表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

182/198

第71話 赤の追憶①


 セミの声が耳を擘く八月中旬。

 僕は道場で一人、祖父を待つ。


 夏だ。

 大きく開け放った扉や窓からは生暖かい風が入ってくる。

 そんな風でも、修練後の汗まみれの体には有難かった。


 床に寝転び、ひんやりとした感触を全身で楽しむ。

 火照った体が心地よく冷め、目蓋を閉じていたら眠ってしまいそうだ。


 なに、爺ちゃんが帰ってくるまでまだ時間はある。

 何しろ道場から少し離れた倉まで出てるんだ。目当ての品を探す時間も加味しても、あと十数分はゆっくりできる。


 そう考え、大欠伸。

 

 そして、いつの間にか帰っていた祖父と目が合った。


 「うわ!! ごめんなさい!!」


 飛び上がり、即座に正座。ビシリと背筋を伸ばす。


 だが、僕の眼前に居たはずの祖父の姿が忽然と消えた。

 四方を見回してもどこにも居ない。


 それもそのはず。

 だって、僕の背後へ回り込んでたのだから。


 次の瞬間、祖父は般若のような顔で僕の道着の後ろ襟をむんずと掴み上げた。

 

 「たるんどる!!!!!」


 一喝と同時に僕はフワリと宙を舞う。

 そしてそのまま床へ落下。

 辛うじてだが、受け身は取れた。


 「蓮、常に警戒を怠るな。いつも言ってるだろう」


 床に仰向けの僕に、そんな言葉を投げてくる。


 「いやいや、爺ちゃん。音も立てずに近寄ってくる人にどう警戒しろってんだよ」


 僕の中では真っ当な反論だ。

 築30年、木造建ての古びれた道場で、床の軋む音一つ立てずに襲撃してくる。

 そんな妖怪を相手にどうしろと。


 「神聖な道場で寝転がるからじゃバカタレ」


 然もありなん。

 実に正当な指摘だった。

 反論の言葉もなく仰向けに倒れていると、祖父が持っている物が目に入る。


 「で、それがご先祖様の品?」 


 起き上がりつつ、祖父が片手に持った台紙に目を指さした。

 このままでは説教モードに移行しそうだったので、思い切り話題を逸らしにかかったのだ。

 

 祖父の眉間にシワが入った。

 僕の魂胆はバレているようが、祖父はため息を一つつくと、台紙の表を見せてくれた。


 僕は思わず目を見張った。


 そこにあったのは、手形だった。

 墨汁に漬けた手を押し付けたものだろう。


 驚くべきは、その大きさ。

 とても人間の手形とは思えない。

 三十センチ定規でも測れるかどうかと言うくらいだ。


 「でっか!!」

 「これが初代横綱、明石志賀之助の手形じゃ」

 「この人が三代目!?」

 「違うわい。お前、最近ワシの話を聞かなくなってきたのう」


 呆れつつ床に座り込んだ祖父は、話を続けた。


 「さっきも少し話したが、三代目はこの横綱の近衛。つまりは護衛をしておった」


 そうして祖父は話し聞かせてくれた。

 三代目人明流の壮絶な半生を。



 ◇


 話を聞き終わり、庭に出た祖父と僕。

 これから、三代目が生み出した口伝の指導が始まるのだ。


 祖父の指導はいつも単純。

 技をやって見せ、それを真似させる。

 なので最初はいつも実演から入る。


 ところで、なぜ外に出るのだろう?

 そんな僕の疑問は、祖父が手にした日本刀を見て消し飛んだ。


 「爺ちゃん……それ、何に使うの?」

 「刀の用途などひとつじゃろう。だがまあ、これからやるのは本来の用途とは違うがな」


 勿体ぶった言い方をして、祖父は庭の中央に立った。

 刀を抜き出し、鞘を芝生に投げ置く。

 そしてもう片方の手に、古びた木刀を持った。

 

 「ワシが教わった頃など、無茶な指導をされたもんじゃが、お前はまだ幼い。まずは見て覚えなさい」

 「う、うん」


 幼いと言われて少しムッとしたが、口答えする気には成れなかった。

 祖父の持つ刀が、あまりにも怪しく、恐ろしく光っていたからだ。


 「まずは試し斬りじゃ」


 そう言って、祖父は刀を真上に投げる。


 ゆっくりと縦に回転しながら、祖父の頭上に刃が落ちる。

 

 「爺ちゃん!!!」


 危ない。

 そう叫ぼうとした瞬間、祖父は軽々と半歩ずれて躱し、片手の木刀を掲げる。


 掲げられた木刀は、音もなく切断された。

 まるで果物でも切るみたいに、スルリと刃が降りたのだ。


 そのあまりの切れ味に、僕は唖然とした。

 祖父は僕のそんな表情を見て、快活に笑う。


 「はっはっは! 良い切れ味じゃろ! 一晩かけて研ぎ直した甲斐があったわ」

 「ええ……笑ってるよこの爺さん……」


 変な物を見る視線を送るが、祖父は気にせず突き刺さった刀を再び持ち、高い青空を見上げた。


 「驚くのはまだ早いぞ、蓮」

 

 言った瞬間、再び刀が宙へ舞う。

 祖父の手から離れた刀は、回転しながら風を斬り、先程よりも遥か高くへ昇っていく。


 「切れ味を確認するため木刀で受けたがな、今度は違う」


 言葉と共に、祖父の頭上で刀の上昇が終わ李、掲げられた腕目掛けて落ちてくる。

 腕が切断されると、子供にも想像できる。


 咄嗟に僕は、祖父の言いつけも忘れて駆け出した。

 

 「爺ちゃん! 危ないって!」

 「よく見ておきなさい。これこそが人明流三代口伝、剛侭だ」


 祖父を突き飛ばそうとした両手はあっさり制され、僕は祖父の目前で尻餅をついた。

 見上げた先には、祖父の微笑。

 そして今まさに、枯れ枝のような腕に鋭刃が降りた。


 ーーザス


 僕の真横の地面へ、重たい音が突き刺さる。


 「これ、危なかったではないか。離れていなさいと言っただろう」


 祖父の至って冷静な声。

 

 それでも僕は呆然としていた。

 とてもじゃないが、信じられない事態が目の前で起こったのだ。

 

 か細く、しわがれた老人の腕は、刃を弾いて見せた。

 刀は岩にでも当たったように宙で弾み、そのまま落ちてきた。


 「じ、爺ちゃん……ケガは……?」

 「あるわけなかろう。ほれこの通り」


 乾いた皮膚には浅く真っ直ぐなシワが入っていた。

 だが、血の一滴たりとも流れてはいない。


 木刀ですら容易に両断する刀が、驚くことに、この老人の腕には傷一つ付けられなかった。


 事実を飲み込み切れず、僕はひとまずこう言った。


 「……今度危ない真似したら婆ちゃんに言うからね」

 「それはやめて」


 視界が歪む。


ご拝読ありがとうございます!


よければ、ブックマーク、ご評価、ご感想いただければ嬉しいです!!

創作の力となりますので、何卒お願いします!!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ