無名勇者の英雄譚 ー中編ー
『仕事の関係上、多くの地に足を運びました。熱帯雨林、砂漠、寒冷地…人が住み、その生活が魔物で危険に晒されているというのなら、どこまでも行きました。そして多くの人が、私に感謝の言葉を述べてくれました』
彼女の生活は一変したらしい。今まで父の背中を追いかけていた人生から…父の背中を継ぐ人生に。
これで彼女は報われたのだろうか…?
『そして毎度、私に同じ質問を投げかけてくれるのです。“名前を教えてください”…その度に私は答えました。“ただの名も無き剣士です”と』
「っ……!」
“名前を教えてください”……一見すると普通の質問に聞こえるが、彼女にとってこの質問はどのように映ったのだろう…?
『そう返していると、いつからか私のことを“無名の剣士”と呼ぶ者が出てきました』
『無名の、剣士……」
もしかしたら彼女が、志度の言っていた“無名の勇者”なのか…?
『しばらく各地を回り、ある日“森に住む主を封印してほしいという依頼が届きました』
「それって、もしかして…?」
『察しの通り、あの怪物です。強固な鱗に覆われた二足歩行の怪物…私が一度封印し、現在目を覚ましてしまった者…』
「……今、仲間が戦ってくれています」
『そのようですね。私と同じ末路を辿ってしまわないか……』
「どういうことですか…?」
『あの者は、こちらがいくら優勢であろうと関係ありません。その魂を何かに憑依させなければ、彼を殺すことはできません』
「……教えてくれますか?その事と…貴方の今についてと」
そう言って、結晶に閉じ込められている彼女の身体を見つめる。
引き締まった腰、控えめの胸…それらが一目で分かる程身体のラインに張り付いた服、腰ほどまで伸びている青髪、目を閉じていても分かるほど端正に整った顔立ち…今も生きているのではと疑ってしまう程、彼女は美しかった。
…それだけに、今の彼女について知りたかった。
『………私も、最初は彼の討伐を試みました。今まで戦ってきた魔物ほどの強さではなかったので、片はすぐに付く…そう思っていました。ですが、何日掛かっても討伐できませんでした』
「何日、掛かっても…?」
『はい。最終的に、私の方が徐々に押され始めてしまいました。流石に何日も通しで戦闘できるほど、私の体力は底無しではありませんでした。
…それでも、全く疲れることなく戦闘する彼を見て、一つの可能性が頭に過りました。彼は、“アンデット”ではないかと』
アンデット…それは膨大な呪力や欲望の塊が、実体を持つ何かに憑依し暴れ回る。言わば動き回る屍の総称だ。
普段アンデットは、人の住むような場所にはあまり姿を見せないはずなのだが…。
『最初は可能性の一つとしてだけで考えてました。ですが、彼の動きを改めて注視すると、特徴がアンデットのものと酷似していることに気付きました』
「どんな、所が…ですか?」
『不意打ちが効かないところ、執念深いところ、動きに溜めが無い所…痛覚が無い所』
彼女が、特徴を思い出すように挙げていく。確かに、今外で暴れているヤツと通じるものはあるが…全て当てはまる訳では無かった。
「今外で暴れているヤツとは…微妙に違いますね」
『恐らく、長い月日封印されていたせいで、完全にあの身体を自分のものにしてしまったと考えています。…彼はもはや、生きる屍です』
「生きる屍……」
『……今彼が何をしようとしているか、私には分かりません。行き先の無い醜い感情が混濁してしまい、彼はもうアンデットの枠を超える何かになりかけているのかもしれません』
「……また、ヤツの魂を封じ込める。ですか?」
『私にはそれ以外の方法が分かりません。今の限られた時間で、彼を鎮める事が出来るのは…それだけしかありません』
「…………」
陽人の頭に色々な感情が込み上げる。またあの化け物と相対することへの恐怖…封印そのものが出来るのかという不安…そして、
彼女はどうして、この結晶に閉じ込められているのだろうか…?
「…いつかまた、詳しい話を聞かせて下さい」
陽人は、それらの感情を静かに胸にしまい込んだ。




