陰謀
「鏡よ鏡よ鏡さん、
世界で一番...
一番何かしらね、お母様?」
カーラが城を出てから、
白雪は鏡の前で同じ言葉ばかり呟いていた。
「さあ、鏡なのだから...
一番美しいのは誰? じゃないかしら」
天蓋付きの立派なベッドに腰掛けて、
王妃は深刻ぶった表情の白雪に言った。
もちろん王妃は冗談で言った事なのだが、
白雪は、今は何であれ言ってみるに限る!
の考えに取り付かれていた。
しかし一番妥当そうな言葉であるのに、
白雪には思いつかなかった言葉だ。
やっぱり普通の女の子とは、
何処かしら考えがズレているらしい。
「それ、それいいわよお母様。
やっぱり鏡には美しさを聞くものよね。
ちょっとナルシスト的だけど、
鏡はナルシストの必須アイテムだろうし!」
白雪は鏡の前に立ち、
「鏡よ鏡よ鏡さん世界で一番美しいのは、
だ・あ・れ・?」
可愛くシナをつくって叫んだ。
が、結果は今までと同じ。
鏡はウンともスンとも言わない。
「ちぇー! やっぱり何にも起こらない」
白雪は地団太を踏みながら鏡を睨んだが、
鏡には膨れっ面の自分の顔しか映っていない。
「もう諦めなさい。ただの鏡よ」
王妃は白雪の肩を叩いて慰めたが、
「うううー!
こんなことなら、
強引にカーラ先生に
付いて行けばよかったー!」
どれほど白雪が悔しがっても後の祭りである。
もっとも、
そう簡単に王が白雪を城から出すはずは
ないのだが...。
「先生が帰ってきたら、
向こうでの話を聞けばいいでしょ」
王妃がくすくす笑うと、
「はー、つまんないつまんない!」
白雪はひどく落胆した様子で部屋から出ていった。
入れ違いにエレンが入ってくる。
「なんだか元気ありませんね姫様」
扉を後ろ手に閉めエレンは王妃を見た。
王妃は鏡の前に立ち、その表面を撫でている。
「どうかしましたか?」
エレンは首を傾げたが王妃は軽く首を振り、
「何でもないわ。何だか疲れちゃって」
ホウッと息をつく。
「それでは少し休まれたほうが」
「そうするわ」
エレンの手をかりて王妃はベッドに横になった。
「しばらく他の者が
来ないようにしておきます」
エレンはペコリと頭を下げると、
部屋から出ていった。
王妃は目を閉じた。
なぜだか頭が重いのだ。
痛いとかそういう感じではなく、
何か重たい鉄の固まりの様な物が
頭の中に入り込んできた。
そんな感じだ。
「どうしたのかしら...」
王妃は頭を振りながら
何気なく鏡の方に目をやり、ギョッとした。
あんなにキレイで
艶やかな表面をもっていた鏡が、
ススでも被ったように
真っ黒になっていたのだ。
「何...?」
王妃は鏡の前まで歩き、
その表面に手を伸ばした。
その時、固いガラスであるはずの鏡面が
水飴の様に伸び上がり王妃の手に巻き付いた。
いや、掴まれたと言っていいだろう。
それは人の手の形をしていたのだ。
「な、何!?」
鏡に掴まれた手を王妃は振り切ろうとしたが、
やわらかそうな見た目に反し、
それはガラス本来の固さを持っていて
引き離すことが出来なかった。
『ついに言ったね呪いの言葉を。
叶えてやろう、お前の望みを』
鏡が鈍い光を発し気味の悪い言葉を言う。
いや言っているのではない。
鏡が話す訳がないのだから。
言葉は王妃の手から頭に向かって
響いてくるようなのだ。
さっき感じた頭の重みが、
その音声ではない言葉を
聞いているような気がする。
「何、何なの?」
王妃はあいている左手で鏡を叩いたが、
自分が痛い思いをするだけだった。
そう、鏡を叩くと自分の頭が痛くなったのだ。
頭のなかにある重たい何かが、頭痛を引き起こす。
王妃は真っ青な顔で大声を上げたが、
誰も王妃の悲鳴には気付かなかった。
いくらエレンが人ばらいをしたため
近くに人がいないと言っても、
護衛の兵士は扉の外に控えているはずだ。
その彼らにも王妃の声は届かない。
『叶えてやろう、お前の望みを。
お前の光を奪って、
どんどん美しく成長するあの白雪を、
お前のものにしてあげるよ』
「どういうことです」
王妃は目をむいた。
『白雪の、あの美しい体を、
お前にやろうと言っているんだよ』
何の感情も感じさせぬ声が
王妃の頭の中で響いた。
「何をバカな事を言っているの。私がいつ!」
王妃は鏡を睨み付けた。
『お前が良くても、私は欲しいんだよ。
あの若くて美しい白雪の体が!』
鏡の面が黒から真っ赤に変わったとき、
その歪んだ面に女の顔が映った。
美しい女の顔は見る見るうちに年老い醜くなり、
仕舞には骸骨になった。
王妃は一気に頭から血が落ちるのを感じた。
『ふふふふ。舞台の幕は上がったね』
王妃の薄れていく意識のなかで、
不気味な女の笑い声は高く長く木霊した。
闇が続いていた。
何処までも何処までも、
深く暗い闇が。
「夢を見ているのかしら」
自分の足元さえも、
はっきりと見えぬ暗がりの中で王妃は考えた。
もう何時間も同じ所を歩き回っている気がする。
「ここはどこ?」
王妃の言葉に答えるように、
ボウッとした光が前方に浮かび上がった。
遠近感のまったく感じられない世界。
光の所まではかなり距離がありそうだったが、
意外にも早く、そこまで辿り着くことが出来た。
そっと、その中を覗き込む。
見覚えのある部屋だ。
花柄の壁紙に淡い薄桃色のカーテン。
そして立派な天蓋付きのベッドには
美しい娘が眠っていた。
「白雪!」
王妃は手を伸ばしたが、
ここから外に出る事は出来なかった。
「ここはどこ、
私は何処から白雪を見ているの?」
王妃は辺りを見回した。
どこまでも続く闇の壁は消えていた。
そこかしこに、光の窓のようなものが浮んでいる。
それにはどれも、城内のどこかが映っているのだ。
王妃は再び白雪の部屋に目を移した。
「窓が見えるこの位置は壁のはず。
そこには確か鏡が...」
王妃はハッとして、
ここより奥に見える光の窓に駆け寄った。
そこからも白雪の部屋が見えた。
しかしさっきと視点が違う。
鏡が掛けられている壁が見えたのだ。
「なんてこと。ここは鏡の...
物を映すものの裏側なんだわ!」
王妃は自分の目の前で、
ひらひら揺れる薄桃色のカーテンを見詰めて叫んだ。
ここは白雪の部屋の窓ガラスの裏だ。
「どうして、悪い夢でも見ているの?」
王妃は力一杯窓ガラスを叩いた。
しかし、向こう側にいる人間には、
風が窓ガラスを叩いているとしか思えないだろう。
どうにかしてここから出られないものか...
王妃は辺りを見回したが何処の光の窓も、
ここと同じように固く閉ざされている。
「まさか、あれは夢ではなかったのでは」
王妃は昼間見た不吉な夢を思い出した。
あれは夢だったではないか。
エレンが私を起こしにきた時、
私はちゃんとベッドで眠っていた。
鏡には何の変化もなく...。
王妃が混乱していると
白雪の部屋のドアが開いた。
ノックもなしに突然に...。
王妃は侵入者の顔を見て驚愕した。
自分なのだ。
今部屋に入ってきたのは
自分と同じ顔をした誰か...。
「そんな!」
王妃は窓ガラスを叩いた。
その音に気が付いたのか、
ガラスの向こうの誰かは、
ゆっくり顔を上げ王妃に笑い掛けた。
『もうすぐだよ、待っておいで』
あの声が、夢だと思っていたあの声が、
再び王妃の頭のなかに響いた。
偽王妃は安らかな吐息を立てて眠っている
白雪に近付くと、
その枕元に腰掛けニヤリと笑った。
真っ赤なルージュをひいた唇の端から
尖った牙がのぞく。
『くくく。
かれこれ一〇〇年ぶりのご馳走かねぇ』
白雪の体を抱き起こし
その細く白い首に口づける。
「やめて!」
王妃は狂ったように窓ガラスを叩いたが、
偽王妃は顔を上げ、
『お前が望んだことだろう?』
歪んだ笑い顔で呟いた。
「嘘よ。私はそんなこと望んでいない。
あなたが勝手に...」
『ふふふ。口でどう言おうと、
お前は考えていた、思っていた。
白雪の美しさが、若さが嫉ましいと』
「そんな...」
王妃は口をつぐんだ。
確かにそんなことを感じたこともある。
しかし、憎いとか、
殺してやりたいなどと思った事は一度だってない。
『お前のその心が、私を蘇らせた。
あの呪いの言葉と共に...』
〃世界で一番美しいのは誰?〃
『お前にしてやるよ』
「でも、あれを言ったのは私ではないわ」
王妃は唇を噛み締めた。
あんな言葉思いつくんじゃなかったと
今更後悔しても遅い。
『そんなこと。
誰が言ったかなんて問題じゃないよ。
その場にいたものの、気持ちの責任さ』
偽王妃は青い瞳を
血のように真っ赤にして笑うと、
白雪の首に噛み付いた。
尖った二つの牙は、
蝋のように白い首に深く沈み込んだ。
「あなたは...バンパイア...?」
王妃はその場に膝をつき呟いた。
『そう呼ぶ者もいたね。
私は不老不死の力を手に入れたマーク族の女王、
ベラ・バトリー。
欲しいのは、若く美しい体さ。
いつの時代でもね』