無名の勇者の英雄譚 ー前編ー
『此処へ来て下さって、ありがとうございます』
彼女を見ていると、久しく脳内に声が響く。例の女性の声だ。
「あなたは…誰なんですか?」
この声の主は結晶に閉じ込められた彼女で間違い無いだろう。そう結論付け、陽人は彼女に問いかける。
『私に、名などありません』
すると脳内に、予想外の答えが返ってきた。
「どういう、事ですか…?」
『そのままの意味です。私の両親は、私に名前など与えてはくれませんでした。愛情も、教養も…。両親が私に唯一与えてくれたのは、剣術だけでした』
「………」
陽人は、彼女の言葉に何も返せなかった。その様子を見て、彼女は話を続ける。
『寡黙な母に、自他共へ厳しい父。私とは性格がまるで違う両親を、私は尊敬してました。そして私が幼く未熟なだったお陰か、剣の稽古をしてくれていた父に、対抗意識さえ覚えていました。父を超えてやる、と』
「対抗意識……」
『はい。ですが、そう簡単に超えることはもちろん不可能でした。毎日血を吐くほどの稽古を数年間ずっとしてもらい、やっと対等に戦えるほどでした』
「…」
「父は街では名を馳せた剣士だったようです。性格には多少クセがありますが、剣の腕は一級品。私はそんな父を誇りに思い、そしてどこか…重圧にも感じていました』
「重圧…?」
『はい。“この剣士を父に持つ娘だ。彼女の腕も、相当なものだろう。”と』
「……」
彼女は今までの人生、どのような生活を送っていたのだろうか。名を馳せる剣士の娘として…毎日の激しい鍛錬に耐え、街人からの重圧や目線に耐え…。本当の意味で彼女に、自由や意思はあったのだろうか。
『ですが結局、私が父を超えることは叶いませんでした』
「え…?」
『私と父がようやく対等になってきた頃、父は仕事で戦死しました』
「……………」
今までで一番長い沈黙が、洞窟内に降り立った。
『父の仕事は、正真正銘の剣士で、人々の生活を脅かす魔物の討伐をしておりました』
「…」
もう陽人には言葉が見当たらなかった。彼女にかける言葉どころか…彼女の状況を理解できるほど、陽人の感受性は万能ではなかったのだ。
『その話を聞き、私は父の後を追うことを決意しました。父が今まで多くの人々に平和をもたらした様に、次は私が…と』
そして彼女の心も、そう簡単に折れるほど軟弱ではなかったのだろうか。それとも……。
『そして正式に、父の後釜としての役目を担うことができました。実際多くの人を助け、助けた人より多くの魔物を…屠ってきました』
「そんな…!」
そんな言い方ないだろう、と声が出そうになった。しかし彼女は、その発言を許してはくれなかった。
『哀しい事に、それが事実です。人の脅威となる魔物も、元は私達と同じ生物の一種です。魔物は人類の敵ではなく、生存競争の相手の一つに過ぎないのです』
彼女の言葉にぐうの音も出なかった。少し冷たさを孕んだ声…もしかすると彼女も、無理矢理そう思い込ませているのではないだろうか…?




