第1話 仕合①
背丈は普通くらいだろうか?
狭い牢の扉を頭を下げなくても通れる。
体格は少し痩せている。
まあ、当然か。
目が覚めてから数日間、乾いた豆とか、薄く濁ったお湯しか口にしていないし。
牢獄とはいえ、少しは食事にも気を使って欲しいものだ。
声は出せる。一応。
何なら歌えるくらいの体力はあるはずだ。
同房のスミスには色々な曲を教えてもらったっけ。
彼の故郷では妹さんとよく山彦を響かせていたらしい。
髪は黒く、額が若干隠れる程度の長さ。
瞳も黒く、久々に出た外の日差しが眩しくて仕方がない。
服装は……ボロ布としか言いようがない。
牢獄にいたんだ。むしろ、これが正装だと胸を張れるよ。
他には……爪が若干伸びてる事、裸足なので足裏に違和感がある事、あと、お風呂に入りたい事。
今分かる僕自身の情報はそれくらいだ。
付け足すとしたらあと一つ。
記憶がない。
名前はおろか、自分の職業、両親の顔、育った場所など。
僕を証明するあらゆる物が、すっぽり抜け落ちている。
生まれたての赤ん坊として目覚めた方が、まだ楽だったかも。
何で中途半端に言葉が分かるかなぁ。
文字は全く読めないくせに。
でも幸にして同じ牢屋で暮らすスミスはいい奴だ。
記憶の無い僕にとても親切にしてくれた。話していて面白いし、常識の抜け落ちている僕にたくさんの事を教えてくれる。
記憶は……出来れば取り戻したい。
不便だし。
でも、今はそんなことよりも、早く牢屋に戻りたいかな。
スミス故郷の話を聞きながら、埃っぽいベッドでゆっくり寝転がりたいよ。
「殺せーーーー!!!!!!!」
「やれ!!!!!!!!」
「無能勇者!!!!!!!!」
何百という罵声が四方八方から轟いている。
矛先は、間違いなく僕に向けられていた。
僕の立っているその場所は、石造りの壁に覆われている。
中央の舞台を見下ろすように階段状の石が積み上がっており、そこには見渡上げる限りの観客が汚い声を上げている。
ここは闘技場。
僕は、舞台の中央に立ち竦んでいた。
罵声の嵐に目眩を覚えながら、対面に見えるのは巨大な鉄格子。
そこから僕の対戦相手が出てくるはずだ。
何故こんな事になっているのか?
理由は簡単だ。
僕が奴隷剣闘士として、この闘技場に買われたから。
だがその経緯は知らない。
初めて意識を取り戻したのがここの地下にある奴隷用の牢獄だからだ。
そう。
気付いた時には既にってやつだ。
ガラガラガラ!!!
鈍い金属音をたて、鉄格子が上へと迫り上がった。
その奥は不気味な暗闇で満たされ、全く見えない。
ーー殺される。
金属音と共に現れた確かな予感。
それは容易く僕の現実逃避を突き破った。
途端に心がざわつき始め、手足がガクガクと音を立てる。
ゴクリと生唾を飲み込んだ。震えがなかなか治らない。
すると、大きな足が暗闇からゆっくりとせり出した。
そして一歩、二歩とゆっくりこちらに向かう。
現れたのは巨大な男。
舞台を覆う壁から顔がはみ出る程の大きさ。少なくとも僕の頭三つ四つ分は高い。
何よりもそのブ厚い筋肉が、圧倒的な強さを物語っている。
そして僕は、大男と相対した。
「どうした? そんなに震えて。随分寒そうな格好をしているじゃないか」
僕のみすぼらしい姿を男はせせら笑う。
僕はかじかむ手足を無理やり振るい、叫んだ。
「バカにするな!!!! こ、怖くなんかないぞ!!!!」
自分を奮い立たせ、精一杯の声を出した。
だがその途端、僕の顔に影が落ちる。
ズン!!!!!
巨大な何かが落ち、僕の股下の砂地に突き刺さった。
それは、人の上半身ほどはあろうかという特大の戦斧。
片側に輝く刃は深く広い。
まさに重厚な殺傷力を誇示している。
危うく一歩でも動いていれば、とんでもない事になっていただろう。
「おっと、すまんすまん! 手が滑っちまった。開始の鐘はまだだったな!」
「……!」
男は口元だけを綻ばせながら、鋭い殺意が籠る視線を向けた。
そうして大男は戦斧を地面から抜き、肩に担ぎなおした。
僕は汗を噴き出し、思わず後ろへよろめいた。
先ほど暗い鉄格子を見た印象、予感は当たっていた。
そして今度は、確信として心に響く。
ーー殺される。
『さあ!!!! 両者入場しました!!!!!! 皆様お待ちかねのメインマッチです!!!!!』
突然、精悍な男の声が闘技場に響き渡った。
『まずは挑戦者! 魔王討伐を果たせずに、神器を失い幾星霜!! 処刑場から逃げ延びて、巡り巡って終着点!! 名誉も栄誉も失って、最後に命も散らすのか!? 神器なしでどこまでやれる!? 元、勇者ーー!!!』
男の声が闘技場に反響した。
途端に客席から罵声や嘲笑が湧き起こる。
入場した時から凄かったけど、アナウンスの声は火に油を注いだらしい。
より苛烈な罵詈雑言が投げかけられる。
『続いてはこの男!!! 三十戦無敗の最強闘士!!! 堅牢!重厚!怪力!! 強さの全てを手に入れた男!!!!! アルド闘技場チャンピオン、ローーーーグ!!!!!!』
罵声の嵐から一転、一気に観客が沸き立った。
割れんばかりの歓声に、ローグは片手を上げて応えている。
高まる緊張感を振り払おうと、僕は声を絞り出した。
「人気者……なんだ……」
「なに、お前程じゃないさ」
その無骨な表情には、明らかな余裕が窺える。
彼は強者で、自分は弱者だと、見せつけられているかのように。
『戦闘のルールは至ってシンプル!! 先に戦闘不能になった方が負けです!! 武器、魔法の使用はOK!! 要はとにかく相手を打ちのめせばよいのです!!!! 初めてご来場のお客様、血に飢えた常連のお客様!! どうぞ声を張り上げて、全力でお楽しみください!!』
残念なお知らせ。
僕はボロ布一丁で出てきたために武器なんて持ってない。
魔法?
知らないよそんなものは。記憶喪失を舐めんじゃないよ。
ローグが入ってきた時から気が付いてはいたが。
この仕合、勝ち目なんてハナから無いのでは……。
『仕合、開始ッッ!!』
ゴーーーーン!!!
考えるいとまもなく、処刑開始の鐘が鳴った。
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