第36話 新勇者
白い空間には宙に浮いた古めかしい鍵のみ。
それ以外は何もない。ただただ無機質な純白の壁に囲まれているだけである。
「兄上……これは……」
「さっきアルドが話していた”記憶の鍵”。恐らくは本物だろうね」
レンは唖然としながらも、その瞳には宙に浮かんだ”記憶の鍵”しか写っていない。
魅せられたように目を見開きながら、レンは聞いた。
「ウルド王子、どこでこれを……?」
「……これはねザグラムに侵攻しようとしていた魔人が持っていたものらしい」
それを聞くなり、レンはウルド王子へ視線を投げる。
反対に、アルドは”記憶の鍵”を見つめたまま、落ち着いた様子で応じる。
「そうですか、やはりここにも魔人が……しかし、ここに鍵があるということは」
「魔人は討伐された。だけど、倒したのは兵や騎士ではないよ」
するとウルド王子はレンへ視線を移す。
「その魔人を倒し、鍵をここまで持ち帰ったのは新しく召喚された勇者だ」
刹那、レンに旋律が走った。
瞳を開き、その信じたくはない事実に驚愕した。
「勇者の召喚……? そんな……」
レンにとっては遠く離れてしまった元の世界。
それは、故郷からまた、新たな犠牲者が拉致されたのと同義だった。
アルドもまた、動揺を隠しきれずに聞き返す。
「しかし兄上、勇者の召喚に成功したなら国民に広く報を飛ばすハズ……道中でそんな話は聞いたこともありません!」
「……たぶん、軍部の連中と揉めると思ったんだろうね……今回の召喚は秘密裏にされたらしい。まあ、魔王は討伐出来てないんだし、一応筋は通ってる。軍部以外には、ね」
「……あの勇者不要論者たちの目を掻い潜ってまで、召喚を断行したと……?」
「そういう事だ。全く、父上は何を考えているんだろうねぇ?」
ウルド王子はそう嘆いたが、アルドの見立ては少し違う。
彼が闘技場で聞いた事が事実であれば、勇者の召喚は神の意思で為されたことになる。
「もっとも、その新勇者は3日前にザグラムを出たけどね。新しい神託を受けて亜人特区へ向かったよ」
「神託? ではその勇者は神の声に従って行動しているのですか?」
「そうだよ。レン君の時はそうじゃなかった?」
問われたレンは少し考え、朧げな記憶を探った。
「……神託は確かに受けますけど、初めて旅立つ日と魔王城へ転移する日、その二回だけでした」
「そうかい。いちいち神託を受けている訳じゃないんだね。それを聞くと、彼は少し違うようだね。どんな場所でも神託を受けられるように神職の者を連れていたよ」
(決まりだ……)
アルドは確信した。
新勇者は神の意志の元に動いている。それもレンの時以上の強制力をもって。
「さてレン君。今度は君が話す番だ。この記憶の鍵について、君が知りうる限りの事を教えて欲しい」
「もちろんです、王子。でも、最後に一つだけ、聞いておかなければならない事があります」
「うん、なんだい?」
王子は軽く問い返す。
そしてレンは恐る恐る聞いた。
「王子、その勇者、どんな人でした? 名前は?」
「……そうだな……悪い奴ではなかったよ。ちょうど、君と似たような顔をしていたよ……名前は、確か……」
眉間に指を置き、しばらく間が空いた。
そうして、王子は思い出した。
「ハヤト、そう、ハヤトだ!」
(間違いない、日本人だ……)
「……そう、ですか……それは、可哀想に……」
自身の境遇を想うと、レンは同情せずにはいられなかった。
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