108.コクをもうひとつ
家に一旦戻ると、ディアとウッド、マルコシアスが綿を片付けている最中であった。
ちなみに今のマルコシアスは人間形態だ。
かわいいけど、あの姿になるのを他の人に説明するのは難しい。
悪魔とは言えないからな。
なので、日中は人間の姿だ。
「我はあの姿でも構わんのだが……。解放感があったぞ」
「……だめぴよよ、そんなゆうわく……。マルちゃんのもちっとはだは、よるだけぴよ!」
ディアは本当にマルコシアスの子犬姿が気に入っているようだな。
まぁ、もちもちたぷたぷしてて気持ちいいのは確かだが……。
でもディアもマルコシアスが変身するのは、秘密の方がいいと思ってくれているみたいだ。
自分が呼び出したからこそ、責任を持つというのは重要なこと。
まるでディアが拾ってきた犬みたいだけど……そんなに違いはないか……。
「それでは私はトマトの辛味炒めを作りますね。辛さを抑えるために必要なのは――」
「豆板醤の量を減らして、その分にんにくと胡椒を増やすんだ。あとはキャベツかな……」
キッチンに並びながら、俺も料理をする。
野菜を炒めるのはステラ。
野菜を切るところまでは俺も手伝う。
しかしステラの包丁さばきは見惚れるくらいだな。包丁を割り箸でも持つかのように、軽快に操る。
目で追っているだけで楽しい。
その間、俺は豆板醤やにんにく、胡椒やその他調味量を慎重に計量していく。
……このために秤も買ったのだ。結構高かった。
こさじからゆっくりと……うーん、このくらいかなぁ?
正確なレシピは記憶の彼方。多分、このくらいだと思うんだけど。
「ふむふむ……なるほど。しっかりと量を計算されるんですね」
「レシピ本はあるが、ざっくりとしか書いてないしな。一から作っていくしかない」
この世界にもレシピ本はある。
だが非常に情報量は少ない――というか、筆者によって量も書いてあったりなかったりする。
塩、胡椒としか書いてなくて料理が作れるのか?
現代では考えられないが、本当にそうなのだ。
「キャベツを多く使われるのは、水分を吸わせるため……ですよね?」
「ああ、そうだ。後はしゃきしゃき感だな。それが多いと辛味がまぎれる……。それに辛味は油に吸収される。同じ量の野菜でも油からやれば違ってくる」
「……よくご存じですね。もしかしてエルト様ってかなりの美食家ですか?」
「いや……特にそういうわけではないが」
あくまで家庭料理の範疇だが――ああ、なるほど。この世界では料理知識へアクセスしづらいのか。
現代ではスマホがあればレシピがわかるし、動画を見れば実際にどういう手際でやっているかも参考にできる。
見よう見まねでいいなら、かなりの料理が作れるわけだ。
だが、ここではそうではない。
本は高価。普段作らない料理を体得するには、誰かに教えてもらう必要がある。
「色々な本を読んだり、家で食べている内に覚えたんだ。もしかしたら、同年代では知識が豊富な方かもしれん」
「やはりそうですよね……。エルト様のご年齢で、料理にまでしっかりとした知識があるのは珍しいかと思います」
そんな話をしているうちに、ナナ(コカトリスの着ぐるみ)がやってきた。心なしか、着ぐるみがピカピカになっている気がする。
予備の着ぐるみかもしれない。
「遅くなりました」
「いや、ちょうどいい。そろそろ炒め始めて――そうしたらすぐに出来上がる」
「……エルト様も直接、料理を? そちらに行ってもいいですか?」
「構わないぞ」
ずずいっとナナがキッチンに近寄ってくる。
もう計量は終わっているので、見られて困るものは何もない。
ステラが先に炒めるべき野菜を炒め、俺は残った野菜を切っているだけだし。
「へぇー……貴族院でも料理ができる子息はそんなにいませんでしたのに。エルト様は心得があるのですね」
「そうなのか?」
「いざという時のサバイバル術で料理を習うのですが、その時初めて料理をする人も多くて……」
「ああ……ボンボンの貴族なら、そういうこともあるか」
そこまで言って、ステラがじっと俺を見た。
ちなみに手は止まっていない。ちゃんと鍋を振るっている。
「エルト様も大貴族ナーガシュ家のご子息では……?」
「ホールドも最初は見てられない手際でしたけど……トマトさえまともに切れなかった」
「ま、まぁ……やはり植物魔法だからな。自分で生み出せるものくらいは、ちゃんと扱えないと」
俺はどもりながら答えた。
その答えにナナが満足そうに頷く。着ぐるみだけど、多分そうだ。
「素晴らしいことです。自分の手で何かを生み出すのは楽しいですしね」
そしてナナの目線がトマト炒めの方に向いている――気がする。
「もちろん、ナナの分もあるからな」
「……よかった」
◇
トマトの辛味炒めを盛り付け、昼ご飯にする。
「ディア、おいしいですか?」
「おいしーぴよ! しゃきしゃき感がたまらないぴよ!」
「……マルシス、辛くないか?」
「辛いぞ、父上……! だけど止まらない!」
ナナはさすがに着ぐるみを脱いでいる。
といっても深めのローブを羽織りながらだが。太陽が天敵って大変だな……。
フォークでトマトやキャベツをつつきながら、ナナも感心している。
「この前のよりもマイルドですね。痺れるような辛さは少なくなっています」
「ふむ……」
確かに辛さは抑えられ、食べやすくはなっていた。だが、やはり豆板醤の本来持っていた良さが減っている。
これならステラが使っていたレシピそのままの方が、レベルが高い。
何か調味料を足さないといけない……気がする。
ステラももぐもぐと美味しそうに食べてはいるんだが……。
うーむ、難しいっ。
「私としては食べやすくなって美味しいと思いますが……」
「コクが足りないと思うんだ……。わずかな差だとわかってはいるが」
「うーん、その差を埋めるならオイスターソースがあればいいのでしょうが……」
「……そうだなぁ……」
エルフ料理にもオイスターソースはある。
もっとも牡蠣そのものがかなりの貴重品で、豆板醤だけでは出せないコクを出すのに使うわけだが。
ザンザスでもオイスターソースは一般的ではない。要は手に入らないわけだ。
「……似たような風味なら、ここでも用意できると思いますけど」
「えっ?」
突然、ナナがそんなことを言い出す。
この村でそんな可能性があるものがあったか?
全然覚えがない。
「レインボーフィッシュの鱗です。あれの色違いを出汁にすると……」
「牡蠣の出汁――オイスターソースに近くなるのか?」
ナナはこくりと頷いた。
俺も忙しくてレインボーフィッシュの鱗違いまで気が回らなかった。
でも確かに肥料になるのなら、他の食用に近い用途になっても不思議はないか……。
さしずめ魚の骨を煮出すのに似ているわけだ。
「お金があれば、試せると思いますけど」
「ぜひ、やってくれ」
さすがSランク冒険者。
そんな知識があったんだな。
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