第47話 炎の精霊イフリート
「……一応、礼を言っておこう。危うく任務を果たすどころか、要人が死んでしまうところだった」
対峙した騎士エルゴーは、リースが万年筆を落とした事を確認するとレンへ言った。
しかし、その声は酷く冷め切っている。
「……感謝ついでに剣を収めてくれないかな……?」
「それが出来る程、騎士の肩書きは軽くない。騎士とは万人の尊敬を集め、栄光ある人類の代表者である。一介の学生風情に遅れを取るなど、万が一にも許されん」
「そんな人類の代表者である騎士さんが、一介の学生風情に蹴り飛ばされただけで剣を抜くと」
レンはエルゴーのセリフをそのまま返した。
その言葉が、辛うじて納まりつつあった騎士の怒りに油を注ぐ。
「…………もうよい愚か者。騎士を侮った事、後悔するといい」
エルゴーの右手が赤い輝きを発し、レンは思わず片手で目を遮った。
『精霊召喚:炎の精霊イフリートよ、我が元に来たれ』
呪文が唱えられ、レンの肌が熱気に煽られる。
まるでこの一帯だけ真夏になったかのように気怠い暑さに包まれる。
そして、それが姿を現す。
灼熱の瞳がレンを捉えていた。
燃え上がる人型の巨体。
3メートルはあろうかという体は炎で出来ていると思える程燃えており、触れればどうなるかは容易に想像できる。
そんな異形の怪物が魔法も使えないただの人間レンを、獲物を定めた猛獣の如く睨んでいる。
「もう一度言う、後悔しろ。謝罪するなら、苦しまずに死ねるかもな『イフリートよ、あの愚か者を焼き尽くせ』」
目の前の騎士が魔力を込めてそう命じた。
すると、イフリートの全身がさらに激しく燃え上がる。
その瞬間、レンの勘が危険信号を発した。
「……!」
竜歩。
ーーゴウ!!!!!!
先程とは比べものにならない大きさの炎の柱が登った。
いち早くタイミングを掴んだお陰で避けられたが、それでもズボンの裾を僅かに焦がす。
通常、魔法使いであれば防御魔法を展開して炎の攻撃を防御する。
しかし、魔力すら無いレンにはそんな選択肢など存在しない。
結局は避けるしかないのだ。
そして間違いなく、一瞬でも気を抜けば、炎が全身を焼き尽くすだろう。
これまで以上の危機を前にして、レンは初めて小さく冷や汗をかく。
「……これは、ちょっとヤバイな……」
そう言ってられたのも束の間、イフリートの灼熱の殺意がレンの背に悪寒を走らせる。
ーーゴウ!!!! ゴウ!!!!! ゴウ!!!!!!!!
炎の柱が次々と繰り出さる。
レンはとにかく勘に任せて竜歩を使った。
タイルの床を踏み締め、少しでも騎士の方向へ、間合へ入ろうとしたが、豪炎の精霊イフリートがそうさせてくれない。
しかも厄介な事に、立ち昇った炎柱はその場に残ったまま。ゆっくりと動きながらレンの退路を制限していく。
「これは、本当にヤバイ……!!」
レンは壁際の生垣へ飛び込んだが、低い常緑樹は次々に燃やされていく。
季節が春や夏ならば背の樹木の葉に身を隠しながら攻め込めた。しかし、今は冬を迎えようという時期だ。
今の枝葉に、レンを隠せるほどの葉っぱは繁っていない。
諦めて生垣から逃れるも、その間に炎柱は着実に増えていく。
やがて気が付いた頃には、レンは炎柱に取り囲まれていた。
見渡す限りそこに退路など存在せず、もはや熱気に押し潰されるのを待つしかない。
「やめて!!! エルゴー!!!」
「レンレンーー!!!!」
炎の中に佇む一つの影動きを見せない。
それを見て、二人の少女は叫び声を上げた。
少女達を無視し、騎士はゆっくりと炎の中のレンへ問いかけた。
「……あれだけ大口を叩いて、こんなものか? だがよく分かっただろう。騎士の偉大さを……」
「…………」
炎に映し出された影は微動だにはせず。
かと言って、物を言うわけでもない。
その姿に、騎士エルゴーはあきれ返った。
彼としては、若い跳ねっ返りを痛めつけるのは嫌いではない。いや、それどころか好きな部類だ。
いつだって自信に満ちた若者に圧倒的な力を見せつけ、屈服させた。
その上で、砕いた自信を踏みつけるのが大好きだった。
確かに目の前の若者は圧倒的力の前に屈したかも知れない。
しかし、この危機的状況の中でも一切の動きを見せてこない。
「……こんなにも潔いとつまらんな……いや、何か策があるとでも……?」
騎士エルゴーは考える。
この状況を打開できるとしたら、奴は何をしてくるか。
ーーそれだけ防御魔法に自信があるのか?
ーーそれとも、水系統の魔法を使うために魔力を温存しているのか?
しかし、そこまで考えたところで、エルゴーは思考をやめた。
「相手はたかが学生……全く、私は何を考え込んでるんだ。学生如きの策など私とイフリートの魔力に通用するはずがない」
片手を掲げ、エルゴーは最後の指令を魔力と共にイフリートへ送り込んだ。
『ーー臨界』
すると、レンを取り囲んだ一本一本の柱が融合し始める。
それらはやがて渦を巻き、巨大な炎の台風へ変貌した。
外から見れば、それはもはや炎の絶壁。
それも、尋常な速さで収縮していき、中で立ち尽くすレンを追い詰めていく。
一匹の大蛇のように塒を巻く炎の渦。
その絶大な火力は収縮していくほど、より苛烈に、より無慈悲になっていく。
やがて、再び一本の柱へ形を変えた。
何十本もの炎を束ねたこの柱。もはや太陽の如き輝きが中庭にいるリースやクレア、メラル、そしてエルゴーの影を伸ばす。
しかし、その豪炎に身を晒した者だけは影すら残すことはない。
そうして臨界に達した炎は大気を焼き尽くした。やがて線のように細くなり消えた。
そこに残された者物は、既に炭と化した残骸のみだった。
「嫌あああああああーー!!!!」
リースの絶叫が中庭にこだまする。
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