不安
馬車を二日とばして実家に帰ったカーラは、
家の者との再会もそこそこに病院へ向かった。
カーラの実家があるこの町も、
一応白雪の父親である王が統治している
町であるが、
城から一番離れているせいか
見るからに田舎である。
しかし、国内に修道院があるのは
ここだけなので、人口は多く、
病院や学校などの医療、教育設備は万全であった。
その万全な病院にカーラがおもむくと
呼び出しをするまでもなく、
待合室に発掘隊指揮官バーミリオンの姿があった。
「先生!」
カーラは懐かしさに頬を緩めると
バーミリオンの手を取った。
「災難でしたわね」
待合室の椅子に
バーミリオンと並んで座ったカーラは
気の毒そうに彼の足を見た。
石膏で固められた右足は
包帯でぐるぐる巻きにされている。
「いや、みっもない話だ。私は仲間のおかげで
たいした怪我をせずにすんだが、
もう発掘を進められるほどの人数もおらん。
一ヵ月は皆、絶対安静じゃと。
せっかくカーラに来てもらっても、
君一人では無理な話だな」
バーミリオンは大きく息をつき、
白い立派な髭を撫でる。
「そうなんですか?
せっかく急いで来たのに。
残念だわ」
カーラは肩を落としたが、
「しかし、君が発掘隊から抜けてから、
面白いものが見つかったんだよ」
バーミリオンは愉しそうに言った。
「面白いもの?
私がいた頃は、
家の瓦礫ばかりでしたけど」
カーラは懐かしそうに
窓から見える大きな山に目を向けた。
その山の麓にマーク族が住んでいた
町の跡があるのだ。
「修道院を出るまでという約束で
君を発掘隊のメンバーに入れたが、
その頃はつまらない物ばかりしか
掘り起こせなかったな。
あれが掘り出されたのは、
君が修道院を出て家庭教師の職に
ついてから数か月ほどたった頃の事だ」
バーミリオンは腕を組んで頷いた。
「何が見つかったんですか?」
カーラは身を乗り出した。
もういい歳なのだが、
やはり興味を魅かれるものに対しては
いつまでも子供のような好奇心でいられるのだ。
「鏡じゃよ」
「鏡?」
「そう。かなりの数が見つかったんだが、
土砂のためだろう、どれも割れていてね。
しかし一つだけあったんだ。
キレイな鏡がね」
「それは今どこに?」
カーラは何か考え深げに、
眉根を寄せている
バーミリオンを促した。
バーミリオンは真っ白くなった眉を寄せ、
細い目でカーラを見据えると、
「盗まれてしまった」
大きな溜め息の様な声で呟いた。
暗い森の夜道を、
一台の馬車が物凄い勢いで走っていた。
その馬車には一人の女が乗ってた。
カーラである。
彼女は今日病院で会ったバーミリオンの話を、
頭の中で思い返していた。
「おかしな話なんだが、
たくさんあった発掘品の中で、
その鏡だけが盗まれてしまったんだ。
だが、私は盗まれたとは思えないんじゃよ。
まるで消えたような気がしてならない...」
まさか、あの鏡が...。
カーラは首を振った。
物が消えるなんて、
そんな非現実的な事があるだろうか?
盗まれた鏡が王妃の手元に渡ったのか、
それとも本当に鏡が消えて...。
「そんな馬鹿なこと」
カーラは自分の考えに思わず吹き出した。
鏡が自分の意志で王妃のもとに向かったなんて。
足があるわけでもないのに。
鏡が無くなったのは、王妃が白雪姫を産んだ年。
そして、ほぼ同時期、誰かが祝いとして
王妃に贈ってきたという、あの鏡...。
偶然だろうか?
「何だか訳が判らないけれど、
とにかく王妃様からあの鏡を借りて来て、
指揮官に見せればすむことだわ」
そう、それだけでいいのだ。
手紙ですむことなのに、
カーラは馬車に飛び乗っていた。
何か不吉なことが起こりそうな気がした。
重たく黒い雲が、胸の奥で渦巻いているようだ。
「隣の町で馬をかえれば、
明日の夕方には城に着くはず...」
ガターン!
カーラの不安な心をかき乱すように、
突然、馬車が大きく揺れ止まった。
「どうかしたの?」
馬車からおりて御者に問うより早く、
カーラはその原因を知った。
「なに?」
馬車に下げられたランプの灯に照らされ、
闇の中に見えたものは、
道を阻むように広がっている、
土砂と潅木の群れである。
「どうして、雨が降ったわけでもないのに...」
「この辺は地盤が緩いんですよ。
どうします?
土砂を退かさないと先には進めませんよ」
御者は土砂の周りを、
うろうろと歩き回っているカーラに聞いた。
土砂は道を阻んではいたが、
その先までには及んでいない。
欝蒼と繁る雑木林に、
腰まで掛かるほどの伸びた草。
その中を行くことは可能だ。
「馬を一頭借りてもいいかしら?」
カーラは二頭つながれたうちの
一頭の馬を馬車からはずすと、
それにまたがった。
「森の中を行くんですか?」
御者が目を丸くする。
「急いでいるのよ。
荷物は後で届けてちょうだい」
カーラは道を外れ森の中に入って行った。
「お嬢様だと聞いてたけど...」
御者は見てはいけないものを
見てしまった気がして、
早々にその場を退散した。
王妃の部屋の掃除をすませたエレンは、
暗い人影を城の回廊で見付けギョッとした。
「姫様、こんなところで
何をしているんですか?」
不気味な人影の正体は白雪だった。
青白い顔で、開け放した窓から見える
森の景色を眺めていたのだ。
いや眺めている、
というのは間違いかもしれない。
エレンの目には、ただボーッと
しているようにしか見えなかったからだ。
白雪の海色の瞳は何も映さない
死んだ魚の目の様に思えた。
エレンの声に気付いた白雪は、
重そうに体を反転させて眠そうな顔で笑った...
のだろう。
笑顔をつくっているようなのだが、
何だか泣きだす一歩手前の表情みたいだ。
「どこか具合でも悪いんですか、姫様?」
エレンは白雪の額に手をあてた。
熱を感じるどころか、
ヒヤリと冷気を帯びている。
春先とはいえ石造りの城内はかなり冷える。
しかも廊下は室内とは比べものにならないほど
温度が低いのだ。
そんなに長いこと、
ここにいたのだろうか?
「少しお休みになられたほうがいいですよ。
さ、お部屋に行きましょう」
エレンは白雪の手を取ったが、
白雪はその手を振りはらい、
「お母様が変なの」
蚊が鳴くほどの小声でボソリと呟いた。
「え、何ですか?」
白雪の言葉が良く聞き取れなかったエレンは、
彼女の顔を覗き込んで聞き返した。
白く広い額に、うっすらと汗をにじませている
白雪は、なんだかとても辛そうに見えた。
「お母様、変じゃない?」
白雪はエレンを見上げた。
「変 と言うと?」
エレンが聞き返すと、
白雪はガラスに映る自分の姿を見て首を振り、
きびすを返して走りだした。
「姫様!」
エレンは慌てて後を追ったが、
白雪は振り返りもせずに
自分の部屋に駆け込んでしまった。
「姫様?」
エレンは中の様子をうかがうように、
戸口に耳をあてた。
グズグズと啜り泣く声がする。
「姫様!」
エレンは礼儀も忘れて、
おもいきり扉を開いた。
室内のカーテンは締め切られており、
薄暗く少し肌寒かった。
「どうしてカーテンを閉めてるんですか?
外はとても良いお天気ですよ」
エレンは窓辺にあゆみ寄り、
カーテンに手を掛けたが、
飛び付くように駆け寄ってきた
白雪の手に邪魔されてしまった。
「だめよ。カーテンを開けちゃ!」
白雪は窓を背にして立ち、
エレンがカーテンを開けられないように阻んだ。
「どうしてですか?
お天気の日は、お好きでしょう。
それとも王様がたくさん連れてきた馬を
見るのが嫌なのですか?」
王は今朝、国中の厩の馬を集め、
城の庭に放していた。
健康診断等と理由は立派だったが、
なぜ突然こんな事を思いついたのか
誰にも見当がつかなかった。
ただ、昨夜王妃が王の部屋に行って、
何やら話し込んでいたと言う話は、
小間使いの一人から聞いてはいたが。
エレンは何の返答もしない白雪を見詰め、
先程の話を蒸し返した。
「王妃様の何が変だと言うんですか?」
白雪の手を取り、
宥めるような柔らかい口調で聞いたが、
白雪は唇を噛み締め何か物言いたげな表情で
エレンを見上げた。
しかし、ふいっと背を向けてしまう。
エレンは困ったように首を振ると、
「私は王妃様が床につく前に、
いつもベッドメイキングに行きます。
その時、王妃様を見て、
おかしいと思ったことがあるんです」
「おかしいって?」
白雪は眉根を寄せた。
「櫛で髪をとく手が逆なんですよ。
王妃様は右利きなのに左手で。
それだけなら、
さほど気になる事ではないのだけれど、
夜にお茶を届けた時、
左手でカップを受け取って左手でお茶を飲み、
左手でフォークを持って
果物を召し上がったんですよ。
どう思います?」
エレンはいつになく深刻な口調で
白雪に聞いた。
白雪はしばらく何か考え深げに
顔をしかめていたが、
「お母様は右利きよ。
今朝部屋に行ったとき、
右手で何か書いていたわ」
思い出したように声をあげた。
「ですよね、そうなんですよ。
昼間は右利きなんですよ」
エレンが渋い顔で呟く。
「それにお母様冷たいの。
もう部屋には来るなって。
私の顔を見たくないって言ったわ。
でもそれは昼だけ。
夜はまるで人が変わったようにやさしいの。
エレンの話を聞くと、
夜のお母様の方が別人のようだけど、
私にとっては昼の方が違う人みたいよ」
白雪は今にも泣きだしそうな顔で話した。
エレンは両腕を組み頭をひねった。
別人だと感じるのは気のせいだとしても
左利きが府に落ちない...。
「王妃様が冷たくなったと感じたのは
いつごろからですか?」
「カーラ先生が実家に帰った翌日からよ」
エレンの質問に白雪は速答した。
その答えは、エレンが王妃に対して
違和感を感じ始めた時期と同じだった。
「カーラ先生が帰ってから、
何かあったのかしら?」
白雪は心配そうに呟く。
「何かって何ですか?」
「悪い魔法使いに呪いを掛けられてるとか...」
「...姫様は変な本の読みすぎです。
そんなことが、あるわけないでしょう」
エレンは大仰に肩をすくめて見せると、
「とにかく王妃様が姫様に冷たくするのは
何か考えあっての事でしょうから、
めそめそするんじゃありません!」
白雪の肩を叩いて言う。
しかし白雪はエレンを見上げ、
「じゃあ、左利きになってしまったのは、
どう説明するって言うのよ!」
責めるように声を荒げる。
エレンが黙り込んでしまうと、
「やっぱり悪い魔女が...」
「姫様!!」
白雪が呟き掛けた言葉を
エレンは素早く阻止した。
「ならエレンが、
お母様の左利きに気付いたのはいつ?」
自分の考えを頭ごなしに否定されて、
機嫌をそこねた白雪はエレンを睨み上げた。
エレンは頭を抱えて考え込むと、
ソロリと視線を白雪に向け、
「姫様の思う時期と同じです...」
蚊の鳴くほどに小さな声で呟いた。
「ほら、やっぱり
白雪は勝ち誇ったように細い腰に手をあて、
仁王立ちになった。
エレンは白雪の態度を見て、
何となくホッとした。
やっといつもの姫様らしくなってきた。
しかし血色の悪さは変わらない。
「やっぱり何かあったのよ。
それに、部屋のカーテンを
締め切っておきなさいって言ったのは
お母様なのよ。
何か外にあるのかもしれないじゃない!」
白雪はチラリとカーテンの方に目を向けた。
「何かって言われても、そんなの憶測ですし...
そんなことより姫様、
ちゃんと食事なさっていますか?
顔色が病人のように真っ青ですけど」
「えー!?」
心配顔のエレンの言葉に、
白雪は意外そうな顔で叫んだ。
「嘘でしょ、そりゃ、お母様に冷たくされて
イジケてはいたけど、
ご飯は毎日しっかり食べているわよ!」
白雪は自分の顔をぺたぺた撫で回したが、
そんなことをしたって
自分の顔色は見えやしないし、
ましてや血色が良くなるはずもない。
「鏡で見てごらんなさい」
エレンは壁に掛けてある鏡に目を向け
眉を寄せた。
「何かのおまじまいですか?」
鏡には大きめのスカーフが
掛けられていたのだ。
「それも、お母様がしなさいって言ったの。
とにかくカーラ先生が戻るまで、
なるべく姿を映す物の前には立つなって」
白雪は若草色のスカーフが掛けられた
鏡の縁を撫でながら目を伏せた。