第17話 青の追憶
太陽の強い日差しが僕の背後に長い影を作っていた。
季節は夏。
焼けるような暑さと、アスファルトに揺らめく陽炎、何百ものセミの声が煩くてたまらない。
額に汗をかきながら、僕は古い木造建ての道場の入り口に立っていた。
その質実剛健な建物の奥にいる祖父が袴姿で僕を見ている。
しかし、その顔は不自然な影に隠されているようで、全く見えない。
「遅かったな。来なさい」
「……はい」
祖父が手招すると、僕は下駄箱にビーチサンダルを入れて、鴨居の下で一礼してから道場に入った。
「今日で基本の型は全て教え終わる」
「うん。もうほとんど出来るよ。それよりも、口伝はいつ教えてくれるの?」
「技のなじみ具合を見て適時教える。少なくともお前にはまだ早いさ」
祖父はいつもは優しさと愛情を持って僕に接してくれていたと思う。
しかし、この修練の場においては鬼のように厳しい人だった。
「今日も部位鍛錬からだ。型稽古と同じく、これも時間がかかるものだ」
祖父が道場の隅に設置してある石柱を指す。
この修練は石柱を拳や肘などで突き、骨の頑強さを上げることで各部位の武器化を目的としていた。
僕はこの部位鍛錬がとても嫌いだった。
一度始まれば、強烈な痛みを伴うが、所定の回数に達するまで祖父に許してもらえなかったからである。
この修練を初めて行った時など、両拳にヒビが入ってしまった。
苦々しく、石柱を見つめ、構えをとって左拳を放った。
その瞬間、視界が乱れる。
◇
気がつくと、食卓でお茶碗を片手に持っていた。
僕の前には祖父、その隣に祖母。
そして僕の隣に母。既に日が沈んでいるのにも関わらず、みんなの顔に影が入って表情が伺えない。
しかし、僕は不思議と違和感を憶えなかった。
「今日はよく突けていたぞ」
祖父が味噌汁を啜りながらそう言った。
そんな祖父に母はやや不安そうな表情で応える。
「そうですか……。それはよかった」
「痛くなかったかい?」
祖母が心配そうな声で僕に問いかけた。
「大丈夫! 最初は怖かったけど段々慣れてきたみたい!」
本当はとても痛かったが、祖母と母に心配かけまいと元気に答え、白米をかき込んだ。
再び、視界が乱れた。
◇
授業が終わり、僕は教室で友人達と談笑していた。
学校の噂話、教員とのトラブルやそれに付随する僕らなりの文句、最新のゲームについて色々と話題は多かった。
帰り支度を終えていた生徒達は次々と教室から出ていく。
やがて友人達も部活に精を出すために大きなエナメル鞄を背負い出て行った。
こういう時、帰宅部は寂しいものがある。
僕は一人で帰り支度をはじめる。
すると、廊下から後輩の女子に声をかけられる。
「おーい、先輩! 帰りどうするんですか?」
元気な声で僕に呼びかけると、教室内へ入ってくる。
ここは2年の教室だが彼女に抵抗はないようだ。
しかしながら、教室に入ってきた女子の顔は影で全く見えない。
「うーん。特に用はないかな。真っ直ぐ帰ろうと思ってるよ」
「じゃあ! じゃあ! ゲーセン行きましょう!」
「話聞いてた?」
「ええーー! ちょっとくらい、付き合ってくださいよーー!」
後輩に人懐っこい声でそう言われ、僕は穏やかに笑いかけ、僕は行くことにした
「ちょっとだけだよ」
「ヨッシャア!」
校舎を出ると、木枯しが吹きつけてきた。
思わず僕らは身を縮める。
そのまま校門を出て駅へ向かう。
行きつけのゲーセンは2駅向こうの都市にあり、20分程で着くだろう。
僕を先輩と呼んで慕ってくれている小柄な少女とイチョウ並木を並んで歩く。
黄色い葉が風に吹かれて舞っている。
「もうすぐ冬ですねー!」
「やだなー。この季節は道場の床がものすごく冷えるよね」
「ですね! でも先輩って何でいつも裸足なんですか?」
「爺ちゃんの方針。口伝の体得に必要なことなんだって……。で、去年の寒さに耐えかねてさ、その口伝はいらないから、足に何か履かせてくれって言ったんだ。ぶん殴られたよ……」
「ははっ! @#先生って本当に先輩には厳しいですね!」
ノイズのような音が祖父の名前らしき言葉を妨げる。
後輩は笑いながら続けた。
「@#先生も先輩には期待してるんですよ! 今や道場の大人達だって先輩には敵わないんだから!」
「別に嬉しくなんだよねーー。そんな事よりも、こうやって君とゲーセンに行く方がずっと楽しいしよ」
それを聞いて後輩は急に立ち止まり、僕の瞳を疑うように見つめる。
「私知ってるんですよ。先輩が誰にでもそう言う人だって……」
その割に後輩の頬は赤くなっている。
「照れ屋だなぁーー。思った事を伝えただけだよ」
「もう! 言い方を考えてください! それで勘違いする女子って結構いますよ!」
そのセリフを聞いて、また視界が歪んだ。
◇
夜。僕は鈴虫の鳴く中、コンクリートで舗装された道をとぼとぼと歩いていた。
家を出てからそれなりに時間が経っている。
今は深夜1時か2時かという時間だった。
既に見知らぬ道を歩いているが、辛うじて街灯に照らされた道を行っている。
しかし、少しでも道を逸れると真っ暗闇で何も見えなくなる。
僕はある決意をしていたようだ。
それが何かは全くわからない。
だが、少し前まで泣いていたことは分かっていたし、背中には大きなリュックを背負っていた。
果たしてこの旅に目的地があるのかと問われれば、僕は無いと応えるだろう。
それでもあの家に居続けることはとても出来なかった。
そう、僕は家出をしていたのだった。
「どこへ行こう……」
家出とはいえ、目的地のない旅である。
ましてや、家を出た時点で目的は達成してしまった。
行き場のないまま彷徨い疲れ、神社の鳥居が目に入る。
「ここの境内なら休めるか……」
別に幽霊は信じないたちなので、問題は無いように思えた。
スマホの明かりを付けながら、真っ暗な境内に入る。
そして、大きな社に一礼してから、その軒先を借りて横になった。
歩き疲れていたようで、僕は直ぐに眠りに落ちた。
強い光を浴び、もう朝かと目を開けると、大勢の人に取り囲まれていた。
慌てて僕はその立ち上がり、周囲を見回す。
高い天井には眩いステンドグラス、豪華なビロードの床、金色に輝く玉座。
まるで西洋の教会? お城?のような部屋である。
「は? 何ここ!?」
大いに狼狽しながら率直な疑問が口をついて出る。
その言葉に、僕を取り囲んでいた、怪しいローブを着た連中が大喜びで拍手をした。
「陛下! 成功です!!」
ワイワイと歓喜と祝福の言葉が僕の後方の玉座へと向けられる。
「勇者殿! よくぞ召喚に応じてくださった!!」
玉座に座っていた男が立ち上がり、僕の元までやってきて握手してくる。
「何なんだこれは!?」
そして、僕の手を握っていた国王の顔と一緒に視界が歪む
◇
「これで、4人揃ったね!」
騎士のミルコ、魔法学士のサリー、斥候のルイス。
僕と仲間たちは朝日が登る中、王都の大門から外へ向けて歩いていた。
「私は体力ないからね。途中は誰かにおぶってもらうからそのつもりで」
サリーが涼しい顔でそう呟く。
「俺がおぶろう! いい鍛錬になる!! 今からでもいいぞ!!」
ミルコが笑顔で応え、サリーの前に背を向けて座る。
それにサリーは「あらそう」といってミルコの肩に手をかける。
「ちょっと! 先は長いんだから体力温存してよね!」
そんな2人にルイスが注意した。
この騒がしくも、頼もしい仲間たち。
そして、僕の腰には最強の剣、神器ヴァルキリー。
僕は、この朝焼けと仲間たちの背中は一生忘れないような気がした。
このワクワクとした気持ちと、どこか安堵したような喜び。
僕は、僕たちはこの日、冒険へと旅立った。
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