5.少年の快進撃
1.
オズ少年の快進撃が始まった。
「オルテンシアさんは伏せていてください」
少年が長剣を大きく振るう。衝撃波が空を薙ぎ、ギシャア! という耳障りな悲鳴に似た音と共に、毒々しい斑模様をした花が斬首された罪人のように回転しながら宙を舞った。
花は、肉厚の花びらを持ち、中心部分に牙に似た固い棘をずらりと生やしていた。
食人花。
人間の吐く呼気を嗅ぎつけ、電撃のような速さで棘の生えた触手を伸ばす。絡みつかれたら最後、あばら骨が潰され背骨がへし折れるほどに締め上げられ、生きたまま花の中心部に放り込まれる。
そこで哀れな獲物は果肉の一部にされてしまうのだ。
さらに厄介なことに、この花が放つ甘ったるい芳香は人間にのみ強烈な幻覚作用を及ぼす。不用意に近づいた者は、知らず知らずのうちに自らこの魔草の攻撃範囲に踏み込んでしまうのである。
今回の依頼は、村1つを壊滅させてしまうほどに大繁殖してしまったこの食人花の駆除だった。
「うわぁーッ!」
「クソ! 数が多すぎる!」
初めは、とある冒険者パーティが依頼を受けたのだが、すでに村1つを取り込んで繁殖した食人花の群れは単パーティでは手に負えないということが判明した。
急遽10ほどのパーティが合同で依頼を受けることになり、オズにも声がかかったのだった。
合同の依頼に誘われるなど初めてだったオズは喜んで参加した。
「今行きます!」
触手に絡み取られた冒険者に、少年は叫ぶ。
「無理だ! そこからじゃ間に合わない! あいつは見捨てるしか――」
だが、少年は大きく跳躍すると剣を一閃させた。切っ先から無数の衝撃波が発生し、花や触手を無差別に刈り取っていく。
「何だ、あれは……?」
不可視の斬撃によって乱れ飛ぶ花弁や葉肉。
「風の魔法剣――!」
だが、オルテンシアをはじめ一部の者たちには見えていた。少年の剣から美しい三日月型をした風の刃が発生し、狂喜乱舞する妖精のような動きで魔草を刈り取っていく様が。
風の刃が、触手に絡みつかれた冒険者の周囲をくるりと一周した。触手が生臭い汁を飛ばしながら寸断されていく。
「はは……まさか、助かるとは思わなかったぜ……」
触手に絡めとられ、今にもあばら骨を潰されそうになっていた男が信じられないと言う顔で泣き笑いをしている。
「早く手当てを!」
オズは傷ついた冒険者を庇うように立つ。
剣を肩の上で水平に構える。刀身に魔力が走り、青白い光を放ち始めた。
「せいッ!」
少年の甲高い気合と共に、青い剣閃が空を疾る。
「ッ!?」
その場にいた誰もが、身を刺すような冷たい暴風に曝された。
「何だ!?」
「吹雪!?」
空気中の水分が一瞬で凍り付き、きらめくダイヤモンドダストとなって虚空を飾る。
一帯の魔草の群れは真っ白に凍り付いていた。冒険者の1人が恐る恐る触れると、魔草は乾いた音を立ててひび割れたガラス細工のように崩れ落ちた。
「すげえ……」
誰もが感嘆の吐息を漏らす中、少年は1人で食人花の群れを3つ駆除していた。他のパーティは2、3が協力して1つの群れを攻略している中、驚異的な快挙である。
「あのガキ……いや、彼は本物だ!」
「魔法剣なんて初めてみたぞ!」
「あの歳でこれほどとは、将来どうなっちまうんだ?」
歓声の中を、少年は「お疲れさまでした」と笑顔で頭を下げて回っていた。不思議と嫌味を感じさせない少年の雰囲気が、彼らの好感度さらに上昇させていく。
「お疲れ様でした、御主人様」
オルテンシアが口元に微笑みを浮かべて剣の鞘を差し出した。
「人前で御主人様はやめてよ」
「そうだったわね、オズ君」
少年が剣を鞘に納めている間、オルテンシアは彼の美しいプラチナブロンドの髪を濡らす汗を優しく拭いてやっていた。
「でも、あんな氷魔法が使えるなら初めから使っていればよかったじゃない?」
オルテンシアの疑問に、少年は笑顔で答えた。
「食人植物は危険な魔物ですけど、花粉は高級な白粉の原料になるんです」
刈り取った花を魔法で冷凍し、風呂敷に包んでいく。そうしないと依然垂れ流されている甘い芳香が周囲の人々を幻惑してしまうからだ。
オルテンシアは当然のように手伝わない。化粧品になった後ならまだしも、今の汚らわしい魔物の死体になんて触りたくなかった。
この功績により、オズ少年は冒険者ランクを鉄から銅へと上げた。
2.
次にオズ少年が訪れたのは、『霧の森』と呼ばれる魔境だった。
そこは魔王の支配下にあるとされ、実際、魔物が無限に湧き出して来る難所である。
この霧の森で強大な魔物を討伐してこそ、冒険者は英雄と呼ばれる。かつて最も英雄に近いと言われた者たちが何人もこの森に挑み、そして帰って来なかった。
「すみませーん、冒険者ギルドから来ましたー!」
今、少年がオルテンシアを連れて立っている場所は、霧の森を監視する砦だった。
「あれ? おかしいな……」
いくら待っても、砦の門橋が下りる気配がない。
「あら、歓迎されてないみたいね。帰りましょうか」
「いやいやいや、それはできませんって」
正直、オルテンシアをここまで連れて来るのも大変だった。彼女はとにかく街を離れたがらない。離れたら離れたで、安い馬車に乗ったせいでお尻が痛いだの、歩いたら足が痛いだのと不平をこぼし続ける。
そんなオルテンシアをオズはなだめすかし、時にはお姫様抱っこまでして何とかここまでたどり着いたのだった。
今回、彼が引き受けた依頼は、霧の森から現れたポイズンドラゴンの討伐だった。依頼主はこの砦の主である貴族騎士である。
「困ったなぁ。ここで帰ったら、依頼をすっぽかしたのは僕ってことになっちゃいますよ」
「だから、貴族の依頼は嫌だって言ったのよ」
オルテンシアが憎々しげにつぶやく。
「散々説明したわよね。貴族はあなたのような冒険者なんて人間扱いしていない。せいぜい囮に使われて、手柄は奪い取られるのが関の山だって」
「はい……」
「どうやらあなたはここでポイズンドラゴンの撒き餌にされるみたいね」
「そんな……」
しょげかえる少年を、オルテンシアは冷たく見つめた。
(バカな子……)
差別する側の冷たさに対し、どういうわけか差別される側は鈍感だ。日ごろあれだけバカにされ蔑まれているのに、なぜか平民は貴族にも自分たちに温情があると心の奥底で信じている。
「オルテンシアさん」
少年の蒼い隻眼がまっすぐにオルテンシアを見つめた。
「もしもの時は、僕が必ず貴女を守りますから」
「あっそ」
少年の決意に、オルテンシアは興味は無かった。彼女は、自分がオズと一緒にドラゴンの餌になるとは微塵も思っていなかった。
ドラゴンが少年の肉を喰らっている間に、彼女1人なら砦に入れてもらえる確信があった。最悪、この砦の主なら貴族であることだし、一晩くらいなら身体を貸してやってもいい。
(とは言え、今まで守ってきた純潔をこんなところで散らしたくはないわね)
指先で上質な絹でできた真新しい服の感触を味わいながら、オルテンシアは思った。貴族とは存外ケチな生き物だ。オズのように、オーガバトラーと食人花の討伐で得た賞金の大半をおねだりされるまま彼女の服に費やしてしまうような存在を手放すのは惜しかった。
オルテンシアは少年に知恵を貸してやることにした。
「ねえ、どうせ兵士たちは砦の中から私たちを見ているわ。ここであなたの魔法剣を見せてあげたらどうかしら?」
「え?」
「あなた、雷が使えるんだから、できるだけ派手なヤツを見せてあげて」
「はぁ」
オズは小首を傾げながらも、素直にオルテンシアに従った。愛用の長剣を抜き放ち、白刃に魔力を込めていく。
紫色の稲妻が蛇のように剣に絡みつく。初めはパリパリと弾けるような軽い音が、いつしか内臓を揺さぶるような重低音に変わっていた。
真っ白な閃光が空を灼く。少年の持つ剣は、今や天をも貫く光の柱となっていた。
「どうしよう、オルテンシアさん」
「……え、何?」
「これ、振り下ろしたらどうなっちゃうんだろう?」
「は?」
剣から立ち上る光の柱は輝きを増し、いつしか砦の1つや2つ、跡形もなく消滅させそうな勢いとなっていた。
オルテンシアの背中を冷たい汗がどっと流れた。
「駄目よ! 間違っても砦に振り下ろしたら!」
少年の周りは熱された空気が上昇気流となって激しいつむじ風を巻き起こしていた。オルテンシアは無意識にオズの背中にすがる。
「どうしてこんなになるまで――!」
「ごめんなさい! オルテンシアさんにいいところを見せたくて!」
「わかった! 充分わかったから! 少しずつ魔力を抑えて! 霧が空気中に溶けていくイメージで、魔力を散らすの! できる?」
「やってみます!」
オズは目を閉じ、呼吸を整えた。少しずつ、剣を包む雷光が四散していく。網膜を灼いていた輝きがようやく収まり、最後の紫電がぱちぱちと弾けながら消えて行った。
「ふぅ……」
少年が息をつく。まるで軽いジョギングを終えた後のような顔つきである。
「あなた……何者なの?」
オルテンシアの問いに、少年はなぜか少し寂しそうに照れ笑いをしただけだった。
大粒の雨が降ってきた。
先刻の上昇気流が真っ黒な入道雲を作っていたのだ。
「わ、困ったな」
どこかで雨をしのげないかと少年が周囲を見回した時だった。
砦の門橋が軋みを上げながらゆっくりと下りてきた。
「すごいよオルテンシアさん。本当に入れてくれるみたい」
「え、ええ……」
さすがのオルテンシアも、鉄仮面ではいられなかった。膨大な魔力とそれを制御する精神力。そして我流の魔法剣。彼が何者なのかはわからないが、使い捨ての駒にするには惜しい人材であることは確かだった。
彼女と同じことを砦の中の者も考えたのだろう。門橋が下りきると、そこには2人の騎士が立っていた。
「おお、貴殿が『隻眼のオズ』か。オーガバトラーを倒した話は我々も聞いているぞ!」
満面の笑みを浮かべているのは、見るからに平民からのたたき上げといった風情の口元を茶色いひげで覆った強面の巨漢だった。
「ふん。少しは役に立つようだな」
不貞腐れているのは、見るからに鎧に着られた貴族といった風情のでっぷりと太った小男である。
後に聞いた話では、ひげ面の大男が実戦部隊を率いる騎士団長であり、小男の方がやはり王都から派遣された貴族騎士だった。
オズたちが砦に到着した時、騎士団長はすぐに砦に招き入れようとしていたのだが、貴族騎士がそれを止め、押し問答している間にオズのとんでもない力を見せつけられて門を開けざるを得なくなったということだった。
2人は客室(オルテンシアいわく、王城の牢獄の方がまし)をひとつ与えられ、一息ついたのも束の間、すぐにけたたましい鐘の音に呼び出されることとなった。
「ドラゴンの襲撃だ」
「ポイズンドラゴンですか!?」
やる気を見せる少年に、騎士団長は静かに首を振った。
「見た方が早い」
騎士団長と少年、そしてオルテンシアは物見やぐらに上った。
「あ、オルテンシアさんは見ない方が――」
先にやぐらに上ったオズが止めようとしたが遅かった。その光景を見てしまったオルテンシアは、にわかに吐き気を催してその場にうずくまってしまった。
冷血の悪逆令嬢をして年相応の少女としての一面を暴き出したその光景とは、無残なポイズンドラゴンの死体とそれを貪り食う無数の大蛇の頭だった。
「ヒュドラ……」
それは、百の頭を持つと言われる巨大な毒蛇だった。その大きさはポイズンドラゴンの比ではない。
「魔王直属の配下と言われる、伝説級の魔物だぞ。まさかこの目で見ることになるとは……」
ガチガチと歯の根を鳴らす騎士団長を責める者は誰もいなかった。あのおぞましい姿を見て正気を保てる者はいない。すでに砦の兵士や騎士は戦意を喪失し、ひたすら跪いて神や愛する者に祈りを捧げていた。
あらかた食事を終えたヒュドラが身体を起こす。無数の頭が一斉に鎌首をもたげたその姿は、この砦を丸ごと覆い尽くすのではないかと思われた。
獰猛な炎を宿した眼が見据える先は、やぐらに立つ少年だった。
「もしかして、さっきのアレがヒュドラを刺激しちゃいましたかね?」
あっけらかんと笑う少年。その顔には、恐怖という感情がすっぽりと欠落していた。
「戦えるか? アレと」
「さぁ? まあやるだけやってみます」
そう言って、少年は座り込むオルテンシアに手を差し出した。
「ちょっと行ってきます。これを預かっていてください」
「あ、はい……」
思わず素直にうなずき、オルテンシアは彼の差し出した長剣の鞘を受け取った。
滑るようにやぐらを降りると、少年は剣を構え、金色の髪をなびかせて一切の躊躇いもなく大蛇に向かって駆け出した。
「すげぇ……」
少年の小さな背中がとてつもなく大きく見える。それこそ、あの大蛇を圧倒するかのように。
「俺もあんな男になりたかったぜ」
強面の騎士団長がぽつりとつぶやいた。
シャアアアアアアーーーーーッ!
聞いた者の全身の毛を逆立てるような威嚇音と共に、百の首が一斉に少年と対峙した。
3.
「はいこれ、銀ランクの証」
首から下げる冒険者プレート。そこには銀の板が張り付けられている。同じ色合いでも、鉄とは輝きがまるで違っていた。
「わぁ」
母親から誕生日プレゼントを受け取った子供の貌だった。
(まぁ、子供なんだけど)
ギルドの受付嬢は複雑な心境で少年の顔を見つめていた。
(この子、どこまで行っちゃうつもりなんだろう?)
ヒュドラ討伐の噂は瞬く間に街中に広がっていた。年端もゆかない少年が城ほどの大きさをした巨大な魔物を単騎で撃破したという、あまりに荒唐無稽な話に誰もが半信半疑だったが、大量の大蛇の首を持ち帰った彼の姿を見て認めざるを得なくなった。
屈強な騎士団長の馬に相乗りするあどけない少年の姿は微笑ましいものだったが、その後ろに続く大蛇の首を積み上げた軍用の荷車とのギャップは凄まじいインパクトを与えた。
この頃から、人は少年を『首刈りのオズ』と呼ぶようになる……。
ちなみに、オルテンシアは相変わらずすました顔でオズの背後に従っていたが、その瞳はさすがに興奮を隠しきれず、薄い紫色に染まっていた。
「あ、それとね」
受付嬢は一枚の封筒を差し出した。
「オズ君に手紙が来てるの。魔法学校から」
「僕に? どうして?」
「多分、スカウトだと思う。魔法学校には平民枠があるの」
今ではほぼ完全に貴族による貴族のための学び舎と化している魔法学校だが、いちおう創立の理念に基づいて階級にとらわれずに高い魔力を持つ者を入学させる枠が残っている。
それはいつしか平民枠と呼ばれ、多くの高名な魔導士を輩出してきた。
「ミネルヴァ王太子妃もそこの出身なのよ」
ミネルヴァは平民から絶大な支持を得ている王族である。受付嬢もミネルヴァの名前を出した時は我がことのように嬉しそうだった。
オズはふとオルテンシアを盗み見る。彼女は素知らぬ顔で銀髪の先をいじっていた。
「ヒュドラ討伐で学費なんて余裕で払えると思うし、悪い話じゃないと思うけど」
興奮する受付嬢に対し、オズは「うーん」と浮かない顔をしていた。少なくとも、銀の冒険者プレートを得た時ほどの喜びは感じていないようだった。
「学ぶことあるかな?」
それは慢心ではなく、純粋な疑問として口にしているようだった。
「学ぶことはなくても、学生や教師との間にコネクションを作ることはできるわ」
口を出したのはオルテンシアだった。
「貴族の令嬢と結婚すれば、あなたも貴族に成り上がることができる。いくら冒険者として名を上げて英雄と呼ばれるようになろうとも、所詮は使われる側にすぎない。どう? 魔法学校を足掛かりに、人を使う側に回ってみない?」
「貴女という人は。もう少し言い方を――」
受付嬢がオルテンシアに食って掛かる。最近見慣れて来た光景だ。オルテンシアは嫌そうに受付嬢から顔を背け、冷たく手を振ってあしらった。どう見ても奴隷の態度ではない。
やや剣呑になった空気を、オズ少年のあっけらかんとした声が吹き払った。
「あまり興味ないかなぁ」
「そう」
オルテンシアがあっさりと引き下がったのは、オズ少年の気持ちを尊重したからではなく、彼のように芯の強さを秘めたタイプにゴリ押しは逆効果だと知っていてのことだった。
(まだ時間はある。この子が思春期になってからが勝負ね)
それまでは、せいぜい奴隷の役割を演じていよう。灰色に戻っていく瞳の奥で、オルテンシアはそんなことを考えていた。
「オズ君、これからどうするの? 学費にしないなら冬を5、6回余裕で越せるお金が貯まってるけど?」
言外に「もうこの辺でやめたら?」と勧める受付嬢の心情をまるで解さず、オズは輝くような笑顔を向けた。
「はい。ずっと引き受けたかった依頼があるんです。それが銀ランクでないと受けられなくて」
「もしかして、そのために今まで――?」
少年は笑顔で肯定した。受付嬢の胸にズキンと痛みが走る。今や大人顔負けの武勇伝を有する彼の姿が、やけに儚い。
「この依頼を受けさせてください!」
少年が持ってきた依頼書には、『連続殺人鬼・占い師の討伐』と書かれていた。