生命の淵で彼女は待つ
「はぁ!!」
コレーに向かって全力で突っ走る。今の霞には戦略などなく、ただ真正面から彼女をぶち壊すことしか考えていない。
一振り、二振り目を犠牲にして、三振り目でようやく彼女を捉える。
「…くっ…!」
コレーはとっさに刀を盾にして直接攻撃を避けたが、自身の体よりも大きな大剣によって軽くノックバックを受ける。
霞はとっさに追撃するが、素早く体勢を整えた彼女に剣を受け流された。
「ぐっ…!?」
霞の身体がコレーの前を通り過ぎる際、腹部に強烈な鈍痛が走った。
少しの距離吹き飛び身体を起こしたところで、ようやっと彼女の蹴りを浴びたことを認識する。
(明らかにあいつの方が格上だが…何とか攻防一戦の状況にまで持ち込めてる)
先程までの防戦一方の状況ではない。霞はそのことに微かな手応えを感じつつ、強い意地で立ち上がる。
視界の彼女がこちらに跳んでくる。姿勢を見ると次の攻撃は…突きだ。
霞は素早く彼女の背中側に回り込み攻撃を躱す。すれ違う時に剣を振るうが、彼女もそれを読んでいたか、刀がクッション代わりになって霞の攻撃が直接当たることはなかった。
ただその衝撃で吹き飛んだ彼女は、空中で地面に刀を突き刺して素早く体勢を戻す。
「そこだ…!」
だが、霞にはその行動は予測済みだった。大きい弧を描きながらコレーの方へ跳んでゆく。霞は着地したばかりの彼女を見下ろしながら、両手で振りかぶった大剣を彼女のフードに包まれた頭蓋めがけて振り下ろした。
「おぉぉらぁぁぁぁ!!!」
今まで上げたことのない大声を叫びながら、その大剣は衝突によって轟音を鳴らした。
腹の底に響くような音。ドゴォォォン…という音と共に周囲に濃い砂煙が舞い広がる。
ただ、戦闘はそれで終わりはしなかった。
「はぁ、はぁ…」
乱れた呼吸を急いで整える。この煙が晴れるまで、一瞬たりとも気を抜くことは許されない。
「はぁ…はぁ……っ!?」
狭い視界をあちこち見ていると、濃煙の向こうから黄緑色の光が見えた。
「…霊蝶回帰」
コレーのあの特徴的な声が、死刑宣告を告げるように霞の鼓膜を静かにノックする。
直後、砂や土のせいで黄土色だった霞の視界が緑の蛍光色に染まっていく。
それらをよく見ると、全身を発光させたあの蝶々の大群が襲っていることに気がついた。
「あああぁぁぁ…が、がぁぁぁ……!」
腕が、指が、脚が、頭が…全身が、突如として動かなくなった。
それどころか、先程まで強く燃え滾っていた闘争心も枯れ果ててしまい、ただ全身に走る痛みに耐える事しかできない状態になっていた。
煙は晴れたはずなのに、視界に色彩がない。まるで白黒のテレビを見ているようだ。
「あれをもろに受けても生きているなんて…すごい生命力なのです」
コレーの声が遠くから聞こえる。言葉は聞き取れたが、今の霞にはその言葉に込められた感情なんて分かる訳なかった。
全身の傷が痛い…それに、特に両方の掌が焦げ落ちそうに痛い。
「でも、もうそれも虫の息みたいなのです。…宣言通りコレーが看取ってあげるのです」
白黒の視界の中に、コレーの姿が見える。彼女は自身の刀をこちらに向けており、今にも霞を刺し殺そうとしている。
(あぁ、これなら…痛む事なく母さんに会えるかも…)
自暴自棄になった霞が、突如そんなことを思い始める。
先程までの戦闘は霞の実感以上に霞の身体を苦しめていたのだろうか。安楽死を望み始めた自分に少し驚きを覚えつつも、なぜかその考えが胸の奥にスッと染み込んでいく。
「…は……ら………す」
とうとうコレーの声もほぼ聞こえなくなっていた。視界の中で迫り来る真っ黒な刀を見届けながら、霞はゆっくりと目を閉じる。
「な訳…ねぇだろうがぁぁぁ!!!!!」
突如目が覚めた霞が、コレーの刀を手刀で吹き飛ばす。
続いて、彼女の顔面を蹴りあげて素早く立ち上がる。
「ぐっ…!?」
(あぶねぇ…!あと少しで本当に死ぬところだった……)
直前までの自分の思考回路に冷や汗をかきながらも、何とか正気に戻ってきたことに少しの安堵を覚える。
蹴られた所を痛そうに押さえているコレーをよそに、近くに転がっていた大剣を拾い上げて彼女に剣先を向ける。
「俺は、未土地の人間を全員駆除するまで生き続ける!あんたも邪魔になるって言うんなら、容赦なく叩き潰してやる」
先程までの白黒の視界からまた一転。色彩を取り戻した霞の世界は、力強くしっかりとコレーの姿を捉えている。
「…それが本当に目的というなら、コレーも本気で斬り伏せるしかないのです」
コレーは飛んでいった刀を拾いあげ、その刀身を掌で撫でていく。
すると、深緑だった刀身がどんどん光を帯びていき、気付けば薄暗い森の中を強く照らす光源となっていた。
「さっきまでのお遊びは、もう終わりなのですよ」
彼女の紅い瞳がさらに鮮やかさを増していく。
見るからに強化されていく彼女の変化を視界に捉えながら、大剣と身体を一体にさせるように集中させる。
「いくぞ、パンドラ…」
大剣からドクン、と鼓動を感じた。…これでこっちの準備は整った。
「……っ!!」
「はあぁぁぁぁぁぁ!!!」
コレーと霞が姿勢を低くして同時に走り出す。冷と熱が尋常じゃないスピードで交わる直前、突如現れた何かによって両者とも動きが止められてしまった。
「えっ…!?」
「なっ!!?」
コレーの刀は急停止し、霞の剣はなんと素手でしっかりと止められていた。
「ほら2人とも。遊ぶのは良いけど、こんなところで喧嘩しないの」
直前の雰囲気を思いっきり壊す能天気な声。霞にとって最悪なまでにご機嫌そうな声の主はニッコリと両者に微笑みかけ、そのままゆっくりと霞の剣から手を離す。
「お兄様!!」
急に甲高いウェスパーボイスが霞の鼓膜に響き渡る。
なんと、コレーが急に幸せそうな笑顔でその男に抱きついていた。
「コレーはすごく心配していたのです!お兄様に何かあったらどうしようって…もしお兄様に変な虫がついたらどうしようって、ずっと考えていたのですよ!!」
「あっはは。心配させちゃってごめんね、コレー」
その男はコレーを両腕で優しく抱き止め、フードがはだけて露わになった彼女の緑髪を、ゆっくり撫でていた。
「はふぅ、なのですぅ……」
コレーもコレーで、その手を受けて完全に蕩けてしまっている。
「てめぇ…邪魔するとは良い度胸じゃねえか…!」
攻撃を妨害された挙句こんな茶番を見せられてしまった霞は、完全に殺意をむき出しにして彼に詰め寄る。
すると、冷酷な切先が霞の首に浅く刺さる。
「お兄様をてめぇ、と言うなんて…コレーは許せないのです」
霞が視点を降ろすと、先の戦闘とは段違いの殺意をこちらに向けるコレーの姿があった。
「まあまあ、コレー落ち着いて。僕はこんなコレー見たくないなぁ」
またイラッとくる声が霞の耳に届く。それも気味の悪い程甘い声なのだから、尚更殺したくなる。
「ごめんなさいなのです!お兄様♪」
その言葉に嬉しそうなコレーが男に密着し始める。
霞はイラつきやら気持ち悪さやらで、嘔吐するのを必死に我慢していた。
「じゃあこっちの予定はもう終わったから、一緒に帰ろうか。コレー?」
「はいなのです!お兄様と一緒に帰るのを、コレーはとっても楽しみにしてたのです!」
彼女に優しく微笑みかける男。それに対して、心底幸せそうに腕を絡めて密着するコレー。
どう考えてもバカップル以上に甘ったるいその空間に、霞の二人へのヘイトは止まることを知らずに急激に溜まっていく。
「……っ!」
二人が霞に背中を向けた直後、無意識に霞は斬りかかっていた。
すると緑髪がはらりと揺れ、霞の大剣はドスッと音を立てて近くの木に突き刺さり、肩を掠めるように刀が斬っていた。
男の方は振り向くどころか、何食わぬ態度で歩を進めている。
「お兄様にかすり傷一つ付けようものなら、コレーが絶対に見逃さないのです」
コレーは大きな目を最大まで見開き、その小さな身に溢れんばかりの膨大な殺意を全て霞に向けていた。
完全に動けなくなった霞は、そのあと彼女がトタタと走って男の元へ行くのをただ傍観することしかできなかった。
そして、少し遠くの方で聞こえた化け物の声によって、霞の意識は我に帰った。




