第20話 飛翔
その巨大な怪翼が朝日を遮った。
竜は、野盗の手によって解き放たれたのだ。
「いいよ、何回でもやってやる!」
レンはそう言って構え直したが、体が悲鳴は悲鳴を上げている。
人質に取られていたエルフの子供を助けるために、限界の体に鞭打って竜歩を使ってしまった。
とても再戦できるような状態では無い。
そのため、今度こそ死ぬと思った。
だが、竜は翼を広げ、風を掴むように動かし始めた。
「おいおい、何してんだ? 奴から離れていくぞ!」
グリアが竜の背で叫ぶ。
しかし、竜の上昇は止まらない。
「黙れ、今の私の体は万全では無い。また奴と戦うのは賢明とは言えん」
「嘘だろ!? 逃げるってのか!?」
「そうだ。そもそも我らの目的は勇者討伐ではない。
偶然奴がここに居て、将来的な脅威になり得ると判断したために余計な時間を食ってしまった。本来の目的を果たさなくては!」
「チッ! 分かったよ!」
そう言いつつも、グリアはまだ納得がいかない様子だった。
暫くは遠ざかるレンを恨めしく睨んでいたが、やがて諦めてレンに向かって叫んだ。
「お前のせいでルイスが死んだ事、絶対に忘れないからな!! 次は必ず殺す!!」
レンはそれを聞いて、背中が重くなる。
ルイスの幻覚が背中にまとわりついてくる。
野盗を乗せた竜はどんどん上昇し、やがては空に消えていった。
それを見ていたレンとエルフ達は、安堵のため息を吐いた。
結局あの竜に聞きたい事は聞けなかったが、自分にとってはこれで良かったのかもしれない、とレンは思った。
脅威が去った安心感からか、強烈な眠気がレンを襲う。
そして、エルフ達の目の前で落ちる様に倒れた。
◇
王都サンドレアは賑わっていた。
毎年この時期は作物の豊穣を神に感謝する祭りが催されている。
路面には屋台が出店し、様々な場所で楽しげな音楽とダンス、盛大なパレードなどが見られた。
この豊穣祭は王都の市民が一年で最も楽しめる日であると言っていいだろう。
人々は笑顔を絶やす事なくこの日を終えると言われるほどに、活気ある行事である。
そんな人々の楽しげな表情を闘技場の窓から見つめる男がいた。
彼は市民の笑顔を見ながら物憂げな表情をした。
そこは、アルド王子の捜索本部としている闘技場の会議室の一角である。
「ベルサック卿、ただ今到着しました」
「ああ。よくぞ来てくれた、ハインド卿」
ベルサックは窓から目を離し、カブレス城から招集した騎士、ハインド卿へ歩み寄り、握手を交わす。
「いえ、ベルサック卿。ご指名いただき感謝しております。して、具体的な引き継ぎはどのように?」
「まあ、そう焦るな。座ってくれたまえ」
そう言われ、ハインドはベルサックに向かい合うように座った。
座ると、入れたばかりのお茶が目の前に置かれた。
ハインドはメイドに一言お礼を言うと、ベルサックに向き直り本題に入った。
「ベルサック卿。道中、報告書に目を通しました。未だにアルド王子と元勇者は行方不明との事ですが、動向は追えているのでしょうか」
ハインドはあまりにも率直に切り出した。
あまりに真っ直ぐな口調に嫌味は微塵も感じさせない。
「ああ。全く情けない限りだ。真紅の魔女アズドラとガロード卿による狙撃魔法で逃走に使われた荷馬車は大破した。
その後、着弾点に兵士を向かわせ、足跡を追うと東の山脈へ向かっているようだった。だが雨のためにで追跡しきれなかったよ」
「そうですか。現場には大量の血痕があったそうですが、誰のものでしょう?」
「不明だ。狙撃を指揮したアズドラが言うには、粉塵で誰に当たったのかは見て取れなかったそうだ。全く、一般兵の観測係なら懲罰ものだ」
ベルサックはそう言って、くしゃくしゃの報告書をハインドに手渡した。
狙撃後、魔女アズドラがベルサックに寄越した報告書であった。
ハインドはそれを一読すると、酷いですね、と呟いた。
その紙にはただ一文、”馬車には当たった”としか書いていなかった。
ハインドもベルサックも、この紙から軍部をあまりに軽視した態度を見て取った。
「では、捜索の起点は東の山脈とその先にある城になりそうですね。ちょうどあの城はアルド王子の居城の一つでもあったはず」
「ああ。だが、その居城でも王子の痕跡すら見つからなかった。そこで捜索の範囲を広げるべきだと考えてな、貴殿に声をかけたのだ」
ベルサックはそう言ってお茶を一口啜った。
「なるほど。捜索拠点をカブレスに移すというのは、そういった理由からですか」
「ああ。ここよりカブレスの方が何かと都合が良かろう。既に手配書も印刷済みだ。帰りに受け取ってくれ」
「ありがとうございます。では、以降の指揮は引き継がせていただきます」
「よろしく頼んだ。貴殿ならば、私も後方に憂いなく発つことが出来る」
「いえいえ、ご期待に添えるような奮闘させていただきますよ」
そう言ってベルサックは立ち上がり、再び窓へ視線を向けた。
「願わくば、息子と豊穣祭を見て回りたかったのだがな、こんな事態でははそうも言ってられん……」
ベルサックは眼下に広がる賑わいを見てため息をついた。
そして、何気なく視線を空へ向けた。
前線で磨き抜かれたその眼には、この場所にあってはならない物が映り込んだ。
「……!! あれは!?」
「どうしました? ベルサック卿?」
「あれは間違いない……! エルダードラゴン!」
ベルサックは振り向き、兵士達に指示を与える。
隊の編成、市民の避難指示を受けた兵士たちは、戸惑いながらも慌ただしく動き始めた。
「間違いないのですか!? 私の目には何も……」
ハインドも窓から空を見るが、とてもドラゴンと思わしき影は点のようにしか見えない。
「ああ! 間違いない! あれは前線で何度も苦戦した相手だ!」
ベルサックはそう言って、兵達に指示を続けた。
すると、会議室に兵士が走り込み叫んだ。
「物見からの急報です! 王都の空にドラゴンらしき生物が近づいている模様です!」
「知っている! 緊急配備だ! 部隊は装備が整い次第南門へ向かえ!」
「「は!」」
ハインドはそんなベルサックの姿を見て、冷や汗をかいていた。
ドラゴンの襲撃など、前線以外では聞いたことがない。
恐らく、王都にとっても初めての経験だろう。
問題は、なぜドラゴンが前線を超えてここまで来ているのかだった。
「ベルサック卿。出来れば竜は生け捕りにした方が良いかと。
話ができるドラゴンであれば、なぜ前線を超えて来ているのか、聞き出す必要があるでしょう」
「そうだな……。安心しろ、私も行く! 貴公にはここの指示を頼んで良いか?」
「もちろん。元からそのために来たのですから」
「うむ、頼んだ」
ベルサックはハインドの肩をポン、と叩いて扉へ足を向けた。
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