悪魔を切る剣
王妃の部屋の前に付いたとき、
エレンとカーラは同じ事を考えていた。
王子はもう、中にいるだろうか?
それにしては静かすぎる。
ひょっとしたら方向音痴が発生して、
城を彷徨っているのでは...?
この考えはカーラだ。
しかし、口にすることは出来ない。
口に出したら王子の存在を、
悪魔に知らせることになる。
かといって、
いつまでもこんな所に立っていたら、
悪魔の方だっておかしいと思うはずである。
中に入らなくては...。
エレンとカーラは恋人達のように
見詰め合うと、
観音開きの立派な扉を仲良く押し開いた。
『ようこそ、我が城へ』
部屋の奥、呪願鏡の前で、
王妃がニッコリ微笑んだ。
外見は王妃そのものだが、
彼女が立っている場所だけ、
妙に闇が深かった。
『ドワーフの力を借りて、
ここまでは辿り着けたようだが、
この先どうする?
そんなちっぽけな鏡では、
私を殺すことは出来ないよ。
なんせ私は不死身だからねえ』
王妃はふくよかな胸を張って高笑いをした。
本物の王妃様だったら、
こんな下品な笑い方は絶対にしないわ!
エレンは避難がましく悪魔を睨んだ。
『お前達は邪魔者なんだよ。
ここで死んでくれるかい?』
悪魔は二人を睨み付けると、
白く細い手を中に掲げた。
『結界の中では、
私は魔法を使えないと
ドワーフどもに言われてきたんだろうけど、
全く使えない訳ではないんだよ。
カワイイ下部の餌になるがいい!』
悪魔の声が部屋中に響いたと同時、
呪願鏡の中から、
たくさんのグレムリンが飛び出した。
「こいつらをけしかけたって、
無駄だと分かっているんでしょ?!」
カーラは鏡を構えたが、
悪魔は牙でも見えるんじゃないかと
思えるほどに邪悪な笑みを浮べた。
『分かっているさ。
しかし、これを見たらどう思うかな?』
悪魔は呪願鏡の横に立ち、
その表面を撫でた。
いままでは真っ黒な状態だった鏡は
鈍く光りだし、
部屋の中を映し出した。
『ほほほほ、よく見るがいい。
自分たちの仲間を殺すのかい?』
悪魔はさも楽しげに、
手の甲を口元にあてて高笑いだ。
鏡の中には、エレンとカーラ。
そして、それを取り巻くように、
城で働く使用人達の姿が映っていた。
慌てて鏡から視線を移したが、
そこに居るのは
醜いグレムリンの群れである。
「こいつら城内の使用人達なの!?」
エレンは悲鳴を上げた。
『殺すも殺さないも、
お前達の良心次第だね』
「冗談じゃないわよ。
どうしよう先生!」
エレンはカーラの袖を引っ張り、
泣きそうな表情で叫んだ。
けれども泣きたいのはカーラも同じだ。
そんな二人の気持ちも知らずに、
グレムリン達は襲いかかる。
「とりあえず...」
カーラは、
にじり寄るグレムリン達を睨み上げ
後じさると、
「逃げましょう!」
クルリと背を向け走りだす。
とにかく王子がいないことには話にならない。
逃げ回っている間に、
王子が悪魔の所に辿り着いてくれれば
良いのだから。
『逃げられやしないよ』
悪魔の声が追ってくるように響いたが、
振り返る余裕もなかった。
グレムリンの爪を払いながら、
今来た廊下を走り回る。
「こいつらが城の人達だとしたら、
さっき鏡に封じた奴らは何だったの?」
エレンが不安そうに声を上げたが、
そんなこと考えたくもない。
さっきのグレムリン達も
城の者達だったなんて...。
カーラは首を振った。
「どうしようどうしよう!」
エレンは壊れたレコードのように
同じ言葉を繰り返していたが、
とにかく逃げよう。
今はそれしか出来ない。
「はぁーいっ!」
城門の前で結界を張っていた
ガイアの肩が叩かれたのは、
エレンとカーラが城外を
逃げ回っているときの事だった。
「白雪姫...」
ガイアは結界の手を緩めずに、
微笑みながら自分を見下ろす白雪を見た。
「手筈はどうかな、ガイアさん?」
白雪は城の方を見た。
やけに静かである。
しかし静かに見えるが、
中ではエレンとカーラが大騒ぎである。
そして王子も悪魔の部屋に
辿り着きつつあった。
「すみません。
どうしても行くってきかなくて...」
白雪を連れてきた兵士は
面目なさそうに頭を掻く。
「まあ邪魔にはならんだろう。
むしろ好都合かもしれないぞ」
ドワーフの意外な言葉に、
兵士は首を傾げた。
「毒気が抜けた今の白雪姫の行動は、
悪魔には判らない。
エレンとカーラだけでは
心もとなく思っていたところだ。
あんた、白雪姫と悪魔の所へ
行ってくれないか?」
少し遠回りをして、
王妃の部屋に向っている王子は、
なるべく窓の前を歩かないようにしていた。
いくら悪魔の気が逸れていると言ったって、
いつこっちに気が廻ってくるかしれない。
外に面した通路から、
中通路に入った王子は安堵の息を着いた。
迷うことなくついた。
王妃には口で聞いただけだったが
カーラの心配を他所に王子は無事に
悪魔のところまで来る事が出来た。
王妃は部屋への道順だけ言うと、
すぐに姿を消した。
長話しをしている間に、
悪魔に気付かれるかも知れないと
思ったからだろう。
今頃はエレンとカーラの所にいるはずだ。
「ひー、どうするんですか、先生!」
回廊の角に追い詰められた二人は、
悲鳴を上げるしかなかった。
『さよなら』
悪魔の嬉々とした声が響いた時、
ドシュン!!
鋭い音がしてグレムリンの一匹が床に落ちる。
グレムリンの心臓を一本の矢が射抜いていた。
次々に飛んでくる矢は
正確にグレムリン達の心臓を貫き
彼等の命を奪っていく。
「大丈夫だった?」
目を丸くしてグレムリンの死体を見詰める
エレンとカーラに心配そうな声を掛けたのは、
聞き慣れた白雪の声だった。
矢を放ったのは白雪と共にいる兵士だ。
恐ろしいほど良い腕をしている...。
「何てことするんですか!」
駆け寄ってきた白雪と兵士に、
エレンが怒鳴り付けた。
「何よう、せっかく助けてあげたのに!」
白雪はブーたれてエレンを見上げる。
「このグレムリン、
城の使用人達が
姿を変えられていたものだったのに!」
カーラはその場に膝をついて呻いた。
「えええええ! これが?」
カーラの言葉に白雪は叫ぶと、
グレムリンの死骸を手に取った。
「城にこんな使用人なんていたかしら?」
白雪は眉を寄せて首を傾げる。
「だから姿を変えられたって...」
言い掛けてカーラは言葉を飲んだ。
白雪がカーラの前に突き出した物は
グレムリンの死骸などではなく、
ボロボロの濡れ雑巾だったのだ。
カーラは慌てて床に目を向けたが、
そこに転がっているのは
バケツやらホウキやら...。
「騙されたー!」
きーっと叫ぶカーラの隣で
エレンがうなだれた。
「掃除用具相手に、
何悲鳴上げてるのかと思ったわよ!」
白雪は腰に両手をあて、
呆れたように呟いた。
「よほど恐いものに見えたんでしょうね」
兵士はフォローするように言うと、
放心状態の二人を見下ろした。
『とんだ邪魔が入ったものだよ。
もう手のこんだことはやめだ。
白雪だけいただいていくよ』
回廊の窓ガラスがガタガタと音を立て、
次第にその音を高めていく。
白雪達は窓から離れた壁に
団子状に固まっていた。
「どうしよう」
カーラはガイアからもらった
鏡を見詰め呟いた。
もう王子が王妃の部屋についても
おかしくない頃だ。
しかし、どうやってそこまで行こう...。
深刻に悩んでいるカーラを尻目に、
白雪は兵士と一緒に平気な顔で歩きだした。
窓ガラスは怪しげに音を
立てているというのに...。
「ひひ、姫様!?」
エレンは両手を伸ばして
白雪を捕まえようとしたが、
白雪はひらりと身をかわし、
「エレンと先生、なんか変よ?
何をそんなに怖がってるの?!」
キレイな柳眉を寄せて細い腰に両手を当てる。
兵士は気の毒そうに
エレンとカーラを見下ろした。
「白雪姫、二人には
まだ呪願鏡の力が働いているんですよ。
だから掃除用具がお化けに見えたり...
きっと今も何か見えるんでしょう?」
兵士は弓を持ち直し辺りを見回した。
人気のない回廊は
不気味なほど静まり返っている。
「何かって...
白雪姫だけいただいて行くって声が...」
カーラは揺れる窓ガラスを凝視しながら
呟いた。
この騒動が判らないなんて...。
「そんなの聞こえた?」
呑気な口調で聞く白雪に兵士は首を振った。
「とにかくエレンさん達に見えているものは、
すべて幻覚です。
ガイアさんが言っていました。
結界の中にいる悪魔は、
呪願鏡に姿を映した者にしか
幻覚を見せられないって。
だから私と白雪姫は何ともないんですよ。
城はいたって静かなものです。
悪魔になど惑わされずに
早く王妃様の部屋に参りましょう」
へっぴり腰のエレンとカーラを引っ張って、
白雪と兵士は回廊を歩きだした。
途中エレンが悲鳴を上げ
カーラが鏡を構えたが、
「何でもない何でもない」
両手を振って面倒くさそうに言う
白雪の言葉に、
現れた恐ろしい幻覚はすべて消されていった。
きゃあきゃあ叫ぶエレンとカーラを連れて
白雪の一行が王妃の部屋に着いたとき、
部屋の前では王子が寝たふりをしていた。
王子が部屋の前で待っていると、
複数の話し声が聞こえてきたので
機転をきかせたらしい。
しかしカーラは、そう思わなかった。
「ドジ踏んで眠ってる!」
真っ青な顔で眉を歪めている。
しかし不安はすぐに打ち消された。
王子は寝返りを打つふりをして、
ウィンクしてきたのだ。
ほーっと息を着いたカーラは、
扉に手を掛け、
「開けるわよ...」
蚊の鳴くような小さな声で同意を待った。
皆、深刻な顔で頷く。
ギギィィィィィ......。
扉の蝶番がきしんで気味の悪い音を立てた。
扉が開いたと同時に、
部屋の中から真っ黒な煙のような物が流れ出る。
空気より重い物なのか、
足にまとわり着くように流れてくるのだ。
先程カーラとエレンが来た時には、
こんなものはなかった。
「なんか黒い蛇が束になって
這ってくるように見える」
そうカーラが思ったが同時
エレンが悲鳴を上げた。
「きゃああ。私、蛇は駄目ー!」
バタバタと足で床を蹴りつける。
「また変なものに見えてるのね」
半ば呆れたように白雪は呟いたが、
突然隣に立っていたカーラに抱きつかれ、
つい悲鳴を上げてしまった。
「何するんですか先生!?」
白雪はバクバク鳴る心臓を静めようと、
変に大きな声で聞いた。
「...もう駄目、後はお願いね...」
カーラは目を見開いて
床の一点を凝視していたが、
白雪が視線をそこに移しても、
やっぱり何も見えなかった。
カーラはポケットから鏡を取出し、
半ば強引に白雪の手に持たせるが同時、
大きな悲鳴を上げつつ
部屋から飛び出していった。
「待ってください先生!
私もこの部屋にいたくないー!!」
逃げるように駆け出していったカーラの後を
エレンが慌てて追いかける。
『ほほほ。やはり呪願鏡の呪いを受けた者が
この部屋に長居することは辛いようだね。
この世の物ではないものが、
たくさん見えただろうに。
ほーほほほ』
部屋の奥から高飛車な笑い声が響き、
その主が姿を現した。
「お母様...」
白雪は黒いドレスの裾音を立てながら
歩んできた者の姿を認め呟いた。
何処から見ても自分の母親に違いないのだが、
血のように赤く輝く瞳は、
もはや人間のものではなかった。
「お母様を返して!」
白雪は数メートル先まで迫った
悪魔を睨み付けた。
『まったく、ドワーフどもは
余計なことをしてくれたものだね。
せっかく白雪の体を
私に近い物に変えたっていうのに!』
悪魔は白雪に答えず、
いまいましげに爪を噛んだ。
ギリギリと音を立てて
噛みちぎられた爪は、
赤く細い糸を引きつつ床に落ちた。
『まあいい。
どの道お前は
私の物になるのだから...』
「魔法も使えないくせによく言うわ。
お母様を返して!」
白雪は声を荒げて叫ぶと
ガイアからもらった鏡を掲げた。
鏡から放たれた光が
部屋中を照らしだす。
すべての反射物に光が集まり、
くっきりとその一つ一つの形を浮かび上がらせた。
美しく光のシルエットを浮べる物の中、
一つだけ黒い影を落としている物がある。
銀製の水差しだ。
魔を払う銀に宿るその影は、
紛れもない白雪の母、王妃だ。
不安そうな表情で、
こちらを見詰めているようだ。
「お母様!」
白雪は走りだし掛けたが兵士に手を掴まれた。
その銀の水差しは
大きな鏡の前に置いてあったのだ。
呪願鏡。
兵士はそれを見たことがなかったが、
そうだと確信した。
白雪が手にした鏡からは、
いまだまばゆい光が溢れていたにもかかわらず、
その鏡は何も映さずに、
ただ闇色に静まっていたからだ。
呪願鏡の前に立っては元の木阿弥だ
「卑怯よ、
お母様を呪願鏡の前にある物に
閉じこめるなんて!」
白雪は地団駄踏んで身悶えたが、
「白雪姫それは違います。
悪魔は銀には触れられないはずです。
案外銀の水差しの中に入られて
困っていたんじゃないですか。
ねえ?」
兵士は悪魔に視線を移し、
挑発的に言うと弓を構えた。
『馬鹿者め。
普通の武器が私に通用するとでも
思っているのかい?』
悪魔は弓を大きく絞る兵士に笑い掛けた。
真っ赤な口元からは刺の様に鋭い牙が覗く。
「思っていませんよ。
でもこれはドワーフさんからいただいた
武器ですから」
兵士は顔色一つ変えずに答えると矢を放った。
『ひっ!』
悲鳴を上げて悪魔は身を翻したが、
兵士の獲物は彼女ではなかった。
矢は真っすぐ進み、
寸分の違いなく銀の水差しに突き刺さった。
金属をも貫く鋭い矢の矢尻には、
細い紐が結び付けられていた。
その先は矢を射った兵士のもとに続いている。
「私の役目は、
王妃様をお前から遠ざける事だよ」
兵士はそういって思い切り紐を引っ張った。
その先の水差しは綿花の様に舞い上がると、
風に舞う木の葉のごとく優雅な動きで
白雪の手に渡った。
「お母様!」
白雪は水差しに頬摺りした。
その中で王妃が何か喋っているようなのだが、
何を話しているのか全く聞こえない。
『脅かすんじゃないよ!』
悪魔は目をむいて兵士に怒鳴ったが、
いつのまにか増えていた人物に気付き声を上げた。
『誰だいお前は?
服はこの城の兵服だが...』
悪魔は場違いな笑みを浮べてながら、
自分を見詰めている王子に声を掛けた。
「初めてお目にかかります。
私、隣国の者です。
父上から変わった物をいただいて
おりまして…」
王子は笑顔を絶やさずに剣を構えた。
途端に悪魔の顔色が変わる。
血のように赤かった唇は薄紫色に変わり、
透き通るように白い肌は蝋のように固まった。
『な、何故それがここに...
貴様ゴルゴ城の者だな。
王子か?
何故こんな所に!』
悪魔はヨロヨロと後退すると、
乾いた唇からひび割れた声を上げた。
「それはもちろん、
貴方を倒すためですよ。
今度こそ、本当に」
王子は早口に言うと床を蹴った。
悪魔は倒れるように呪願鏡の前に駆け寄ると、
その表面に手を当てた。
開いて重ねた掌から
煙のような筋が流れだすと、
それは鏡に吸い込まれる様にして消えていく。
と同時に
王妃の体が大きく後に倒れてきた。
「危ない!」
兵士が叫んだが
王妃の体は王子に抱きとめられた。
王子は王妃の体を床に横たえると
鏡に向き直る。
しかし、その中に
悪魔の姿を見付けることは出来なかった。
王子は剣を振り上げ、
滑らかな鏡面目掛けて振り下ろした。
鏡は悲鳴のような音を立てると、
バラバラ床に落ちた。
粉々に砕けた鏡の欠片は何も映すことなく
氷のように溶けて無くなった。
「大丈夫ですか?」
駆け寄ってきた兵士が王子に話し掛ける。
王子は頷くと王妃を見下ろした。
悪魔の抜けた王妃の体は沈黙を続けていたが、
白雪の持っている銀の水差しを
その胸にかざすと、
ゆっくり目を開いた。
「良かった、お母様!」
白雪が飛び付くと
王妃は彼女を優しく抱き締め涙を流した。
「一軒落着ですか?」
兵士が呟いたが王子は首を振る。
「悪魔はまだ城内にいるはずです」