第73話 赤の追憶③
夕刻。
一日散々遊びまわった僕らは、最後に観覧車に乗っていた。
沈みかけた太陽が、僕らの顔を暁に染める。
「先輩、ありがと。今日はサイッコー! ここ最近で一番楽しいかも!」
舞は無邪気に顔を綻ばせ、正面に座る僕に大きな笑みを向けた。
「見てれば分かるよ。まあ、僕も楽しかったけどね」
いつもの他愛ない会話。
しかし二人きりの密室というのは不思議なもので、自然と口数が減っていく。
妙に静かな舞に違和感を覚えたが、まあいいか、と黄昏れる。
半分沈んだ夕陽をぼうっと眺めているだけで、何だか癒された。
「……せんぱい、あのね」
そう呟き、舞は唐突に隣に座ってきた。
黄昏ていた僕は不意を突かれたが、神妙な彼女の声に思わず背筋が伸びた。
「……うん。なんだい?」
いつもの何気ない調子で聞き返す。
舞はもじもじと指を絡ませていたが、何かを決意したかのように指をギュッと閉じた。
「……その、ありがとう。いつも私を守ってくれて。せんぱいが居なかったら、私、学校どころか、外出も出来なかったよ」
「そんなに大した事じゃないよ。だって、舞と登校するのはいつものことだろう?」
「ううん! 違うの!」
舞がガバッと立ち上がった。その勢いで、ゴンドラが僅かに揺れる。
「せんぱい、私ね、毎朝玄関を開けるのがすっごく怖いの。怖くて、怖くて、今まで何度も挫け掛けた。大好きだった朝の空気が、家族の忙しない音が、今では苦痛。ああ、また朝が来ちゃったなって、布団からも出たくなくなるの」
見知らぬ誰かに見られているという恐怖。
それは、当事者にしかわかり得ない事だ。
僕には想像も出来ないような畏れを、苦痛を、彼女は毎日毎日……。
それでも彼女は、毎朝変わらぬ笑顔で玄関を出る。
それがどんなに大変で、どんなに辛く、どんなに凄いことか。
「でもね! 玄関を開けたら、せんぱいが居る! そう思ったらね、私、何でも出来る気がして、気が付いたら扉を開けてるの!」
太陽のような笑顔がそこにはあった。
夕焼けに照らされた彼女の強がりが、今は何より美しく見える。
そんな彼女のあまりの健気さに、僕は突き動かされた。
「あっ……」
気が付いたら、抱きしめていた。
それがどんな意味かも考えず。
舞の小さな肩に、腕を回しながら僕は言う。
「舞……君は十分頑張ってるよ。四島先生も君のご家族だってよく知ってる。僕だってそのつもりだ」
「……褒められ、ちゃった。へへ……」
照れ隠しを言いつつ、舞は抱きつき返して顔を埋めた。
押し付けられた彼女の額からは、しっかりと熱が伝わってくる。
しっかりと抱き合いながらも、僕は真剣な声を出す。
「舞、本気で言ってる。君の頑張りを知ってるからこそ、無理はしないで欲しいんだ。怖いと思ったらいつでも言ってくれ。弱音くらい簡単に吐いてくれ。お願いだ」
「……うん。せんぱいが、そう言うなら、しょうがない、な……」
ポツリと、上ずった呟き。
それを最後に、彼女の強がりが終わった。
そうして堰が壊れたように、舞は泣いた。
抱き合う二人を乗せたゴンドラは、日が暮れるまで、回り続けた。
◇
日は沈みきり、空はすっかり暗くなっていた。
舞のご両親に心配をかけたくないので早めに帰したかったが、彼女の化粧直しに思った以上に時間がかかった。
今は電車で移動中。
休日の中央線はやや混み合っている。
次の西八王子で降りてバスで一時間。
それが僕らの住まう田舎町への帰路だった。
「一応、家に連絡しておいてね。予定より遅くなっちゃったから」
「先輩のせいですよ〜。お化粧直さなくちゃいけなくなったのは〜」
「ちょっと! 誤解されるような事言話ないでよ」
冗談めかして微笑む彼女は上機嫌だ。
泣いたお陰か、普段の舞に戻りつつあった。
「次の駅だね」
そう言って、僕は舞の手を握った。
「……せんぱい、誤解とか言っておいてそれですか……?」
「降りる人が多いんだから仕方ないだろ?」
平然と言い放つが、舞は少々不貞腐れたように僕を睨む。
何が不満だと言うのか。女心というのは分からないものだ。
そうこうしている内に電車が止まった。
降りる駅だ。
車内のほとんどの人は、排水溝へ流れ出すみたいに開いた扉を潜ってゆく。
僕と舞は、その列の最後尾。
この幸い、次の乗車客は居ないようだ。
僕を先頭に二人で扉を跨いだ。
扉から出た瞬間、僕は立ち止まった。
後ろ手の舞が僕の背中に当たり、不思議そうな声を出す。
「せんぱい……? どうしたんですか?」
「ごめん、舞」
手を離して振り返り、彼女の肩を両手で押し込む。
「受け身取ってね」
「へ……?」
華奢な彼女の体が車内に転がり、すぐ様飛び上がる。だが、その瞬間、電車の扉が閉まった。
流石ウチの道場で稽古してるだけあって、見事な受け身だ。
「せんぱい!! 何で!?」
電車の窓越しに、舞の戸惑った表情が映る。
「ごめん、先に帰ってて! 高尾からでもバスはあるでしょ!」
「せんぱい!! 待ってよ!! せんぱい!!」
電車が動き出す。
僕は戸惑う舞に、小さく手を降って、戸惑ったままの彼女を見送った。
「さてと」
電車が行くと、僕は振り向き直す。
そして、ホームで立ち尽くす一人の男に目を向けた。
男はフードを深く被り、静かにこちらを見ていた。
この男、遊園地を出てからというものずっと僕らを付けていたのだ。
舞への視線を僕が壁になってガードしていたため、彼女には気付かせなかった。
だが、僕はしっかりと感じ取っていた。
その視線に込められた殺意を。
「お互いここじゃ話せないだろ。ホームから出ようじゃないか」
フードの男は動揺しつつも、ただコクリと頷き返した
視界が歪んだ。
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