9話:占い師・家業2
その後、東海道線で熱海、伊東温泉2泊3日の一人旅に出た。
「そこで熱海の海の見える温泉から真っ青な海と暮れなずむ夕日を眺めていると、警視庁での4年間が思い出された」。風呂から出て、ビールを飲んで眠くなり、熟睡した。翌日は、朝風呂に入り、ゆっくりして11時にチェックアウトして熱海駅で昼食をとって伊東行きの電車に乗り伊東へ到着して午後2時にホテルに入り部屋から見える海をゆっくりと眺めた。
伊東温泉で温泉三昧して、翌日チェックアウトしてホテルで昼食をとり、実家へお土産を買って、午後1時発の列車で熱海で乗り換えて東京の自宅に着いたのが午後3時過ぎだった。家に帰り、徹子は、友人の明美と一美に電話をして退職した話をして今週の日曜日1977年1月14日、11時に上野のいつもの喫茶店で会おうと約束した。徹子が11時に着くと2人は来ていて、その席に行くと明美と一美が、ご苦労様でしたと言ってくれた。
「明美が徹子に、この先何やるのと聞くので、まだ決めてないというと占いをしたら良いと言い、というのはトランプ占い、姓名判断、手相の占い師は多いが人相占いというのは少なく、そう言う意味では競争が少なく良いと思うと言った」。
「そして、これなら明日からでも人相占いできると言った。それでは今年1977年4月から上野で始めるわと言い明美の投資100万円をありがたく借りてビルの費用に当てて有限会社をつくり明美を副社長にするわと笑いながら言った」。その他、必要な椅子、机、ソファー、その他、必要な物を揃え始めると言った。3月になったら明美の家に行き賃貸契約所にサインすると言い、有限会社
の設立を直ぐに始めると言った。そして、近くのレストランで夕食をとって、夜19時に解散して、自宅に帰った。その後、2月に、明美の紹介で上野の里美公認会計士事務所に行き、有限会社の設立の手続きについて相談して、徹子相談事務所という名称で、有限会社を資本金50万円で設立した。
取締役として神田明美の名前を借りた。そして、2月中に徹子相談事務所の設立の手続きを終了し、3月に入り、手相、人相、タロット占いの本を読んで基礎的な知識を身につけた。事務所には冷蔵庫と、ラジオを置き椅子を3脚と折りたたみ椅子2つと3人掛けソファーを購入した。水道も完備されていて電気コンロも買っておいた。
エアコンは既に設置されていた。そして2月の4回の日曜日に一美と明美さんに連絡して3人で徹子相談事務所の開設のビラ配りを手伝ってもらった。その後、1977年4月1日朝9時、徹子相談事務所の開設初日、3人のお客さんが来た。そこで、2人目3人目の人に、開始時間を9時10分、20分と書いた紙を渡した。