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3.冷血な奴隷令嬢

  1.


 清潔なシーツの敷いてあるベッドで目を覚ますのは久しぶりだった。オルテンシアが身体を起こすとブランケットがはらりと落ち、一糸も(まと)わぬ白い裸体が現れた。


「……」


 と言っても、それは何ら驚くに値しない。彼女は眠るときは基本的に全裸である。


 そこは、郊外にある少年の家だった。家というよりはあばら屋に近い。柱に木の板を張り合わせた長方形の箱に藁ぶきの屋根が乗っかっているだけの代物である。


 窓からは街の城壁が見える。この家は城壁の外側に建てられており、それは少年の身分が平民の中でも下層に位置することを示していた。


(あわ)れなものね)


 その思いは少年に向けたものだろうか、それとも貧しい少年の奴隷に落ちぶれた自分に向けたものか。


「おはようございます、オルテンシアさん」


 焼けた小麦とミルクの匂いがする。ちょうど、オズ少年がスープの入った鍋をテーブルに運んでいるところだった。


「……」


 もし、オルテンシアが彼の立場だったら、(あるじ)よりも遅く起きる召使いなど決して許さなかっただろう。

 あの奴隷屋の店主がオルテンシアにしたように、鞭でしっかりと調教したに違いない。彼女の気分と奴隷の値段しだいでは、痛みのあまり死んでしまってもかまわない。


 だが少年は怒るどころか、そもそもオルテンシアの怠惰を罪として認識すらしていないようだった。


「着替えを置いておきました。母のものだったから、合わなかったらごめんなさい」


 それは、萌黄(もえぎ)色のワンピースだった。オズが小柄なのは母親譲りのようだ。胸が窮屈で、丈も短い。具体的には、オルテンシアが本来隠さなければならないところが隠せていないくらい短い。


 だが、ワンピースを着てみておや、と思った。

 確かに生地は古い。洗いざらしでところどころがほつれて痛んでいる。だが、生地そのものは上質で、やわらかく肌になじむ感触は自分が侯爵家で着ていたドレスを思い出させた。


「お母さまは貴族の家柄かしら? それとも、どこかの商家につながりが?」


 一瞬、少年の手が止まった気がしたが、彼はさわやかな笑顔で

「平民ですよ? 城塞の内側では暮らせませんけど」と答えた。


「そう」


 もしかしたら、物好きな貴族が古着を(ほどこ)したのかも知れない。むしろその可能性が最も高い。

 オルテンシアはそう思い、それきりオズの母に対する興味を失くした。


「下に履くものもあるかしら?」


 オルテンシアはワンピースの裾をつまみ上げ、何も隠す布のない下腹部をチラチラと少年に見せてみた。

 繊細だが長さのある縮れ毛が微風にそよぐ。


「そうですね、探してみます」


 少年は視線を泳がせることも赤面することもなく、鍋をテーブルに置いていそいそと部屋の隅にある収納箱をあさり始めた。


(本当に子どもなのね)


 そもそも、オルテンシアは少年を異性として意識はしていない。彼女が確かめたのは、彼が(オス)としてどの程度盛りがついているかだった。


 彼と1つ屋根の下にいながら平然と全裸で眠るくらいである。彼女にとって対等な人間とは貴族を指し、平民は多少言葉を解する猿に過ぎなかった。


「あったあった」


 少年が用意したのは、黄みがかった白のレギンスだった。やはり丈は短いが、腰回りは意外とオルテンシアの身体にフィットした。


「……」

「あの、気に入らなかったらごめんなさい。でもうちにはそれしかないみたいです」


 デザインのことを言っているのなら、初めから期待などしていなかった。

 ただ、自分のヒップサイズがオズを産んだ経産婦と同じであることに多少複雑な思いを抱いただけである。そんなことを説明しても、彼には到底理解できないだろう。


 食事は粗末なものだった。黒くて硬いパンと、薄いミルクで豆を煮込んだスープである。味もあってないようなもので、臭みだけが鼻につく。


「これでこの家に食べ物は無くなりました。今日は頑張りましょうね!」


 あっけらかんと笑う少年を、オルテンシアは温度のない灰色の瞳に若干の憐みの色を添えて見つめた。これから訪れる冬の季節を、こんな考えなしの子供と一緒に寒さと飢えに怯えながら過ごすつもりは更々ない。

 意外と早くこの少年を捨てることになりそうだと、オルテンシアは考えていた。



  2.


「えぇー!? 何でェ!?」


 その場にいた誰もが驚いて受付を見た。今だかつて、この受付嬢がこのような()頓狂(とんきょう)な大声を上げたことはなかった。


「お姉さんが教えてくれたんですよね? ()()()に行けばパーティを組めるって」


 少年は首を傾げる。


「しー!」


 法を犯したわけではないが、やはり年端も行かない少年に奴隷市を教えたというのは世間体が悪いのか、受付嬢は慌てて声を潜めた。


「どうして女の人を買っちゃったんですか! もっとこう、荷物運びの男の人とかいたでしょ!?」

「いませんでしたよ?」


 少し考えればわかることだったが、収穫期は男の奴隷は引く手あまたであり、どこの奴隷商でも短期契約や貸し出しという形で男はみんな出払っていたのだ。


「よりによってあんなキレイな(ひと)! 高かったでしょ!?」 

「はい。全財産で買いました」

「もう!」


 受付嬢は長い前髪で目を隠したその大人しそうな顔立ちとは裏腹に、ひらりと軽くカウンターを跳び越えるとオズ少年の手を掴んで外に出ようとした。


「え、あの?」

「今からでも遅くないわ。この人は店に返してお金を返してもらうの!」

「でも、『返品は受け付けない』って店主さんが。契約書にも書いてるし……」

「あ゛ーッ! もう手遅れじゃない!」


 今になって少年の人生を袋小路に追い詰めた罪の重さに悶える受付嬢だった。


「で、御主人様はこの依頼を受けれるんでしょうね?」


 銀髪の女が『はぐれオーガ討伐』の依頼書をひらひらと振る。

 奴隷のくせにどこか斜に構えた、自分以外のものすべてを等しく無価値と断じているかのような灰色の瞳が、受付嬢には気に食わなかった。


 まるで、上級貴族が平民を見下す目だ。


「貴女は、えーっと……」

「名乗るほどの者ではないわ。オズ様の奴隷よ」

「で、奴隷さんは何ができるんですか?」

「それを言うことが手続き上必要なのかしら? 貴女の要求どおり御主人様はパーティを組んだ。それ以上条件を後付けするのなら、初めからすべての条件をおっしゃってくださらない? お互い時間を無駄にすることもないでしょう?」

「ギルドとしては……冒険者を無用な危険にさらすわけにはいきません。貴女が本当に彼の戦力となるかを聞く必要が――」

「必要ないわ」


 灰色の瞳が受付嬢を見つめた。


「貴女の行為は受付の領分を超えている。貴女は黙って依頼書に判を押せばいいの」

「冒険者をむざむざ危険にさらすわけにはいきません」

「無駄よ」


 受付嬢は、この生意気な奴隷から肌を刺すような冷気を感じた。


「冒険者なんて、所詮は農地も継げず兵士にもなれない半端者。そんな放っておいたら野盗になるしかない者たちに、まっとうな市民がやりたがらない危険な汚れ仕事を任せてうまく()()()のがギルドの仕事でしょう」

「何てこと――」


 だが、受付嬢はその先の言葉を失った。

 相手が自分や冒険者をバカにしているのなら、彼女はもっと怒ることができた。だが、目の前にいる銀髪の女からは()()()()侮蔑は一切感じられなかった。


 この奴隷はただ、淡々と事実を述べているだけなのだ。


 この女の言う通り、それが冒険者ギルドの本質だった。様々な理由で社会からあぶれたならず者たちに、一攫千金や英雄という夢を見せて死地に送り込む。


 世間は厄介ごとを冒険者に押し付け、冒険者は生き甲斐と死に場所を得、ギルドはその間に入って上前を撥ねる。善も悪もない。これがこの社会を回す営みというものだ。


 だからこそ、需要と共有のバランスを保つためにも、ギルドが冒険者を必要以上に保護してはならない。


「ッ……」


 受付嬢は唇をかんだ。


「いつまで、御主人様の貴重な時間を無駄にさせるつもりかしら? たかが受付嬢の分際で」

「たかがって……、ど、奴隷の方に言われたくありません……」

「私はオズ様の所有物として、主に代わって言葉を発しているに過ぎないわ」


 その少年は、彼女たちの会話にまったく付いていけていなかった。

 じっと受付嬢を見つめる空色の隻眼が訴えていることはただ1つ、この依頼を受けることを認めてほしいという思いだけだった。


「もう一度聞くわ。オズ様はこの依頼を受けていいのね?」

「わかりました!」


 ダン! と書類に印が押される。


「ありがとう、お姉さん!」


 隻眼の美少年の輝く笑顔に、受付嬢は引きつりきった笑みを返すしかなかった。


 意気揚々とギルドを出ていく、金髪の少年と銀髪の奴隷の後姿を見ながら、受付嬢は深いため息を吐いた。


「何? 今の?」


 同僚が話しかけて来る。返答するのも億劫で、「奴隷だそうです」と投げやりな返事をした。


「たまーにいるのよね。平民よりも偉そうな奴隷。貴族所有のとかさ」


 この国では奴隷に人権はない。だが、()()()()()()()()()なら、下手な平民よりも高い場合がある。


 特に所有者が貴族などの場合、平民がうかつに奴隷を傷つけると、それは貴族の財産を傷つけたことになり、罰や弁済が課せられることになるのである。


 結果、(あるじ)の威を借りて傲慢な態度をとる奴隷がしばしば現れるのだ。


(オズ君、大丈夫かな?)


 稀ではあるが性悪な奴隷に憑りつかれて身を持ち崩す主の話がないわけではない。だが、受付嬢の懸念は他にあった。


 あの、温度の感じられない灰色の瞳。全てに対して物憂げで、退屈し切っているかのような瞳が恐ろしい。

 冒険者の中に自分の主であるオズ少年も含まれていると十二分に理解した上で、彼らを使い捨ての駒と断じる神経が、受付嬢には信じられない。


(どうか、無事に帰ってきて)


 そう思わずにはいられなかった。

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