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第10話 技法の抽斗


森の暗闇の中、焦るレンとエバルコの攻防は続いていた。

レンはエバルコの繰り出す棍棒を避け続け、エバルコは逃げ回るレンを追い詰めようと、ひたすら棍棒を振り回す。


だが戦況は膠着状態だった。


エバルコの頑強さと俊敏さにレンは攻め手を欠き、レンの未来予知のような勘の冴えと自由自在な間合いの取り方にエバルコも苦戦していた。


「この! 早く、潰れろ!」


エバルコの動きを完全に読み、レンは次々と迫る棍棒を躱す。

苛立つエバルコとは対照的に、レンは急かす自分の感情を抑えて、この強敵を分析し直していた。


このエバルコには、グリアという魔法使いの手によって、恐らく二つの身体強化魔法が付与されている。


一つは俊敏さの強化、二つ目は防御力の強化である。

それに加えて、エバルコ自身の怪力もまた厄介であった。


避ける方向の選択を一回でも間違えれば、恐ろしい一撃を秘めた棍棒が襲い掛かる。

その威力は、地面に空いた巨大な穴が物語っている。


かといって、反撃を喰らわしたところで、レンの拳では擦り傷程度しかダメージを与えられない……。


襲いくる棍棒を紙一重で躱しながら、レンは思考を止めて、自身の技を一度見直す。

分析した上で、エバルコに通用する技を少ない記憶の中から探るために……。


攻防の最中、レンが想起したのは、古めかしい和箪笥だった。


どこまでも横に伸びたその箪笥。

あまりに長すぎて、左右の両端はモヤにぼやけて見ることも出来ない。

レンはその長い箪笥の前に立ち、数多くある抽斗の一つに手をかける。

その引き出しにはこう書かれていた。


『上段受け 内』


人明流の基本技の一つである。


その横の|抽斗には、『上段受け 外』『中段受け 内』『中段受け 外』と続いている。

そんな多くの引き出しの一つ一つを指で確認しながら、レンは和箪笥の右へと視線を向けて歩き始める。


そうしている内に、立ち止まり、その一つに手をかける。

その抽斗をゆっくりと開けると、顔の見えない祖父の声が彼の中に響き渡る。


『蓮、この技は危険だ……。あまり多用するなよ。使う時はよっぽどの緊急事態のみだ』


そうして、レンの視界が現実に引き戻される。


目の前に迫る棍棒を、一歩下がって躱した。


「もう! いい加減にしろ!」


エバルコが焦れた様にそう言った。

レンもそれに応じる。


「うん、もう終わらせよう」


レンはそう言って、背後の森に退がり、暗闇の中に姿を消した。

それを見たエバルコは逃すまいと、その姿を追った。


「待て! 逃げる気か!」


エバルコは奇襲を警戒しながらも暗闇の中を見回すが、森の暗さでレンの姿は見えない。


すると、目の前の茂みからガサリ、という音がした。

エバルコがすかさずそこへ棍棒を振り下ろした。


ドスン!!! という音が森に響く。


棍棒から確かな手応えを感じ、今度こそやった……とエバルコはほくそ笑んだ。


そして、エバルコはレンの生死を確認しようと、攻撃によってその大きく窪んだその場所を見た。

そこにあったのは、腐って柔くなった丸太であった。



次の瞬間、エバルコの意識は暗闇の中に溶けていった。




人明流は江戸時代初期に創設された古流武術である。

その源流はかつて北条家に仕えていた風魔一族の暗殺武術。


風魔一族は江戸幕府の手により壊滅させられたとされているが、開祖はその唯一の生き残りである、志野文忠という人物だ。


戦国時代よりも平和になったとはいえ、江戸時代初期も争いは絶えなかった。

彼は、そんな時代に生まれ、様々な戦場で風魔流の暗殺術を使い、生き残ってきた。


そして、戦場での経験と風魔流の暗殺技術を組み合わせ、後に体系化したものが、人明流であるとされている。



今現在、人明流の9代目当主にあたる、レンが使った技は源流の暗殺術に近い技の一つである。

その技名は”空首落とし”。


その全容は以下の通りである。


まずレンは、森の暗闇に紛れエバルコの視線から外れた。

そして、慌てて追ってくるエバルコの背後の茂みに潜み、機を伺った。


警戒しながらもレンを探すエバルコの正面の茂みに石をそっとなげ、あえて音を立てる。

エバルコの注意がそちらに向き、棍棒を振り落とした後、そこに隙が生まれる。


レンは油断したエバルコの背後から右腕を首に回し、肘の内側を使って頸動脈を締め上げたのである。

現代の武道における”裸締”、格闘技では”チョークスリーパー”の体勢である。


違うのは締め上げている腕の拳が開手となっている点だ。

これにより、”空首落とし”が完成する。


現代武道における締め技の修練は徹底した管理のもと指導されている。

なぜなら、頸動脈を圧迫することは人体にとって非常に危険であるためだ。

流派によってはこれを禁止としているものもある。


だからこそ、完璧に決まった締め技は1秒も経たず相手の意識を消失させる事ができる。

エバルコもまた同様に、レンの『空首落とし』を認識する前に、意識を失ったのである。


エバルコの巨体がズシン、と大地に平伏した。

レンはエバルコが地面に着く寸前に首から腕を離し、着地していた。


「よし! アルド達の所へ急ごう!!」


レンは、エルフの里の明かりが灯る方向へ足を向けた。




キャリバン一家の頭目、グリアの登場によって戦場は雰囲気を変えていた。

エルフ達は一塊になって防衛拠点を築き、警戒心を高めている。


一方の野盗達もグリアの姿を見て、恐れを顕にしている。

その理由は彼の使う魔法の特性にあった。


グリアの使う魔法は付与魔法のみである。

自身の仲間達に、防御性と俊敏性を付与できる『ペイン・アクセル』。

武器に強烈な雷を付与する『サンダー・エンチャント』の2つである。


しかし、『ペイン・アクセル』には副作用があった。

魔法の効果が切れると途方もない痛みが全身を襲うのだ。

それこそが『ペイン・アクセル』と名付けた所以であった。


ほとんどの野盗達はこの副作用を恐れたが、グリアは問答無用で魔法を使った。


『ペイン・アクセル』


グリアがそう唱えると、青い光が周囲に巨大な魔法陣を形成した。

そして、その陣の中にいた野盗達は慌てて立ち上がり、武器を構え直す。


「早く片付けろ。首尾よくやれば解除後の痛みも和らげてやろう」

「へ、へい……」


野盗達は口々にそう言いながら、先ほどとは比べ物にならない程の速さでエルフ達に襲い掛かった。


そのあまりの速さにエルフ達は面食らう。

その猛攻に防衛拠点は解け始め、じわじわと防衛線が下がっていく。


「まずい!! 回復班、急げ! 戦える者は拠点の防衛に回れ!」


アルドは後方で指示を出しながら、自身も治療魔法でエルフの一人を手当てしている。


「うおおおお! やばいぞこれ! 槍が通らねぇ!」


防衛前線のスミスも苦悶の声を上げる。


野盗達の猛攻と手の早さに、エルフ達とスミスの防衛陣形段々と崩れていく。

エルフ達の連携も少しずつまばらになり、隊列の隙間が広くなる。


その隙間目がけて、一人の野盗が突撃し、防衛陣が抜かれてしまう。


「おい! やば……!」


スミスが気が付いた時には遅かった。

既に野盗は、彼の槍が届く範囲にはいない。


侵入した野盗は通路をまっすぐ走り抜け、指揮を続けるエルフの族長目がけてナイフを振りかざす。


「危ない!!」


その瞬間、アルドが族長を突き飛ばし、彼は背中に凶刃を受けた。


「ぐっ!!」

「アルド様!!」


野盗はさらなる追撃を加えようと、ナイフを振った。

しかし、治療中だった屈強なエルフの一人が、怒りの表情でその野盗を蹴り飛ばした。


腹に重い一撃を食らった彼はそのまま後方へ飛ばされ、地面に落ちる。


一方のアルドは重症である。

背中に突き立てられたナイフからは血が滴っている。

しかし、アルドは脂汗をかきながらも立ち上がり、族長に向かって言う。


「大丈夫だ、心配するな! それより早く建て直しを!」

「アルド様っ……!!」


アルドの震えている手足を支えながら、族長は戦場へ声を張り上げる。


「戦士達よ! 案ずるな、アルド様は無事だ!

だが今ので傷を負われた! 我らの恩人を傷つけた事を後悔させてやれ!!」


そして、アルドの無理を承知の上で、エルフ達はうなずいた。

前線で戦っているエルフ達にもその思いは伝わった。


エルフ達は怒りの形相で野盗達の猛攻を防ぎ続ける。

だが、それでも限界はある。

想いだけではどうにもならない程に強化された野盗達の猛攻は重かった。


ジワジワと下がる防衛線を見て、アルドがもはやこれまでか、と諦めかけた瞬間、戦場に声が響いた。


「そこまでだ!! 全員こっちを見ろ!!」


グリアの首に小ぶりのナイフを突きつけられていた。


「全員武器を下ろせ! じゃないと、この男を……殺す!」


震える指でナイフを握りしめていたのはレンであった。




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