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第77話 三代口伝 剛侭



 血が、白い床にポタポタと落ちた。


 「ば、馬鹿な……!」


 ガロードの表情は驚愕に歪み、思わず声が震えた。


 騎士ガロードは全力で剣を振り抜いたはずであった。


 磨き上げた白刃に一切の綻びはなく、魔力で強化した膂力には一切の衰えはない。

 人間の腕など、絹を裂くより簡単だ。

 簡単なはずだった。


 だが、目の前にある現実が語るのは、常識を遥かに凌駕していた。

 

 レンの腕は無事であった。


 刃は皮一枚を切って完全に止まり、傷口からほんの少し血が垂れている。

 

 「くそ……!」


 岩石に剣を鷲掴みにされたような、不気味な手応え。

 剣に力を入れるが微動だにしない。

 引こうと、押そうと、無為に力が籠るだけであった。

 

 「貴様……! 何をした!!!」


 唾を飛ばして怒るガロードに対し、レンは静かに囁いた。


 「三代口伝、剛侭(ごうじん)……」



 三代目人明流当主、志野(しの)(かがり)

 この男の物語は、まさに大嵐であった。


 この世に生を受けた瞬間、母を亡くし、父と二人、人情と刃傷ひしめく江戸で育つ。


 齢七つの頃、江戸史上最大の大火事、明暦の大火を被災。

 父であり、二代目人明流、志野灯次とはその時に死に別れ、天涯孤独の身になる。


 鎮火し、焼け出された大量の亡骸と惨状を見て、志野篝は逃げるように江戸を離れた。

 父と懇意にしていた木材商の助けを借り、廻船に独り乗り込んだ。

 

 そうして彼が辿り着いたのは飛騨高山。

 そこから数十年、山で孤独に生きた。


 豊かとはいえ、最初は穏やかとは言い難い暮らしであった。


 熊に幾度となく襲われ、その度に命懸けの戦いを経験した。


 彼の命を救ったのは、いつだって父から教わった人明流の技。

 江戸で何もかも失った篝だったが、人明流だけが唯一の拠り所であった。


 修練すれば真剣な父の顔が浮かび、技を習得すれば喜んで誉めてくれる。

 なので、すがる様な思いで鍛錬に明け暮れた。


 そうして体と技が成熟しきる頃、7尺(約2.2m)の大熊を投げ飛ばし、高山の生態系の頂点に達した。



 やがて”高山に大天狗が出る!”という噂が城下町で囁かれるようになった頃、一人の男が会いに来た。


 その男こそ、初代横綱 明石志賀之助。


 その瞳と巨躯に備わる闘気は大熊の比ではなく。

 その日、篝青年は世界の広さをその身を以て味わった。

 

 志賀之助に見込まれた篝は、江戸に舞い戻る。

 飛騨高山に足を踏み入れて、十年もの歳月が流れていた。

 

 江戸に着くと、民衆の声と汗、笑顔でむせ返りそうになった。


 あの地獄から十年。

 武士、商人、農民……多くの人々の尽力で、江戸は元の活気を取り戻していた。

 

 しかしながら、刃のギラつく夜も十年前と変わらない。

 特に、日の本一の力士ともなれば、悪漢や浪人に付け狙われる。

 

 土俵で闘う職務を帯びる志賀之助を、そういった輩から守る事が、志野篝生涯の職務となった。


 襲い来るのは日本一の功名に惹かれた強者達。

 そのどれもが生半可な実力ではない。


 向けられる凶刃を、己の腕のみで退け続けた。

 

 無慈悲な自然と、強欲な市井が育んだ、その絶技。


 その名は”剛侭(ごうじん)”。


 己が肉体を以て誰かを守り、敵対者を誅する鋼の意思そのもの。



 ◇


 ガロードの剣を持つ手に力が籠り震えた。

 だが、レンの片腕に差し込まれたその剣は、ピクリとも動かない。

 

 一方のレンもまた光る鎖に拘束されている。

 本来なら避けるべき斬撃を受け止めたのは、そうせざるを得なかったからである。


 騎士の刃を受け止める瞬間、突如として膨れ上がった上腕二頭筋。

 それは肉の筋で剣を挟み込み、手を使わずして握り締めた。


 一見豪胆に見えるがその実、繊細で微細な筋肉操作を必要とする。

 それを可能にしているのが、特殊な呼吸と緊張法である。


 レンは短く細かい呼気を繰り返しながら、筋肉へと酸素を送り続ける。

 

 果たして人体にこのような事が出来るなどと、この世界の誰が発想できようか。

 

 「貴様、本当に人間か……!?」

 「人間だとも、貴方と同じだ。そして、君が殺した彼女もそうだった!!!」


 レンの叫びが礼拝堂にこだまする。

 その声に、騎士の腕が一瞬ゆるんだ。


 レンはその隙を見逃さず、鎖のまとわりついた右腕を弛緩させた。

 

 ”剛侭”によって拘束されていた刃がスルリと抜ける。

 同時に緩み、たわむ鎖。


 そのたわみを利用して、レンは剣を絡め取った。

 

 そのまま落ちる剣。

 切先には、ガロードの足先。


 まるで釘を打ち付けるように、レンは柄頭へ肘鉄を落とす。


 ガスン!!!

 

 鉄靴を貫く音が鈍く響き、騎士の息が一瞬詰まる。


 「……!!」


 だが、その反応すらレンは待たない。


 纏わり付いた鎖に引かれるまま、彼は上半身を脱力。

 倒れるように上下逆さへ翻り、下半身に”剛侭”を効かせる。


 そうして放った渾身の卍蹴(まんじけ)り。

 空手流派の一つ、躰道にもあるその技は、拘束された状態であろうと反撃を約束する。


 「が!!!!!」


 騎士の顔面にレンの右前足底が、めり込んだ。


ご拝読ありがとうございます!


よければ、ブックマーク、ご評価、ご感想いただければ嬉しいです!!

創作の力となりますので、何卒お願いします!!

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