前編
お試しの初投稿です。
前編・中編・後編に区切りましたが、二万字に満たない短編です。
「スキャン、カンリョウ。テンソウ、カイシ。」
電子ガイダンスが終わると、ヴンッと重みのある起動音が響く。
続いて無数の稲妻が、身体の中を平面に駆け抜ける様な感覚が、足の裏から徐々に上がってくる。
当てられた細胞は痺れた様な衝撃を脳へ送ってくると、その直後にすべての反応を失う。それも刹那の後には、また機能を再開する。
踵、脛、膝、太腿。この辺りまで来ると、足の裏は靴越しに地面を踏みしめていると脳に訴えているのに、宙に浮いている様な不安感が湧いてくる。
お尻、お腹、鳩尾。並行して手、腕、肘。この辺りは内臓のオンパレードだ。先程までの浮遊感はそっちのけで、身体の中が引っ掻き回されている様な刺激と両手が失われるイメージに、焦りに似たスリルが掻き立てられる。
胸と二の腕、肩、首。ここまで来ると、唯一残っている頭には諦めに似た感情が芽生える。
その感覚が目の上辺りまで達した時、さっきまでの哀愁が吹き飛び、生まれ変わった様な錯覚に陥る。脳は忙しなく繋ぎ直された身体の隅々へ信号を発信し、それらが未だ支配下にある事を確認する。
そうこうしているうちに頭頂部へ特大の稲妻が走った。
「テンソウ、カンリョウ。」
空間固定装置が解除されると、自由になった両目は転送前と大差ない円柱形の壁を写し出す。だが、その分厚い壁の半面が時計回りにスライドして壁へ収納されると、そこには全く違う景色が広がっていた。
双羽はこの一連の感覚が好きだった。
身動きが効かない閉塞感。身体の中を電磁波が駆け抜ける感触。そんな状況下で徐々に身体が無くなっていくイメージ。頭が無事に転送された直後の安堵感。そして、イルージョンの覆いを取り払った時の様に、突然出現する全く異なる空間。
素粒子化転送技術は今世紀最高の大発明と言って良い。
今や素粒子ネットワークと呼ばれる回線は世界中の至る所に張り巡らされ、どんな距離でも許可さえ下りればわずか5分足らずで移動する事が出来る。
つい先程まで、双羽は街の中心にある転送施設に居た。ズラリと壁に埋め込まれた円柱から人が出たり入ったりしているだけの、広くも殺風景な部屋。
そして300秒後の今、窓越しに見えるのは眩い日差しを浴びる青々とした野原だった。
息を大きく吸い込むと、まず両手、両足がちゃんと動く事を確かめる。掌を結んでは開く。爪先立ちになったら、今度は踵に重心を移してみる。
良し、問題無し。ついでに体を左右に捩って、背中のリュックも確認する。好きなお菓子を厳選してきた。大切な食料だ。こちらも問題無し。
分子の一つまでちゃんと転送された事を実感しながら、転送の余韻に浸る。と、突然けたたましい電子音声が流れた。
「ケイコク!ソウチジョウニ、イブツヲ、カクニン。スミヤカニ、テッキョ、シテクダサイ。」
双羽は慌てて外へ出た。
今日、双羽がやってきたのは、双羽の街から見える丘に最近設置された転送装置だ。
風力発電機の建設候補地だとかで、とりあえず転送施設だけが先に設置されたそうだ。双羽の街に、電力会社の関係者や素粒子ネットワーク敷設の為の工事車両が、一時期出入りしていた。
しかし建設は保留となってしまったらしく、今では誰も訪れる者が居ない。日間転送者数も連日0人となっていた。つまりは貸し切りだ。
外に出ると、隣には大きなシャッターが降りていた。おそらく建築機材を転送するのに使われる筈だったであろう、大型の転送機だ。
そこからギリギリ車二台分程の幅の道が、100m足らず先の頂上へ向かって延びていた。どうやら双羽の街は丘の反対側らしい。
折角だから頂上へ登ってみる。
なかなかの見晴らしだった。視界を遮るような高い樹木は無く、麓の小さな林と、その先に双羽の街が一望出来た。
アスファルトの道は緩やかに曲がりくねり、下の方は腰ほどある野草で隠れてしまっている。どうやら、林を迂回して街へ至る幹線道路に繋がっている様だ。転送装置が普及しているこのご時世、気紛れで来る様な人は居そうにない道程だった。
双羽は大きく伸びをした。この丘には今、自分一人だけが君臨している。中々に小気味が良い。
少し道を外れた所に、立派な横枝を蓄えた木が一本、丁度良い木陰を作っていた。
景色は良いが、少し日射しの強さに辟易し始めていたところだ。双羽は足で草を踏みならす様にして、ゆっくりとその木を目掛けて進んだ。
近付いてみると、そこには予想外に残念な物体があった。一台の薄汚れた自転車が、場違いにも立て掛けてあったのだ。
しかも趣味目的のマウンテンバイクやロードバイク、BMX等の類いでは無く、今はあまり流通していない籠と荷台付きの物だった。映画等でしか見た事のない、旧時代に実用性を重視して作られた自転車だ。今ではアンティークの展示物でなければ、正直言って粗大ゴミだ。
人が居ないのを良い事に、こんな場所までゴミの不法投棄に来るとは。転送技術はゴミ処理やリサイクルにも大いに貢献しているのに、そんな時代でも不法投棄をする輩は後を絶たない。
双羽は腹立たしげに自転車を立てた。多少泥が付いている程度で、思ったよりは汚れていなかった。タイヤの空気も抜けていないので、転送施設まで乗っていけそうだ。
BMXなら何度も遊んだ事がある。オフロードを走った事はないが勝手は同じだろう、と跨ってみた。
少しサドルが双羽には高い。調節しようと一度下りようとしたその時、上から声が降ってきた。
「おい!」
突然の事に頭上を見上げると、既に危うかったバランスが崩れた。双羽の体は倒れる自転車に引っ張られるようにして、地面に叩き付けられた。
頭は庇ったが、左肩を強く打った。半ズボンの左足は、擦り傷だらけで自転車の下敷きになってしまっている様だ。
そんな双羽の眼前に、鈍い音と砂埃を撒き散らしながら、ニ本の足が落ちて来た。
咄嗟に自由になっている右腕で顔を覆ったが、目にも口にも砂が飛んで咳き込む。何が起こっているのか分からず、不安と恐怖に縮み上がる。
「転送技術が発達したってのに、そんな時代でも自転車泥棒は後を絶たないみたいだな。」
恐る恐る、涙に滲む目を開けて声の主を仰ぎ見た。
履き古したスニーカーに、少しダボついたくるぶし上丈のジーンズ。この暑さの中、薄手とはいえ長袖を羽織った上半身が、双羽の方へと屈んでくる。
その腕は双羽の目の前を通り過ぎると、ハンドルとサドルを握って自転車を立て直した。途中で双羽の右足が引っ掛かったが、邪魔そうに振り払われた。擦り傷がまた増えた。あんまりな扱いだ。
とりあえず体が自由になったので、慌てて立ち上がる。相変わらず左肩が痛むが、それ以外は特に大きな怪我は無いようだ。
「ちょっと、いきなり何すんのよ!」
「それはこっちのセリフだ。」
青年は苛立たしげに眼鏡のブリッジを押し上げた。眉間には険しい皺が浮かぶ。
「人の自転車盗もうとした上に、自分で倒れておいて逆ギレとは、盗人猛々しいな。」
「……!?」
冤罪への怒りと戸惑いで、言葉を詰まらせる双羽。顔が真っ赤になる。肩も震えた。
そのせいで左肩がまた痛んだ。その痛みが空回りしていた双羽の意識に、一時停止を掛けた。冷静に弁解の言葉を考える。
「不法投棄かと思ったのよ。だって、」
いや、違う。無実を訴えたい衝動を抑える。
「……ごめんなさい。早とちりしました。」
反論して、相手を論破する事にはあまり意味は無い。まずは誠意を見せて警戒を解くのだ。
度の強い丸眼鏡越しに、青年の視線が双羽の瞳を射貫く。身長は向こうのほうが僅かに高い。顎を上げて、真っ直ぐと見つめ合う。
しばらくそうしていた。先に視線を反らしたのは青年のほうだった。双羽はホッと胸を撫で下ろす。
青年は元あった木の根本に自転車を立て掛けると、慣れた身のこなしで木の幹を登って行った。
そして、短いが丈夫そうな枝に引っ掛けてあった大きなバックパックを引っ掻き回していたと思うと、また飛び降りて来た。
「こんなもんで良いか?」
差し出してきた右手には、消毒液のプラスチックボトルと何枚かの絆創膏、それに湿布薬が二枚握られていた。どうやら誤解は解けたようだ。
お礼を言ってそれらを受け取ると、草原に座り込んでまず足の擦り傷を消毒した。ホットパンツを履いていたのでかなり広範囲に擦れていたが、どこも大した傷ではなかった。ほんのり血の滲んでいた箇所には絆創膏を貼る。
続いて、青くなり始めていた左肩に湿布を一枚貼った。夏休み中にしては淡い色の肌に、レモン色のキャミソール。そこに真っ白な湿布薬。何やらとても不格好な気がするが、幸い目撃者はこの無粋なメガネ青年しか居ない。
手早く処置を終えて、消毒液や余った絆創膏と湿布薬を返した。青年はおもむろにそれらを自転車の籠に入れると、自分も木に寄り掛かった。
「こっちもいきなり邪険にして悪かった。謝る。ごめん。」
どうやら素直に謝っておいたのは正解だったようだ。相手も短絡的ではありそうだが、話の通じる奴のようだ。我ながらに大人顔負けの卓越したコミュ術だと、双羽は内心、得意になる。
「それで、こんな辺鄙な所で何してるんだ?」
「ポイント稼ぎ。」
明るめの茶色に染めた肩まである髪を掻き上げて、双羽は自分の首の裏をペシペシと叩いた。そこにはIDチップが埋め込まれていて、それが転送装置を利用する時にも身分証明になる。
そして双羽の言う「ポイント」とは、転送に必要なポイントの事だ。
転送技術が広く普及して以来、人口の分散が急速に進んだ。
かつての大都市は住居としての役割を失い、代わりに無数の小さな住宅街が新たに開拓された。中には、山奥や孤島に建物が一棟だけといった「街」も珍しくない。
しかし、移動に掛かるコストが全ての人々に対して平等になったという事は、特定の場所へ人々が瞬間的に押し寄せるといった弊害も生んだ。
景勝地や観光名所は来訪客で溢れ返り、酷い混雑を引き起こした。大きな行楽イベントやデモ運動の際には、街が一つ廃墟になる様な大混乱すら歴史に記録された。
その対策として導入されたのが、ポイント制による移動制限である。
転送装置の利用者には毎週一定の転送ポイントが平等に配布され、転送移動する度にそれが減っていく。減るポイントの額は、転送先の装置を管理する自治体やその時の混雑具合によって変わってくる。
お祭りなどのイベントが催されている期間や、純粋に人気のある街へは、転送ポイントも転送料金も当然高額になる。転送装置以外のアクセス手段が無い場所なら尚更だ。
いくら大金を積んでも、目的地の転送者数が制限人数達してしまえば、転送して貰う事は出来ない。ポイントが足りない場合も然り。
逆にほとんど転送装置を利用しなければ、残高の何割かが翌週の分に繰り越される。もしくは、転送者数の少ない場所で過ごした場合も、「ボーナスポイント」が貰えた。
ボーナスポイント制度は元々、人の分散を推奨する為に暫定的に導入されたのだが、今では過疎化してしまった商店街や観光地の町おこしにも活用される様になっていた。
しかし、この丘の様に飲食店や娯楽施設どころか人すらほとんど居ない場所は、ボーナスポイント稼ぎの為だけのスポットとして利用されていた。
「ポイント稼ぎに使える転送先なんて他にもあるだろ?わざわざこんな何も無い所を選ばなくても。」
「え、知らないの?転送者数0のスポットなんてまず無いって。ここはアタシの街からしか転送して来れないからあんまり知られてなくって、すっごい穴場なんだよ。」
双羽は自慢げに解説する。と、自分の言葉に疑問が湧いた。
「ちょっと待って。来る前もちゃんと確認したけど、ここの転送者数は0のままだったよ。アンタ、何処から来たの?」
「俺もお前と同じ街に住んでるんだよ。」
「いや、だから、転送者数が連日0だったんだって……」
説明を繰り返す双羽を遮る様に、青年は自転車のサドルを叩いた。
「コイツで来た。だから転送者数は0人であってる。」
その言葉の意味がすぐには分からず、双羽は固まった。一呼吸あけて、双羽の驚きの声が真夏の風に乗って響いた。