186.英雄の物差し
「燕を抑え込んだ私は、残された人々に言い残しました。燕は魔力があれば穏やかに眠り続ける。逆になくなれば、魔力を求めて暴れ出す……と」
女王は目を細めて、ステラの言葉を聞いていた。
「ターラに子どもはいませんでした。残された人は本来の王家とは無関係の人達です。しかし国を愛していた。そして真実ほど重要でないこともないのです」
「それはいかなる意ですか?」
「大切なのは、燕を討つことではありませんか? もちろん見込みなしに挑んでも返り討ちでしょうが」
ステラは静かに語り続けた。
女王と接して確信を得たことが一つある。
「女王陛下の顔色が悪いのは、魔力を失い過ぎているからですね。燕を抑えたからですか?」
「……その通りです。よく知っていると思いますが、あの儀式には魔力が必要なのですから」
王族の魔力と儀式を通して、燕を抑える。
それが大前提なのである。
「別に魔力は誰からでもいいと、知っていましたか?」
「そうなのですかっ!?」
クラリッサが声を上げる。
だが、女王達は驚いてはなかった。知っていたかのようである。
「試したわけではないですが、予測はしていました」
「お母様、それなら……!」
「クラリッサ、言葉にしてはいけません」
女王はクラリッサへ厳しい目を向ける。
それは親というより統治者としての言葉だった。
身内であるがゆえに、言葉にするのを許せないこともある。
「あなたの言葉に証拠はあるのですか?」
「ありません」
きっぱりとステラは言った。
そして自嘲するように、
「そもそも私の家系図も、偽りです。神の代理人からの系譜などなく、ターラも私もそう教えられただけですから」
ステラの家系はエルフと森の神の代理人を祖とする。
もっとも、ほとんどの貴族は辿ればそうなるのだが。
「ですが、真実にどれほどの価値があるのでしょう? 生まれついて尊い者などなく、行いによってのみ尊い者がいるのです」
その言葉に女王達が身じろぎする。
「……そのような言葉で納得すると思われるのですか?」
ステラはふうと息を吐くと、魔力をさらに研ぎ澄ませて放ち始めた。
それは女王達がこれまでに見たことのないほど、強力無比な魔力。
諸国の王侯貴族と接してなお、身震いがするほどの魔力であった。
「私がここに来たのは、燕を永久に討つため。私はかつてこの国に残った方々に、言いました。今は不可能でも、いつか手立てがあるだろうと。あなた方は数百年に渡って、燕を抑えてきました」
素朴で飾り気のない言葉は、貴族のそれではない。
だけどステラの放つ魔力が大気を揺らしていた。
「真実をいくら語っても、燕は残り続けます。それは変わらない。それに今回、私は一人ではありません」
すっとステラがナナを指し示した。
やれやれ、とナナが着ぐるみを収容して姿を現す。
青髪少女のその姿に、側近達がどよめいた。
「着ぐるみを瞬時に消した……まさか!?」
「あの青き髪、Sランク冒険者の……!」
「女王陛下におかれましては、ご機嫌麗しく存じます。ご挨拶が遅れたこと、ひらにご容赦ください」
胸に手を当て、優雅に一礼するナナ。
「アーティファクトマスター、ナナ。英雄ステラとともに燕の討伐を請け負います」
「あなたが……。娘から話は聞いております。その他にもお噂はかねがね」
「光栄に存じます」
クラリッサがホールド家にいるので、女王はナナのことを知っていた。
Sランク冒険者が二人も集まるなど、この国始まって以来のことである。
そしてステラは女王達へと向き直った。
「これまでの女王陛下並びに皆様方の働きにより、燕が暴れ出すことはなかったと思います。私はそれに敬意を表します。どうか、燕の討伐許可を」
「……お母様」
クラリッサはステラの言葉を噛み締めていた。
真実がどうであれ、重要なのは何を為すかと言うこと。
ステラの言葉には証拠がない。
でも彼女の魔力とナナの存在は、とても力強い。
女王もまた胸中で静かに納得していた。
あえて不遜な真実を口にしたのが、わかったからだ。
それに白き泉の場所を知っているなら、許可を得る必要もない。
泉を守る衛兵程度、ステラなら一蹴するだろう。
それでもここに来たのは、筋を通すためか。
「わかりました……。あなたが規格外の人物であることに異論はありません。真偽を置けば、あなた方を頼るべきなのでしょう」
「お母様……!」
女王は軽く息を吐いた。
英雄、傑物とはステラのことを言うのだろう。
ならば尋常の物差しではかるべきではないのだ。
「ありがとうございます……! エルト様とこのバットにかけて、必ずや燕を討ち取ってみせます!」
ステラが腰に差したバットを高々と掲げる。
おおっ、と側近達がざわめいた。
「木の棒のように見えるが……きっと素晴らしい武器に違いない」
「バット……聞いたことのない武器だが、滑らかで神々しくさえある」
「んー……なんか勘違いしてる気がする」
ナナがぽつりと言う中、女王が頷く。
「明朝、白き泉に出立しましょう。それでよろしいでしょうか?」
「はい!」
ステラの言葉に、クラリッサは胸が高鳴った。
「ところでそちらの銀髪のご令嬢は……?」
女王が軽く覗き込むようにマルコシアスを見る。
その問いはステラの予想内だ。
ステラはきっぱりと断言した。
余計なことを聞かれないように……最初に言い切っておく必要がある。
「ただの親友です……!」
◇
それから細かな打ち合わせをして、ステラ達は宮殿の一室に通された。
ヒノキを使い、金銀を散りばめた最上の客室である。
ちなみにマルコシアスのことはそれ以上聞かれなかった。
ステラが安堵の息を漏らす。どうにか許可は貰えたわけだ。
「さきほどは助かりました、ナナ。なんとかうまく行きましたね」
「……自覚はしてたんだね」
ナナは着ぐるみを着て、ベッドの上に寝転んでいる。
謁見の間には光が差し込んでいた。
直射日光に当てられたわけではない。でもヴァンパイアだと体力を消耗する。
「喋るのはどうも得意ではありません。納得はして貰いましたが」
ナナは思った。
納得というより、とりあえずやらせてみようという雰囲気な気はしたが。
言わないでおこう。
「マルちゃんのことも大丈夫でしたし」
「……スルーされたと言うべきか」
そのマルコシアスをナナは手招きする。
「どうしたんだぞ?」
「実は僕のお腹回りを少し改造してね。ちょっと触ってみて」
「ほほう、だぞ」
そう言うとマルコシアスは仰向けの着ぐるみのお腹をさわさわした。
ふわふわ……もこもこ……。
実に心地良い。
コカトリスのお腹回りをかなり再現していた。
もみもみ。
久し振りのふわもこ感である。
「おおっ、我が主のよーな触り心地だぞ!」
「ちょっと魔力を使うけどね。どう? 気に入った?」
「もちろんだぞ!」
無邪気に喜ぶマルコシアス。
数日間コカトリス成分が少なくなっていたので、このお腹回りは嬉しい。
この新機能はレイアとの合作だ。
好感度は地道に。ゆっくり積み上げるのがナナのやり方である。
「へぇ……良さそうですね」
と、ステラがすすっとナナの隣にやってくる。
ステラもふわもこ成分が不足しているのだ。
「……触ってみる?」
「もちろん……!」
「なかなかいいんだぞー、わふ」
子犬姿になったマルコシアスが、着ぐるみのお腹にすりすりと顔を寄せる。
ステラも着ぐるみのお腹を揉み始める。
もみもみ……。
「なるほど……。中々の再現度ですね!」
わずかに本家には及ばないものの、魔力を使っての再現度はかなり高い。
それからしばらく、ステラとマルコシアスは着ぐるみのお腹を堪能した。
気遣いのできる着ぐるみである……。
燕のことはあるけれど、勝算はしっかりある。
臆することはないのだ。
バットをきれいに磨いて、ステラはそう思ったのであった。
エルトのバットが世界を巡る。
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