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12.決壊

  1.


 その夜。

 その日も、2人は同じベッドに入っていた。


「……」


 一日一日を全力で過ごしているオズ少年は、床に入ったとたんに安らかな寝息を立て始めている。そんな彼の背中を、オルテンシアの曇天のような色の瞳がじっと見つめていた。


 月の無い夜だった。

 まるで逢魔を恐れるように、鳥も動物もしんと鳴りをひそめていた。


 静まり返った闇の中に、衣擦れの音だけが響く。


 オルテンシアは、ゆっくりと呼吸する少年の背中に、そっと身体を摺り寄せた。


「お母さん……?」


 少年が寝ぼけた声を上げる。その無垢な声をオルテンシアは聞いていなかった。


「御主人様……」

「オルテンシアさん……?」


 少年は顔を向けるが、隻眼である彼がオルテンシアの姿を見るには寝返りをうって身体ごとオルテンシアと向かい合わなければならなかった。


「オルテンシアさん!?」


 彼女の姿をみとめた少年の目が見開かれる。オルテンシアはその身体に何一つ身に着けていなかった。


「どうか、オルテンシアにお慈悲をください……、こんなことしかできない無能な奴隷ですが、どうかご主人様のお情けを……」


 うわ言のようにつぶやきながら、少年の服を脱がしにかかる。


「ちょっと!? 何するんですか!」


 少年は転がるようにベッドから飛び出した。


「あぁ……」


 オルテンシアの唇から絶望のうめきが漏れる。


「行かないで……オルテンシアを捨てないで……この身体を捧げますから……御主人様のお好きになさって……」


 その姿は、現世に未練を残して彷徨う亡者のようだった。

 裸体の亡者が少年の身体に縋り付く。


「いつでも、どこでも、御主人様のお好きな時にお好きなことをしてください! どんな責めでも、オルテンシアは喜んでお受けします。オルテンシアはいい声で鳴きます。だから、どうかお慈悲を――」

「やめてください!」


 ぱん、と乾いた音が夜の闇に吸い込まれた。


「……」


 じんと火照った頬を押さえて、オルテンシアは呆然と座り込んでいた。


「……」


 一方のオズ少年も、信じられないものを見る目で自分の手の平を見つめている。


「ごめんなさい」


 先に声を発したのは少年の方だった。


「ごめんなさい。こんなつもりじゃなかったのに……」


 少年の手の平に、ぽたり、ぽたりと雫が落ちる。


「何をしているんだろう、僕は……」

「御主人様?」

「近寄らないで!」


 オルテンシアの身体がびくりと硬直する。


「僕をそんな目で見ないでよ……、僕を怖がらないで……」


 疼く痛みに耐えるように、少年は潰れた片目を押さえた。


「御主じ――」

「その呼び方はやめて!」


 ぼたり、ぼたりと、床に黒い雫が落ちる。


「あッ――」


 少年の手は、潰れた片目を抉るように激しく()(むし)っていた。


「駄目ッ!」


 オルテンシアは思わず、躍りかかるように少年に抱き着いた。


「何をしてるの!?」


 少年の手を掴み、止めようとする。だが、少年は恐ろしいほどの力でオルテンシアの手を振りほどき、なおも目を抉ろうとする。


「やめて!」

「だって、オルテンシアさんが! 母さんが僕を怖がるから! 僕は! 僕はただ! いつも笑っていてほしかっただけなのに!」


 今度は少年がオルテンシアに縋り付いてきた。


「ねえ、教えてよ。僕が悪いんだよね? 僕が恐いんだよね? 僕はどうしたらいいの? 僕はいい子になる。はやく大きくなって母さんを守れるようになる。だから、笑ってよ。僕の側に居てよ!」


 片目から血を噴きながら絶叫する少年を、オルテンシアは呆然と見つめることしかできなかった。


 彼が何を言っているのかもまるで(わか)らず、確かなのは彼女が少年の中にある禁忌に触れてしまったということだけだった。


 オルテンシアが彼の狂気に気付く機会はいくらでもあった。そもそも、こんな少年が1人で冒険者稼業をしていること自体が異常なのだ。


 彼の異常な強さ、欠落している怒りや恐怖の感情、そして殺人鬼に母を殺された過去――


 彼女自身が問い、聞いていたはずだ。

 彼は母の生きながら焼かれ、切断された首を見ているのだと。


 オルテンシアは思い知る。

 自分は少年の何も見ておらず、何も聞いていなかったことを。


「ふふっ、あはっ、あは、は、ははっ!」


 少年は()()()()()


「あは、は、はは、あははははは……」


 涙の代わりに黒い血を流しながら、嗚咽の代わりに哄笑しながら、彼は泣いていた。そんな彼が、オルテンシアには手負いの魔物に見えて仕方が無かった。


「オ、オズ、君……」


 オルテンシアは笑おうとした。ただ口元が引きつっているだけだとわかっているが、演技を止めるわけにはいかない。彼女の本能がそう激しく訴えていた。


 この恐怖を、彼に悟られてはならない。


「だ、大丈夫。私は、あなたを恐れてなんてない……」

「あは、わかってる。お母さんはいつもそう言ってくれる……、でも、でも……」

「あなたは何も悪くない。悪いのは私。私が悪かったの。だからお願い、もう泣かないで」


 光の無い眼が、オルテンシアをじろりと見た。


「ひぐッ……」


 奥歯で悲鳴を嚙み殺す。


「嘘だ……」


 朽ちた木の(うろ)を風が通り抜けるような、虚しい声。


「また、そうやって嘘をつく……、僕が気付いていないとでも思ってた?」


 オルテンシアは必死でぶんぶんと首を振る。でも、それは少年の目には全く映っていないようだった。


「言ってよ。僕が恐いって。僕がアイツの子供だから顔を見るのも嫌だって! 僕なんか産むんじゃなかったって! 僕を産みたくなんかなかったって! アイツの血が混じっている僕の存在が呪わしいって!」


 オズの潰れた目から、抉れた眼窩から、何かが蠢いていた。


「言えよ! 愛してもいない僕を育てているのは、アイツへの復讐だって! 貴女から全てを奪って! 僕を残した()()にさぁ!」


 少年の顔に穿たれた(くら)い穴から、ぎょろりと真っ赤な眼球が現れた。


「ッ!?」


 否、それはオルテンシアが見た幻覚だった。少年の片目は黒い血をあふれさせる黒い穴のままで、赤い目玉も蠢く肉も存在しなかった。

 少年の垣間見せた憎悪が、恐ろしい殺人鬼の記憶と結びついてしまったに過ぎなかった。


「お母さんが怖がるから……僕の、()()の瞳を怖がるから、アイツと同じ瞳を怖がるから……だから僕は……なのに、なのにお母さんは……」

「……」

「だから、だからなんでしょ? お母さん……首だけになって……安らかに笑ってたのは……、僕から解放されて……、嬉しかったんだよね……」


 もはや、オルテンシアには彼にかけるべき言葉が無かった。ただ呆然と彼を、彼の潰れた目を見つめることしかできなかった。


 彼の言葉を信じるならば、オズの母は魔王に無理やり身籠らされたのだろう。そうして生まれたオズの瞳はきっと片方が空色で、もう片方が魔王と同じ金色だったに違いない。


 だとしたら、彼の目を潰したのは――


「はぁ、はぁ……」


 荒い息をしながら、少年の感情が急速に減衰していった。さっきまでの狂乱が嘘のように、眼帯を付けなおす少年の指先は落ち着き払っていて、口元には微笑みまで浮かんでいた。


「ごめんなさい」


 先に謝ったのは少年だった。


「何か、変なこと言っちゃって」


 オルテンシアはふるふると首を振った。ほとんど本能的な行動だった。彼女自身、心身が疲れ切っていたところに少年から思わぬ激情をぶつけられ、しかも驚愕の事実まで聞かされて、思考能力が完全に停止していた。


 そんなオルテンシアの裸体を、少年は毛布で優しくくるみ、抱き上げた。


「僕は、やっぱり別なところで寝ますね」

「あ、待っ――」


 オルテンシアが引き止める前に、少年は寝室のドアを閉めてしまった。

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