685.油事情
平常心、バランス感覚、ぴよ体幹……。
この着ぐるみは魔力アシスト機能が付いている。
一日着ても呼吸は苦しくならず、水中でも難なく泳ぐことができる素晴らしい着ぐるみだ。
しかし集中力は必要である。
「ウゴ、とおさん集中してる!」
「ぴよよ。体幹、ぴよ……!」
「わふ。無理は禁物なんだぞ……!」
ステラはスタート地点の横に立ち、俺のことをじっと見つめている。完全にコーチの顔である。
みんなが見つめる中、俺は全身に魔力をみなぎらせ、ぽにっと駆け出した。
ぽにぽにぽに〜。
……この音は着ぐるみの仕様上、仕方ない。
脚を上げて最初の板に狙いを定める。油まみれの、よく滑りそうな板だ。
こんなに滑りそうな板の上を走るとは、人生で初めてである。もちろん前世でも経験はない。
「よっと……っ!」
足が板に触れる。
よし、このまま前に――と思った瞬間。
つるっ。
「うわっ!?」
全然力を入れることができず、盛大にバランスを崩す。
「――っと!」
しかしスタート地点の横にいたステラが素早く俺の倒れる方向に腕を差し入れる。
ステラの完璧なフォローにより、俺は転ぶことなくステラの腕にしがみつけた。
「おおぅ、助かった……」
「いえいえ、このためのわたしなので……!」
「しかしやはり難しいな。最初からこの調子か」
「もっと軽めに、力を抜いて大丈夫ですよ。体重移動の余地を残しておくのです」
ステラは俺を立たせると、板の上を一歩一歩、身体の動きが見えるように移動する。
「大切なのは接地と魔力アシストのバランスです。ヴァンパイアは雪や氷の中でもぴよ着ぐるみで軽快に行動します」
俺は大量のぴよ着ぐるみがアイススケートする光景を思い浮かべた。
「ウゴ、そういえば俺は大丈夫なの?」
「それなんだが、ウッドには耐性があるからな……。多分、転ばないぞ」
「ぴよ。そういえばいつでもおにいちゃんは変わらないぴよ。キレーぴよね!」
ウッドはあらゆる耐性に優れる。いわゆる汚れ(油汚れ含む)も寄せ付けないし、ゲームの中と同じく転倒にも強い。
もちろん身体能力も極めて高いし、雪や氷の上でも行動に支障はないだろう。
ウッドは自分でも思ってみなかったようで、目をぱちくりさせる。
「ウゴ、そうなんだ……!」
「わふ。試しにこの油に触ってみるんだぞ」
マルコシアスがささっと取り出した油入り木桶に、ウッドが指を突っ込む。
「……ウゴ、つるっとがすぐ消える」
「意識を傾ければさらにはやく消えるようになるはずだ」
「ぴよ! あたしと同じぴよね!」
やはり今回のダンジョン潜り、問題は俺だな……うん。このままだと完全に足手まといの予感がする。
その日、俺は夕方までよいしょよいしょと訓練所で油と格闘するのであった。
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