進入
林檎を食べた白雪は、
一種の仮死状態になった。
こうして眠らせることによって、
悪魔の気を抜くらしい。
白雪の体から抜けた悪魔の気は、
彼女の枕元に置かれた
鏡の中に吸い込まれていく。
悪い気がすべて体内から抜け出た時、
鏡は割れると言う。
白雪が眠りについてから、
三日がたった夜、
城に入り込んでいる王子からの手紙を、
商人に扮した兵士が持ってやってきた。
「なんてことだ!」
王子からの手紙に目を通したガイアは
悲鳴のような声を上げた。
「いくら森を捜索しても
この場所には入れないと知った悪魔は
森を焼き払うつもりだ。
火なんか放たれたら、
結界は破れてしまう!
ぐずぐずしていられない。
今夜中に手を打たなくては!」
ガイアは家中のドワーフ仲間を集めると、
手際良く分担を決めていった。
「森に火をつけるなんて、そんなこと...」
信じられないといった口調で
カーラは呟いたが、
相手は悪魔である。
自分の欲の為に森を焼くことなど、
少しも咎めない事なのだろう。
「よりによって、
悪魔が一番活発に動く時間に
戦いを挑むことになるとは...
これも悪魔の策略の一つか」
ガイアは悔しそうに呟いた。
兼ねてから立てられていた
ガイアの計画であれば間違いなし!と
カーラは考えていたが、
実行が夜となっては危ぶまれる。
ガイアの計画では、
悪魔意外の人間は一切相手にしないことにあった。
一番手っ取りばやい方法。
城内の者達を、すべて眠らせるのだ。
そして城の周りに結界を張り、
悪魔が逃げ出せないようにする。
本当は白雪の目が覚めてから、
朝のうちに行う予定だったのだが、
思った以上に白雪の体内には
悪魔の気が入っていたらしく、
回復までかなり時間がかかりそうなのだ。
おまけに悪魔は、
そんなに気の長いほうではなかったらしい。
待ち切れなくなって、
自分から戦いを吹っかけてきたのだ。
「それぞれ支度をしたら城に向うぞ」
ガイアは祭り前夜の様に
大わらわの室内を見回し、皆に言う。
「準備もなにも、私たちはどうしたらいいのよ」
カーラが不満声を上げる。
「そうですよ。
私とカーラ先生の行動は、
悪魔にバレバレなんでしょう?
森から出ることは出来ないんじゃないんですか?」
エレンが眉を寄せてガイアを見た。
ガイアは咳払いをすると考え深げに俯いた。
「おそらく悪魔は、
今夜わしらが何かしようとしている事に
気付いていると思う。
しかし、今夜行かなければ、もう後はない。
それを悪魔も知っているはずだ」
ガイアはカーラとエレンを見上げた。
「城に結界を張ってしまえば、
悪魔の力は城外に及ばない。
その後城に入れば、
わしらが何をしようとしているのか
悪魔に知れることはない。
この後からが大事な事だ。
お前さん達には
王子が悪魔の部屋に辿り着くまでの間、
悪魔の目を引き付けておいてほしい。
危険な事だが、それが出来るのは、
お前さん達二人しかいない。
出来るかな?」
ガイアはカーラとエレンの顔を見合わせたが、
答えはすぐに返ったきた。
大きく頷く二人に、
ガイアはニッコリ笑い掛けると、
部屋中の窓ガラスが振動するほど
大きな声で叫んだ。
「いざ、悪魔討伐に!」
ドワーフ達は声をそろえて復唱し、
勇んで家から飛び出していった。
「それじゃあ、姫さまのことをお願いします」
エレンは白雪姫の部屋の戸口で兵士に言った。
兵士はニッコリ笑って頷くと、
「気を付けてくださいね。
白雪姫の事はご心配なく」
兵士は不安顔のエレンを励ますように言うと、
何か思い出したように声を上げ、
ワイシャツの胸ポケットから、
細い皮紐が通された十字架を取り出した。
「これを持っていってください。
エレンさんのは白雪姫の首にありますから。
あなたの物ほど高価な物ではありませんが、
多少なりとも神のご加護があるでしょう」
そう言って兵士は
エレンの首に十字架を下げた。
「ありがとう...
そういえば、あなたの名前、
聞いていなかったわね?」
エレンは十字架を握り締め兵士を見上げた。
「私みたいな一兵の事など
気にする事はありません。
どうかご無事で...」
兵士は深々と頭を下げエレンを見送った。
丸い月が天上に差し掛り
闇の色が一段と濃くなった深夜、
ドワーフ達は城の城壁の影に
身をひそめていた。
「準備はいいな?」
「合点だ!」
囁くような会話の後、
子供ほどの小さな影は散り散りに別れた。
「第一班、準備完了!」
「第二班、準備完了!」
城門に戻ってきたドワーフたちは
声を揃えてガイアに報告をする。
ガイアが右手を上げると、
城のあちこちから煙が上がった。
甘い眠気を誘うような煙は城中に広まり、
すべての生き物を眠りにつかせた。
城を守るはずの
兵士達は安らかな吐息をつきつつ、
剣を投げ出してお休みタイムだ。
薬の効き目を確認した後、
ドワーフ達は、再び別れた。
一人一人が、
長い紐のような物を握っている。
魔を封じる世界樹の樹の皮で造ったロープで、
城を一回りすると
ドワーフたちは城の四隅に一人ずつ、
裏門に一人、
城門に一人、
目を閉じて座り込んだ。
「森に住まう大地の精霊達よ、
しばし世界樹の皮に宿り、
魔を封じる力を我に貸したまえ」
手を組んで呪文じみた言葉をガイアが叫ぶと、
世界樹の樹の皮で出来たロープは
ふわりと持ち上がり
城を包む様にして中に浮いた。
『小賢しい真似を...』
突然、締め付けられるような衝撃を受け、
妃の姿をした悪魔は声を上げた。
『大地の力を使われたのでは、
私の魔法で城の連中を
起こすことは出来ない。
何処まで私の邪魔をすれば
気がすむというのだドワーフどもは!』
悪魔は忌ま忌ましげに、
目の前の窓ガラスを叩き割った。
『まあいい。
結界を張っている間、
ドワーフどもは動けない。
カーラやエレンなど、恐るるに足らぬわ』
悪魔は城の周りで瞑想にふける
ドワーフを見下ろした。
『そこから見ているがいい王妃よ。
カワイイ召使どもが殺される姿をな』
割れたガラスに映る王妃の姿を見詰め、
悪魔は唇の端を釣り上げると、
真っ赤な口で笑った。
「そろそろ時間かな?」
ガイアからもらった世界樹の葉を握り締め、
王子は辺りを見回した。
皆、心安らかな吐息をたてて眠っている。
王子だけは、
世界樹の葉のおかげで眠らずにすんだのだ。
今朝送った手紙の返事には、
カーラとエレンが城に入るまでは、
むやみに動きまわるなと書かれていた。
王子の存在が悪魔にバレてしまっては、
計画はすべて水の泡である。
王子は眠りこける兵士達に紛れて、
事が起きるのをじっと待っていた。
その事は、ほどなくしてやってきた。
「こら悪魔! この城から出ていきなさい」
言葉は勇ましいが、
何とも情けない声が廊下の向こうから
聞こえてきたのだ。
「戦闘開始だ」
王子は静かに立ち上がると、
声がした方向とは反対に向って走りだした。