◆おしまい◆
早朝の森の中を、
二頭の馬が仲良く並んで歩いていた。
馬上の二人は? と言うと...。
「ねえ王子様」
「何ですか?」
王子はお得意の笑顔でカーラを見た。
「どうして悪魔にとどめを刺すのは、
黒い時の剣だって知ってたの?」
カーラは眉を寄せて王子に聞いた。
王子は軽く微笑むと、
「剣がキレイな状態の時、
剣の刃の部分を見ませんでしたか?」
王子の言葉にカーラは首を振った。
「そこに彫ってあったんですよ。
悪魔の姿を切るのは光の剣、
つまりキレイな状態の剣で、
悪魔との契約を断ち切るのは闇の剣、
黒い状態の剣だと。
ガイアさんにも聞いてましたし」
「なーんだ」
何とも単純な真相に、
カーラは拍子抜けしたように叫んだ。
もっとこう、
とんでもない苦労の末発見した事実だと、
勝手に想像していたカーラは、
何となく気落ちしてしまった。
「悪魔と契約を交わした者は、
その契約を破棄しないことには
永遠に滅ぼせないそうです。
それより、もうここまででいいですよ」
王子はアレフ城を振り返って見た。
もうだいぶ遠くなってしまった城は、
朝日を受けて白く煙って見えたが、
昨夜のことがまるで嘘のように静寂を保っている。
「駄目よ。王子様は方向音痴なんだから。
どこかとんでもないところに行かれたら
困るもの。
この国で行方不明なんかになられたら、
迷惑するのはこっちなんですからね。
ヘタしたら戦争よ。 分かる?」
カーラは人差し指で王子の胸元を押すと、
馬の腹を蹴り走り出した。
どうやら前よりは、
穏やかな空気が流れているようである。
エレンと兵士は王妃に言い付けられて、
ガイア達を家まで送っていった。
もちろん、お礼の品々をたくさん持って。
そのお礼の品とはドワーフ達の好物、
葡萄酒である。
ドワーフの家に着き、
荷馬車から兵士が葡萄酒の樽を下ろすと
ガイアがお茶をすすめてくれた。
エレンはそれに応じたが、
兵士は樽を地下の貯蔵庫まで入れなければいけないと言い辞退した。
本当はドワーフ達が好んで飲む
ハーブティーの味が、
好きになれなかったのである。
しかし、そんな心配は必要なかった。
その日ガイアが入れたお茶は、
ただの紅茶だったのだ。
「別れる前に
一つだけ聞いておきたいことが
あるんですけど?」
エレンは出された紅茶を飲みながら、
向かい側に座っているガイアを見た。
ガイアはポットから新しいお茶を
自分のカップに注ぎ入れると、
ハーブクッキーに手を伸ばす。
「森の中にある、あの林檎の木。
あの実を取りにいった時、
一つだけしか取っちゃ駄目だって
言いましたよね。
どうしてなんですか?」
エレンは窓の外に視線を移した。
あんな大木なのだから、
天辺の先っちょくらい見えてもよさそうなのに、
視界に入る限りの木々たちは、
みな切り揃えられたように
飛び出した所が一つもない。
「聞きたいかい?」
ガイアはクッキーを頬張りながら、
エレンを見上げる。
「考えだしたら気になって」
エレンは大きく息を着いたが、
「ならば何故、
林檎を取りにいった夜に聞かなかったのだ?」
ガイアは首を傾げた。
「その時はそんなこと疑問に思う暇なんて
なかったし...」
「ならばずっと忘れていたら良いものを...」
ガイアは紅茶をすすりながら小声で呟く。
「...そんな恐い意味でもあるんですか?」
渋いガイアの表情を見てエレンは声を落とす。
「人間、知らないほうが幸せと言う事もある」
ガイアは両腕を組み、
もっともらしく頷いて見せたが、
エレンの気は収まらない。
「そんな言いかたされたら夜も眠れません!」
エレンは頭を抱え込んで
テーブルに顔を伏せた。
ガイアは軽く咳払いすると、
「必要以上に林檎を持ち出した者は...」
「持ち出した者は?」
エレンは生唾を飲み込んだ。
「神の罰が当たり、
蛇になってしまうんだーーー!」
「えーーーー!!」
エレンは椅子から立ち上がり悲鳴を上げた。
「なんでそんな大切な事、
その時に言ってくれなかったんですか!」
エレンはガイアに詰め寄り、
噛み付かんばかりの勢いで叫んだ。
「それを教えたら、あの木に林檎は実らない。
その者の真意を知るためだな」
ガイアはニッコリ笑い人差し指を立てた。
その指はエレンに、がっしりと掴まれた。
「じゃあもし私がまかり間違って
林檎を二つ取ってしまった場合は
どうするつもりだったんですか?」
震える声でエレンはガイアを見た。
ガイアはばつが悪そうに
視線を明後日の方に向けると、
「かわりはいくらでもいただろう?」
腰を浮かせて呟く。
「私ってば当て駒だったんですかー!」
掴みかからんばかりの勢いで
エレンはガイアに怒鳴り付けたが、
ガイアはブンブンと首を振った。
「違う違う。
一番欲がなさそうに見えたからだ
「本当に?」
エレンは探るようにガイアを見詰めた。
「本当だ。
それに一番、木登りが得意そうに見えたし!」
ガイアはポンと両手を叩く。
「それ褒め言葉じゃありませんよ」
エレンは溜め息混じりに言うと
椅子に座り直った。
「でもまあいいわ。
貴方達のおかげで助かったのは事実ですもの。
どうもありがとうございました」
エレンはお茶を一口すすると
ガイアに頭を下げた。
「そろそろ戻りましょうか?」
扉が開いて兵士が顔を覗かせた。
エレンは兵士の顔を見ると、
また何か思い出したように声を上げた。
「もう何も隠し事などしておらんぞ」
ガイアは逃げ腰になってエレンに言う。
「ガイアさんの事じゃないわ。あなた!」
エレンは兵士を指差した。
「私ですか?」
兵士は首を傾げる。
「あなた、なんて名前なんですか!」
エレンは怒ったように兵士に聞く。
兵士は扉の後に隠れるように後じ去ると、
「別に私の名前に深い意味など…」
扉の影で呟く。
「意味とかそういう事じゃなくて!」
「聞きたいですか?」
兵士は思わせぶりにエレンを見た。
エレンが頷くと、
「実は私は隣国の密偵で……
これ以上はちょっとお答えできません」
兵士はゴニョゴニョと言葉を濁す。
「はぁっ? って事はあなたスパイ?」
エレンは立ち上がって、兵士を睨み付けた。
「いえ、詳しいことは言えないのですが、
分かりやすく言ってしまえば
王子様の護衛ですかね?」
「護衛って……
まさか悪魔退治は
偶然巻き込まれた事じゃなくて……」
「そ、それ以上はっ!!」
兵士は悲鳴のような声を上げて、
部屋から逃げ出した。
「ちょっと待ちなさいよーっ!
きっちり話してもらうわよーー!!」
エレンはガイアにお辞儀をすると、
兵士の後を追った。
「ありゃりゃ、
国際問題にならないだろうな」
ガイアは溜め息をつきながらお茶を飲み干した。
「まだ帰ってこないのかしら」
王妃の部屋のバルコニーで
朝食を取っていた白雪が、
ミルクの入ったカップを振り上げた
「お行儀悪いですよ白雪」
王妃が叱咤するが白雪はフフンと鼻をならし、
「怒るエレンが今はいなーい!」
踊るように身をくねらせた。
「でも良かったね。
城の人達も、みんな昨夜のことに
気付いていないみたいだし、
お父様もいつも通りに戻ったし。
一軒落着よね」
白雪はフォークを振りながら、
健康診断の名目で連れてこられた馬達を、
城から連れ出している兵士達を見下ろした。
健康診断は無事に終わり、
今日馬達はそれぞれの厩に帰っていくのだ。
里帰りしていたカーラも今日の午後、
帰ってくる予定である。
エレンは兵士を一人連れて、
ラズベリーを取りに早朝森へ...。
誰にも知られることなく、
事は収まった。
「まるで夢を見ていたよう」
王妃はグラスに映る自分の顔を見詰め呟いた。
「あ、帰ってきた!」
溜め息のような王妃の言葉を、
白雪の元気な声が阻んだ。
「わーい、
今日のティータイムは
ラズベリーパイよ、お母様!」
白雪は手を組んで瞳を輝かせると、
エレンに手を振った。
それに気付いたエレンが手を振り返した時、
森から一陣の風が吹き上がった。
風は城内の中庭を駆け抜け、
城壁を登るように進むと、
白雪と王妃のもとまで届いた。
テーブルクロスが、
白雪のドレスの裾が、
王妃の長い金髪が風になびく。
その風は春を告げる
今年初めての暖かな風だったのだ。
春一番が吹いた日の翌日、
白雪は十五才の誕生日を迎える。
おわり