科学者の行方
「俺にとって、分かりやすい…?」
「はい。親しみやすい、って言った方が良いですかね?」
そう言われても、陽人の頭からハテナマークが消えそうにない。
そのことが凰牙の方にも伝わったのか、苦笑いしながら陽人に言う。
「まあ、見たらきっと分かりますよ。それよりこれ、ちょっと読んでみて下さい」
手に持っていた本を、ベッドで上半身を起こしたままの陽人に渡す。
これを読めば良いのか…?
手渡された本は案外軽かった。軽いと言うより、まるで空気を持っているみたいで、何かを渡された感覚が全くない。
「…全然重くない。何なんですか?これ」
「これが“経験”です。文字と本のおかげで認識は出来ても、結局は実体の無いもの。多分、そう言う事なんだと思います」
その凰牙の言い回しに、陽人は少し引っかかりを覚えた。
「それって…月代さんがここを作った訳じゃないんですか?」
「あっはは、違いますよ。私も日笠くんと同じように、ここに飛ばされてたんです。その時の私は理性を失っていましたが、腐っても科学者。こんな不思議な場所に来ては、考察するなと言う方が無理な話です。結果、“事実に近いであろう考察”をどこまでも広げていたんですよ。ですから細かいところの真相は分かりませんが…おそらく、全てが見当外れって訳では無いと思いますよ。ちゃんと実証を重ねたデータ上での考察ですから」
どうやら凰牙は、今までこの世界について調べ尽くしていたらしい。
「そう、ですか…」
また視界を手元の本に戻す。よく見るとその真っ白い本の輪郭は半透明になっており、ずっと持っていたら消えてしまいそうな気がしてくる。
「…この話もそろそろ終わりにしましょう。私は少しここで本の整理をしていますので、何かあれば聞いて下さい」
陽人から離れ、近くの本棚で何か作業を始める凰牙。それを尻目に、意を決して本の表紙に手を当てる。
まるで空気をつまむような感覚。開きにくい事この上ないが、少し時間がかかって本の表紙が開かれる。
(何だ?全部真っ白…?)
表紙の次のページには、文字もイラストも…何も書かれていなかった。
苦労しながらさらにページを捲る。何ページ先を見てもそこには文字は書かれておらず、真っ白な見開きが広がる。
そしてついに、なにも書かれていないままでその本の閲覧は終わった。
「あの、月代さん…?」
これ、何も書いてないんですけど?
そう言おうと思った陽人の口から、続きの言葉が出ることはなかった。
「あ、れ……?」
急に襲いかかる激しい眠気。それは一瞬で陽人の身体から自由を奪い、力なくベッドに倒れる。
「おやすみ、きっと良い夢を見られるよ」
徐々に閉じていく瞼、暗くなる視界の中で、凰牙の静かな声が陽人の全身を優しく包んでいった。




