表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

173/198

第62話 ウルド王子の祈り


 同時刻、ウルド王子の研究室。


 そこは以前と同様、書物が散乱し、至る所に紙の山を作っている。

 見渡す限りの紙の積雪に、埃っぽい床には足の踏み場もない。

 

 その劣悪な惨状を他人が見たとしたら、間違いなく眉を潜めるだろう。

 しかし、主人であるウルド王子本人は、この部屋の有り方を大いに気に入っていた。


 山と積まれた書物。雑多に書き込まれた紙の束。床に捨て去った着想のカケラ達。

 それらは皆、ウルド自身を形作る要素と言って相違ない。


 生まれた時から王子としての品格と、誇りある振る舞いを強要されてきた。

 抵抗など、一切出来なかった。

 なぜならそれらは、周囲の期待や羨望といった形で押し付けられるからだ。


 彼自身、それは宿命であると無理やり納得せざるを得なかった。

 王子に生まれた以上は、仕方のない事なのだと。


 だが、この汚い研究室は、その事実を真正面から否定してくれる。


 ここでは王子ではなく、一人の探求者として自分を肯定できるのだ。


 そんな幻想めいた確信が、彼を研究へと駆り立てた。

 やがて、この場所で過ごす膨大な時間は、さらに膨大な成果物として顕現するようになる。

 

 気が付けば王国一の天才などと、渾名されるようになっていた。

 だがその反面、人間嫌いなどと揶揄されるようにもなってしまった。


 多少のやっかみもあったのだろうが、人を寄せ付けない孤独な様子を見事に形容していた。


 当のウルドはそれでよかった。


 王子という型で見られようと、偏屈な人間嫌いなどと誹りを受けようと、彼が彼であることに、何一つ恥じることなどない。


 「王子だの、人間嫌いなどと、何とでも呼ぶがいい。だが、私自身を定義するのはいつだって私だけだ!」などと、王子である彼が口に出せる筈もなく。

 

 そんな信念など、誰にも知られる事なく人生を遂げるのだろう。

 と、彼は受け入れきっていた。もはや諦めと言っていいほどに。


 思いもよらなかった。

 そんな信念が、まさか六つも年下の弟に看破され、ましてや尊敬の念まで抱かれる事になるとは。

 

 「くはっーー!」


 埋もれていた本の山から引き摺り出され、ウルドの周囲に埃が舞う。


 吸い慣れたそれが喉奥にかかり、思わずゴホゴホと咳き込むと、視界が上下反転している事に気がついた。

 

 逆さ吊りになっている。

 首をもたげて足を見ると、大蛇の尾が、彼の両足首に巻き付いていた。


 じっとりと冷えた感触を覚えながら、今度はその尾の主人を目で這った。


 「捕まえたぞウルドよ。こんなに壊すつもりはなかったのじゃが……おい、生きておるのか?」


 女の声がそう囁くと、大蛇の尾が動く。

 そうして拘束した彼を手繰り寄せるように、女の元へと近づいた。


 黒衣の美女がウルドを覗き込む。

 死人のように半目を開けていたウルドだが、女の姿を認めた途端、瞳が大きく見開かれた。 


 「アズ……ドラ……!!」


 ウルドが亡者の叫びにも似た怒声を上げる。


 彼は飛びかけていた意識を手繰り寄せ、敵の表情を睨みつけた。

 敵意を見てとってなお、黒衣の美女は口が裂けるような笑みを見せる。


 その美貌が霞むほどの醜悪な笑み。

 ウルドの背筋をゾクリと震わせる。


 「生きておったな! よしよし!」 


 幼子をあやすように、ぶら下がったウルドの額に触れた。

 侮りきったその仕草に、ウルドは悔しさで歯噛みする。


 真紅の魔女アズドラ。

 この国における魔法使いの最高権威、”魔女”の一人だ。

 そして魔法技術研究所の所長でもあり、名実共に魔法界のトップを走る人物。


 闘技場に現れ、太陽の様な火球によってレンとルイスを殺しかけた女でもある。

 

 彼女がウルドの研究室を訪れるのは珍しい事ではない。

 むしろ、このザグラムにおいては彼女くらいしか来訪者が居ないのだ。


 だからこそ、ウルド自身も油断していた。

 この部屋の惨状を見ても全く動じず、それどころか、自分の研究室もこんなものだと言ってくれたこの女に。

 無意識に、彼女は自分と同類だと。一方的な絆を感じてしまったのだ。


 魔女であり、同輩だと信頼していた彼女が、まさか自分に危害を加えようなどと、思いもしなかった。

 だが、現実は無情である。


 数十分前、いつものように研究室を訪れた魔女は、開口一番こう言った。


 『餌になってもらうぞ。ウルド』


 何かの冗談かと思った。不遜で無遠慮な彼女らしいジョークだと。

 

 笑みを作って振り返ると、そこに待っていたのは魔獣の牙、竜の顎、大蛇の尾。

 異空間から切り取ってきたかのような凶撃の数々が、無防備なウルドを一方的に打ちのめした。


 抵抗の暇も余裕もなく吹き飛ばされ、本の山に突き刺さり、埋もれた。

 身体中に激痛が走り、意識が抜け落ちかける。


 この段になって初めて、魔女の裏切りを確信し、絶望に飲まれた。


 しかして彼は研究者だ。

 この異常事態を前に、感情よりも理性が先に走る。


 アズドラの目的は?

 この行いの意味は?

 餌とはどういうことか?


 アズドラの性格、経歴、直近の出来事などがウルドの脳裏に一瞬で回る。

 やがて過程と理由をすっ飛ばし、実に合理的な結論へ収束した。


 (目的はアルド達か……!!)


 彼女がここまでする以上、それ以外に考えようがない。


 アルド達がザグラムに来ている事に、アズドラは気が付いている。

 彼女の感知能力であればそれは容易だろう。

 

 だが反面、”餌”という表現が正しければ、正確な居処までは掴めていない。


 這いずるような湿った音が聞こえる。

 ゆっくりと、だが確実に、こちらへ近づいてくる。


 本の山に埋もれたまま、ウルドは即座に魔力を練った。

 ただ黙って”餌”になってやるつもりは毛頭無かった。


 念話のパスをアルドへ開いた。


 解離しかけた意識を奮い立たせ、今伝えられる情報を送った。

 アルドの声が不安に震えていたが、聡い彼ならきっと逃げてくれるだろう。

 そうして、ウルドが出来る唯一の抵抗が終わった頃、大蛇の尾が彼を引きずり出したのだった。 


 ウルド王子を逆さに連れて、アズドラは研究室を出ると、浮遊魔法で窓から中庭を通過。

 そのまま学園校舎との間にある礼拝堂へと入った。


 ウルドの部屋とは一転して清潔な白さに輝く床に、ポタポタとウルドの鮮血が落ちた。


 魔女が何をしようとしているのか、ウルドには分からない。

 だが、やれるだけの事はやった。後は祈るのみ。お誂え向きに礼拝堂だ。


 床に転がされると、ウルドはか細い声で呟いた。


 「アル、ド……サリーちゃ、ん……どうか無事で……」


 儚い願い。


 だがこの時、彼は思いもしなかった。

 まさか、必死の念話こそが、アルドを奮い立たせる事となろうとは。

 

 一方、魔女アズドラは不適な笑みを浮かべて魔力を練り上げる。


 「さてと、前倒しにはなるが始めようかの。軍師殿の侵攻計画を」


ご拝読ありがとうございます!


よければ、ブックマーク、ご評価、ご感想いただければ嬉しいです!!

創作の力となりますので、何卒お願いします!!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ