陰謀2
「馬がいない?」
森の中を四苦八苦して抜けてきたカーラに、
厩の主人は冷たく言った。
「どうして?」
カーラはガランとした馬小屋を見回し、
眉をしかめる。
町や村には必ず厩がある。
そこは町や村同士を繋ぐ大切な場所だ。
急ぎの時は厩で馬を借り、
先々の町の厩で馬を代えながら進む。
そうすれば、
いつでも疲れていない馬で走る事が出来る。
馬はこの時代の最高交通手段であった。
その馬が厩にいない。しかも一頭も!
「どうして、
これじゃ商売にならないでしょう!」
カーラは厩の主人に怒鳴りつけたが、
主人は顔色一つ変えずに、
「仕方ないでしょ、王様からのご命令だ。
厩の馬は健康診断を受けましょうってね」
あっさりきっぱり言い切った。
「だからって、なんで全部...」
「だから王様が
全馬いっぺんにすませろと言うんですよ」
不満顔でなおも食い下がるカーラに、
主人が口を挟む。
「...いつ言われたのよ」
観念したようにカーラは大きく息をついた。
「今朝です。城から獣医がやってきて、
根こそぎ厩の馬を連れて行きましたよ」
何となく投げ遣りな口調で主人は言った。
なんだか落ちついてよく顔を見てみると、
主人の顔はむくれている。
態度がつっけんどんなのも、
ひょっとしたら
機嫌が悪いからなのかもしれない。
そして、その機嫌の悪さが何処から来ているのか、
落ち着きを取り戻したカーラには分かっていた。
主人も困っていたのだ。
突然商売道具を連れていかれて。
「王様の命令じゃ、嫌だって言えないものね」
カーラは気の毒そうに主人を見た。
主人は腕を組んで、
眉間に深く皺を寄せていたが、
フウッと大きく息を着き、
「あんたが乗ってきた馬は、もうへとへとだよ。
急いでるとこ悪いけど、
やっぱり今日はこの村で休んだほうがいい」
馬の手綱を取って馬小屋に入った。
「ああもう! 急いでいるのに!!」
主人の後に続いて馬小屋に入ったカーラは
無駄とは知りつつも、
口にせずにはいられない言葉を呟いた。
その不満げな表情を嘲笑うかの様に、
けたたましい馬声が馬小屋いっぱいに響いた。
突然の声にカーラは
鼓膜が破れたのではないかと思ったが、
耳はキンキンするだけで、
ちゃんと聴力は働いているようだ。
「ななななによ! いるんじゃない一頭!!」
カーラは耳を塞いで、
なおも叫び続ける馬のいななきに負けないくらい、
大きな声を張り上げた。
「それは駄目ですよ。個人の馬だ」
主人はカーラが乗ってきた馬を
奥の小屋に繋ぐと、手早く手入れにかかった。
「あんたは二階の宿屋で休むんだな」
主人は振り返りもせずに言うと、
後は馬に向いたまま黙々と作業を続け、
ほんのちょびっとも
カーラに気をかける事はなかった。
人間の客よりも馬の方が好きらしい。
こんな美女をほったらかしかい!
虚しく心の中で叫んでみたが、
その叫びに答えたのは、
またしても喧しい馬鹿馬の悲鳴だった。
「喧しいわよ!」
美形の王子様でも乗せて走ったら、
さぞ様になるであろうほどに立派な白馬であったが、
どこか間抜けっぽい面をしたその馬の鼻っ面を、
カーラはピシャリと叩いた。
その馬が本当に王子様の持ち馬だと知らされたのは、
カーラが宿屋の食堂で、
筋だらけの細切れ牛肉ビーフシチューと
格闘している時であった。
「お願い、もうやめて...」
王妃は白雪の部屋の鏡の中で膝をついた。
鏡の向こうでは、あの悪魔が娘の血を吸っている。
偽王妃は顔を上げると、
真っ赤に染まった唇でニヤリと笑った。
『色々手を打っているようだが無駄だよ。
あの女教師は戻って来ないさ。
なんせ厩に一頭も馬がいないんじゃねえ。
それにやっとの思いでここに戻って来ても、
もう遅い。白雪は私の物さ。
ほほほほほほほ!』
王妃は唇を噛み締めた。
白雪をこのまま城に置いておくわけにはいかない。
なんとかして城から出さなければ。
かといって王に話したところで
何の解決にもなりはしない。
王はもう偽王妃のいいなりだ。
「ああ、先生あなたを実家に帰したのは
間違いでした。
すべてあの悪魔の仕業だったなんて...」
王妃は白雪から血を吸い続ける悪魔から
視線をそらし顔を覆った。
後はエレンに賭けるしかない...。
王妃は心の奥底で、祈るように呟いた。
さて王妃の祈りが届いたのかどうかは知らないが、
エレンは紅茶を持って王妃の部屋に出向いていた。
王妃の姿はなかった。
「どうしてー? 十二時頃にお茶を持ってきて
くれって言ったのは王妃様じゃない!」
エレンはブーたれて、
窓際にある机の上にティーセットを置いた。
「どこに行ったのかしら?」
机に寄り掛かり呟いた時、
エレンはふと昼間、
白雪が話していた事を思い出した。
「今朝、右手で何か書いていたわ」
エレンはなにげなく、
机の引き出し裏に手を伸ばした。
王妃が城に嫁いで来たばかりの頃、
王は今ほど寛大な人物ではなく、
王妃が下の者と口をきく事さえ
良く思っていなかった。
特にエレンは
王妃にとって特別な存在である。
それがどうでもいい嫉妬でしかなかったと
王自身が気付くまで、
王妃はエレンと口をきけなかったのである。
そのため、エレンは今でも王妃に対して
友達の様な態度を取らぬ様、
気を付けているのだ。
その頃、王妃とエレンの会話は
手紙を通して行なわれていた。
そのポストの役目を果たしていたのが
机の引き出しの裏である。
白雪が話した
〃何かを書いていた〃という言葉が思い出されて、
何となく伸ばした手だったが、
その指先には懐かしい手応えが返ってきた。
「手紙が...」
エレンは引き出しの裏に
軽く糊付けされていた手紙を剥がすと、
白い封筒に書かれている文字に目を走らせた。
『この手紙を見付けたら、
すぐに自分の部屋に戻って、
そこで封を開けて』と書いてある。
エレンはその言葉通り、
すぐに王妃の部屋から外に出た。