第1話 前線の揺らぎ
荒野には不吉な突風が吹いている。
風に巻き上げられた砂がスネにチクチクと刺さる中、緑色の肌をしたオークやゴブリンなど、数千の軍勢が隊列を整えて号令を待っている。
彼らの目に映っているのは、今日も行われるであろう激しい戦闘への期待と恐怖だ。
戦場を見渡せる小高い丘には濃い紫の鎧に身を包んだ、大男が堂々と座している。
眼下に控える大軍を指揮する、暗黒騎士バリーである。
今、その鋭い眼光は今日の戦場を睨んでいた。
バリーの目の先にあるものは、憎き人間達の軍勢である。
相対する人間軍の整列が終わっていることは、向こうの土煙の上がり方から見て取れた。
「やはり今日は少し違う」
バリーがそう呟くと、隣から側近が不思議そうに、何がでしょう? と尋ねてくる。
「いやな、今日の布陣は攻撃的過ぎる。急に指揮官が変わったようだな」
「左様ですかバリー様。では、軍師ダエワの作戦が成功したのでしょうか?」
「その可能性はある。現に、軍は動揺してか前線に隙が出ている。こんな事は今までなかった……」
バリーはそう言って、懐から開封済みの手紙を出した。
古めかしいその紙の題にはファンシーな文字でこう書いてある
”スーパーあくまダエワの大作戦2”
「どうやら、これを破らずにおいて正解だったようだな……」
「ええ、腹の立つことですが……」
その手紙には前線に変化があった場合の手引きが、子供の落書きのような汚い絵と共に載っていた。
そして、その中に書いてあるのは、表題以上にファンシーな文字と文体である。
まるで目の前でふざけるダエワの姿形を忠実に投影するようであった。
当初、この手紙の内容を見たバリーはとても軍事指令書などとは信じたくなかった。
しかし、そこにはしっかりと魔王のサインが添えられている。
国のトップである魔王もこの駄文を読んだと考えるだけで、バリーの胃袋はキリキリと痛んだ。
手紙の影響か、ダエワが目の前に居れば「どうしたんですぅ? お腹すいたんですかあ??」と言ってニヤニヤしてるだろうと、バリーは想像してしまった。
そして同時にバリーはこうも思った。
(果たして何年も膠着し続けているこの前線が動くことなどあるのだろうか?)
だが現在、人間達の軍列には歪みと、配置にはいくつかの穴が見られた。
軍事経験の豊富なバリーの眼がそんな隙を見逃すハズはなかった。
ある意味、バリーがそれを見てとるまでがダエワの計画に入っているのかもしれない。
バリーはそう考えると、ダエワのニヤつきを再び思い出し、頭を掻き毟った。
「バリー様、落ち着いてください。で、その手引書にはなんと?」
「ああ。数日前に到着した幹部を前線に送れとのことだ。具体的な作戦は私に任せるらしい」
「なんと……しかも幹部を、ですか……」
バリーの側近は、その大雑把な指示に困惑の表情を浮かべる。
この侵略前線において、魔王軍幹部の役割は軍の管理と指揮だ。
まして彼らは、軍の決定的な戦力であり、勇者からの防衛のために魔王によって選定される貴重な人材である。
それだけに簡単に死地に向かわせるような事は決してしない。
ここ数年は、前線で姿を現すことも稀であった。バリーを除いては。
「ご存じだとは思いますが、こちらに逗留しているのは3名です。どなたを向かわせるおつもりで?」
「それだけは指示があった。来ている者全員だ」
「ぜ、全員!?」
側近は驚きを隠せない。
しかし、作戦を指揮するバリーには、既にその絵図は浮かんでいるようだった。
「お前が驚いても仕方なかろう。まずは連中を連れてこい」
「そうですけど……畏まりました……。しかし、そんな大雑把な指示でバリー様は良いのですか? 貴方様も魔王軍幹部のお一人なのですよ?」
長年バリーに仕えている側近は不遜な事は重々承知で苦言を呈した。
バリーも彼の態度には自分への敬意が含まれている事は承知の上である。
「あまり気負いすぎるな。幹部とはいえ、私は所詮、魔王継承権10位。いくらでも代わりのいる階級だ。
それに現場に任せるという判断自体は悪くないぞ。あれこれ指示されるよりも、戦場を見ながら柔軟に戦う方が私の性に合ってる」
「はあ……。分かりました、バリー様が良いと仰るのでしたら」
側近はそう言って、幹部達に提供しているテントへ向けて歩いて行った。
その去っていく後ろ姿にバリーは、苦労をかけるな、とそっとと声をかけた。
そして、バリーは再び戦場に目を向ける。
向こうには膨大な数の人間軍。
対するこちらには、オーク族、ハーピィ族、ゴブリン族など多種多様な種族がそれぞれの軍を展開している。
バリーは腕を組んで語りかけるように呟いた。
「さて、”国王の矛”殿。今度は私の攻めを味わってもらおうか……」
◇
ーー数日後、とある町ーー
小麦畑には既に収穫された小麦の束が木の物干しに逆さに吊るされている。
大きな風車がぐるりと回り、その木材が擦れる音と小麦をすり潰す音が響いてくる。
そんな風景と音は、住民達に秋の訪れを感じさせた。
しかし、のどかだな、とは言っていられない情報が、人々を騒がせていた。
村の掲示板に集まる人々は、口々に心配そうな声色である。
掲示板には一枚の新聞が貼り付けられており、その見出しにはこう書いてある。
”前線より魔人が侵入”
”新聞によれば、3日前の東の防衛前線にて、戦線の一部に穴が空き、そこから3体の魔人が人間領に侵入した事が確認された”
”騎士達は侵入した魔人達の後を追ったが、それ以降、消息不明”
”方向的に商業都市メルク方面へ向かった模様”
”この失態を受け、軍事都市ゼルバスの管理者であり、第一王子のアルバ殿下の指示で、危険が予測される地域への騎士の派遣が決まった”
ここも田舎町とはいえ、商業都市とカブレスの中継地点となっている。
この事件で住民達は他人事ではいられなかった。
そんな住民に紛れて、スミスも掲示板を眺めていた。
浅黒かった肌はシワクチャになり、彫りも深くなっている。
まるで老人のような姿の彼は、一通り記事を読み切ると紙袋を両手に抱えたまま足早にその場を立ち去った。
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