第14話 紫の追憶①
それは、僕が11歳になる頃の話だった。
秋風が心地よく道場に吹き込み、修練後の暑さを追い出してくれるよな季節である。
門下生は全員帰宅し、僕は道場の中で祖父と二人きりで向かい合っていた。
まだ、祖父の顔は見えてこない。
かろうじて口元がうっすらと分かる程度である。
「蓮、もう修練を始めて2年になるな。そろそろ口伝の稽古を始めようと思う」
「やった! ずっと待ってたよ!」
祖父は幼い僕の嬉しそうな声にニヤリとしたが、厳かな口調は変えずにそのまま続けた。
「以前教えた通り、現在は8つの口伝がある」
「うん。各代の当主が一つずつ口伝技を作ったって、お爺ちゃん言ってたね」
「そうだ。口伝はそれぞれの当主がその人生をかけて編み出した、奥義の中の奥義だ。そして蓮、お前もいずれ己の口伝を生み出さなければならない。そのことを意識しながら、これからの稽古に励むといい」
「分かった!」
「よし。では、最初に教えるのは『初代口伝:打震竜歩』だ」
祖父はそう言って立ち上がり、道場の玄関に置かれている水槽へ向かった。
僕もその後をついていく。
「蓮よ。この水槽に何匹の金魚がいるか分かるかな?」
祖父が前に立っている水槽は90センチほどの大きさで、水中は若干藻が繁殖して濁っている。
それも、見た目からでは数えきれない程度の金魚が泳いでいる。
とても正確な数など分からなかった。
「えーと……何匹だろう? お祭りのたびに入れてるし分からないな……」
「ふむ。ではちょうど良いな」
そう言って祖父は水槽の側面に優しく叩いた。
トーン、と水槽が鳴り、中の金魚が慌ただしく動き回る。
「18匹だな」
「え!? 数えたの?」
「そうではない。指先の感覚を研ぎ澄ませば物の中の構造や仕組みを把握する事ができる。これが初代口伝の一つ『打震』だ」
「本当にそんな事ができるの?」
「本当さ。ちょうど水も濁っているし、水槽の掃除を兼ねて、金魚を外に出して数えてみようじゃないか」
そして、金魚を清潔な桶に移動させながら数えたところ、本当に18匹だった。
祖父は僕と一緒に水槽を洗いながら、講義を続けた。
「人明流の部位鍛錬では人差し指と親指しか使わない。この理由は分かるな?」
「うん。貫手をより貫通させるためだよね」
人明流における貫手は相手の皮膚を指の力で貫き、筋肉を貫通する。
寝技や絞め技のような拘束状態に陥った時には、この貫手によって相手の腕や足を穿って技から脱する。
これは幾度もの突き指や指骨の粉砕、指周辺筋力の鍛錬を経て完成する。
門下生の中には、人指し指一本で逆立ち歩きをする者もいる程に鍛え込む。
「その通りだ。だがそれはあくまで門下生向けの方便だ。当主は残りの3指も鍛錬する。打震を習得するためにな」
「やっぱり痛いの?」
「痛くはないさ。ただ、少々つらいかもな」
「えー!!」
幼い僕が文句を言うと、祖父は優しく頭を撫でながら言った。
「なに、じきに分かる。それにこの口伝は、他の口伝を理解するためには避けて通れない技だ」
「そっか……。じゃあ、頑張る。そういえば、さっきは打震竜歩の打震だって言ってたけど、竜歩は?」
「それもこれから教えよう。さあ、できたぞ。井戸から水を組んできておくれ」
「うん」
ーーそして視界が歪んだ
夕刻になり、高校のチャイムが鳴った。
僕は調べ物があり、遅くまで学校の図書室に籠もっていた。
チャイムを聞くと、もうこんな時間かと、荷物をまとめる。
受付の図書委員の女の子も退屈そうにあくびをしている。
僕は2冊の本を借りると、図書室の扉を開いて下駄箱へ向かった。
図書室のある新棟と教室のある旧棟をつなげる連絡通路を歩く。
窓からは西日に照らされた中庭と息を切らせている陸上部の部員達が見えた。
どうやら彼らは直前まで練習していたらしい。
皆肩で息をしながらも、真剣な眼差しで顧問の話を聞いている。
「あれが青春ってやつなのだろうか……」
「そうですよ。先輩もいかがですか?」
「うっわ!!」
唐突に後ろから声をかけられて心臓が飛び出しそうになった。
振り向くとそこには、僕の後輩の”@¥舞”が悪戯な笑みで笑っている。
「びっくりした。急に現れないでよ」
「ふふふっ。まさか先輩の背後を取れる日が来ようとは」
「あーもう、全く気配を感じなかったよ。上達しているようで何より」
「あら。褒めてくれるんですか? ふふ。この調子で行けばいつかは一本奪えそうですね!」
「お手柔らかにね」
この舞という後輩は僕の一つ下の学年で、人明流の道場に通う門下生の一人でもある。
彼女と初めて会ったのは高校ではなく、道場でだった。
彼女が入門して初めて同じ学校だと分かったのだ。
人懐っこい舞は、すぐに道場に馴染み楽しく稽古に来てくれる。
男ばかりでむさ苦しい道場のアイドルの一人である。
ちなみにもう一人は、母さんらしい。
母さんも満更でなさそうなのは、息子として非常に辛い気持ちになるので是非止めていただきたい……。
「先輩、先輩! やっぱり部活やりましょうよ!」
「やだよ。道場の稽古があるし、色々と忙しいし」
「言い訳は結構! 先輩はそうやって学校生活から逃げてるんですよ!」
はっきり言うな〜。
と思ったが、その通りなので肯定しておく。
「まあね〜〜学校なんてない方が楽だし」
「NOォォ! 短い青春の時間をそんなふんわり過ごしてどうするんですか!? 残された2年間は精一杯生きてみましょうよ!」
「寿命みたいに言うな。それに今から部活に入ったって遅いんじゃないの?」
「先輩! よく聞いてくれました!」
その言葉を待ってましたと言わんばかりに、舞のテンションがまた上がる。
こうなると、基本的に人の話を聞かないところは、彼女の悪い癖だと思ったが、口を挟むのは止めておこう。
彼女なりに僕のことを考えてくれているようだし。
「確かに2年の先輩がこれから入部するのはハードルがありますよね? でも、ご安心下さい! 現在、人数の少ない部活動があります! そこでなら、少数でワイワイと青春できるじゃありませんか!?」
「それって……。舞、君が入ってる奏曲部のことかい?」
「う゛ッ! なぜそれを……」
「口調。セールスマンみたいで胡散臭い」
「せんぱい!」
舞は子供みたいな声を出して僕の袖を両手で引っ張った。
「お願いですから! 週に2回顔を出すだけでいいですから〜! 演奏会とか楽しいですよ! 月に1回やってるので、それに向けて曲の練習したり、楽器のメンテナンスしたり、みんなでお菓子食べながら曲の感想言い合ったり!」
子供が駄々をこねるように、彼女なりのアピールポイントを叫んでいるが、当の僕には全く響かない。
「舞。お誘いは嬉しいけど、僕が求めてる青春は週に1時間程度で得られるくらいのお手軽なものだ」
「青春ってか学校生活舐めんなよ!?」
一悶着ありつつも、今日は二人で帰る事になった。
下駄箱に着くと、僕は靴を履き替えて校舎の出入り口で舞を待つ。
だが、靴を履き替えるにしてはあまりにも遅かった。
僕は少々心配になり、舞のところへ様子を見に行く。
1年生の下駄箱へ顔を出すと、舞は靴箱の前で固まっていた。
「舞。どうしたの?」
「あっ……せんぱい……」
舞の顔はすっかり青ざめている。
「どうした!?」
心配になり、舞に駆け寄った。
そして震える彼女の肩に優しく触れた。
「舞。落ち着いて。なにがあったの?」
「そ、その……。そこ……」
舞は開いている下駄箱を指さした。
そこにあったのは、大量の舞の写真だった。下駄箱の内側全てを覆っている。
その全てに赤字で舞へに愛のメッセージが書かれていた。
その文章には明らかな狂気がにじみ出ており、僕も思わず恐ろしくなった。
ーー再び視界が歪んだ
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