え? あの女、奴隷だったの? てっきりオズさんの(ねえ)ちゃんだと思ってた!」

「何で奴隷が御主人様より上等な服を着てんだよ!?」

「この前、オズさんに荷物持ちさせてるの見たぜ? 店員や御者にもすげぇ偉そうな態度だった」


 流石のオルテンシアも周囲の声を無視することはできなかった。


「やってくれたわね……。貴女の顔、忘れないわ」

「こんな顔で良かったら、しっかり覚えておいてください」


 前髪で目を隠した受付嬢が強気に笑う。


「主人の命令に対して奴隷に拒否権はありません。誓いを立てた主を裏切った奴隷にこの先まともな買い手がつくと思いますか?」

「くっ……」


 すでに、オルテンシアの艶めかしい肢体を舐め回すような視線が絡みついているのがわかる。


「奴隷は貸し借りできるんだよな……」

「オズさんに頼んでみるか?」


 下卑た声がギルドの空気を淀ませている。


「お願いします、オルテンシアさん!」


 そんな濁った空気を少年の声が一掃した。


「貴女は僕が必ず護ります! この先ずっと、貴女に不自由はさせません! だからお願いです! 今一度だけでいい。僕に力を貸してください!」

「どうして、そこまでしてこの殺人鬼にこだわるのよ」

「……」


 この時、オルテンシアも、受付嬢も、初めて少年の瞳に負の感情が宿るのを見た気がした。


「僕の母さんの名は『オルテンシア』といいます」


 誰もが、少年の身体に『澄んだ闇』とも呼ぶべきオーラが陽炎(かげろ)うのを見た。


「王都と違って、この街では郊外に住む貧民の事件にお役人は関わってくれませんから、記録には残っていません」


 顔を上げた少年の表情に、温度は無かった。

 ギルドが静まり返った。


「まさか、オズ君のお母さんもフォーチュンテラーに?」


 恐る恐る尋ねる受付嬢の言葉に、少年は無言でうなずいた。


「母親の焼けた生首を見たのかしら?」

「ちょっと――!」


 無神経なオルテンシアの言葉に、受付嬢は色を失う。だが、灰色の瞳は少年を見据えたまま動かない。


「……見ました。あの日、母は家を出たきり帰って来なくて、朝、玄関のドアを開けたら」

「オズ君、もういいよ」

「僕、近所を回って母の身体を返してもらって……」

「もういいから! 貴女も! 彼の辛い記憶をほじくり返して愉しい!?」

「初歩的な勘違いを避けたかっただけよ。猟奇殺人鬼の囮にされる私の身にもなってほしいわ」


 少年の言葉にも、その悲痛を通り越した先の虚無の表情にも、嘘や勘違いは見られなかった。


「お母さんの仇討(かたきう)ちがしたいのね」


 オルテンシアの問いに、少年は小さく、だがはっきりとうなずいた。小さな体に、てこでも動かせなさそうな重量を感じる。


「……わかった。協力するわ」


 微かなため息とともに、オルテンシアは言った。とたんに少年の顔がぱぁっと輝く。

 とても拒否できる雰囲気ではなかった。


「でも条件がある。雪が降るまでにフォーチュンテラーに会えなかったら諦めなさい。その時は私は改名するから」

「そんな……」


 例年なら雪が降るまで、あと半月ほどだろうか。


「ちょっと貴女――」


 突っかかる受付嬢に最後まで言わせず、オルテンシアは畳みかけた。


「私の御主人様は、狂人に惨殺される恐怖に怯える者の気持ちを想像できない方ではないわ。そうでしょう?」


 少年ははっと目を見開き、気まずそうに顔を伏せた。


「そうですね。僕は、オルテンシアさんにとても残酷なお願いをしていました……。わかりました。雪が降るまでに方を付けます」


 決意を固める少年を、オルテンシアは灰色の瞳で見つめている。彼女の中で巡っているのはひたすらに損得計算だった。少年の辛い過去にも悲壮な決意にもまったく興味が無かった。


 彼女の心を動かしたのは、「この先ずっと、貴女に不自由はさせません」という少年の一言だった。


(言質は取った。後は雪が降るまで家から出ないことね。この子を言いくるめて街の中に宿を取るのもいい。今の彼なら、高級宿に泊まることもできるでしょう)


 だが、そんなオルテンシアの目論見(もくろみ)はあっさりと崩れ去った。


「引きこもっていたら、フォーチュンテラーに会えないじゃないですか」


 至極もっともな意見だった。


「オルテンシアさんのことは僕が必ず護りますから。僕を信じてください」


 実績はじゅうぶんに理解しているつもりだが、どうにもその線の細い身体を信じきることができなかった。

 その上――


「ねえ、これ、本気なの?」


 いつの間に用意していたのか、オルテンシアの首には人目を惹く真っ赤な首輪が着けられていた。首輪からは金色のプレートが下げられ、『オルテンシア』と彫られている。


「だって、フォーチュンテラーに貴女がオルテンシアさんだって教えてあげないと」

「……わかったわ。でもせめて、この鎖は外してくれない?」


 少年はじとっとした目でオルテンシアを見た。


「鎖を外したら、オルテンシアさん僕を置いて逃げるじゃないですか」

「そんなことしないわ。あぁ、奴隷を信用しない(あるじ)に買われた私は不幸な女ね」


 どうやら、オーガの洞窟での一幕はもう彼女の記憶に無いらしかった。少年は小さく肩をすくめると、「行きますよ」と鎖を引いた。

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