7話:予知能力が怖く警察を退職
「話を聞き明美が笑いながら、そんな事ある訳ないじゃん」
と言った。
「一美は、もし本当なら大変なだわと顔をこわばらせた」。
「徹子は仕事のしすぎで疲れているのよと言う話になり少しして解散して、帰った」。
「同級会から10日後、明美から徹子に電話が入り、西藤茂雄がバイク事故で昨日、亡くなったと連絡が入った」。
「そこで、今週の日曜、いつもの喫茶店で昼に、3人で会うことにした」。
「3人が集まると明美が同窓会の時にバイクに乗ろうと誘われて断った」。
「でも茂雄は同じ運送会社の事務の女の子をバイクの後ろに乗せて三浦海岸から横須賀、葉山、逗子、を抜けて鎌倉、江ノ島へドライブした」。
「葉山の急カーブで曲がりきれず対向車と正面衝突した」。
「後ろ女の子はバイクから放り出されて、幸運にも砂浜にほおり出されて打撲だけで済んだ」。
「しかし、茂雄、首と頭の骨を折り救急病院に担ぎ込まれ夜に亡くなった」と教えてくれた。
「その話を聞いて徹子は泣き崩れた。嫌、もー嫌、私はどうしたら良いの、こんな悲しいことを先に知るなんて耐えられないと号泣した」。
「すると一美が、そんなことはないよ、その能力を人のために生かしたら、どうなのよ、言った。具体的にはと徹子が聞くと人生相談とか占いとかをして上げるのよと言った」。
「もし、それで将来の不幸を未然に防げるのだったら、私は、お金払うわよと言った」。
「すると、それ良いね、もし良かったら父に東京の繁華街のビルの部屋を安く借りて上げても良いよと言ってくれた」。
「この突然の提案に徹子は、驚き、そうか人のために生かすのかと言い、少し考えて見ると言って、一美と明美に、お礼を言った」。
「ところで明後日が茂雄のお通夜で、その翌日が葬式だけれど、どっちか行かないと言われた」。
「すると徹子はお昼の方が良いから1976年5月10日葬式に出て5月10日、喪服で西藤茂雄の葬式に友人3人で参列し、ご焼香をした」。
「この葬式で徹子は自分の歩むべきを道を探したような気がした」。
「その後、特に変わらず警視庁に出勤して、もくもくとモンタージュ写真や手配写真を見て、犯人検挙を続けていた」。その後、暑くなり、涼しくなり、紅葉を迎えて12月になり、ボーナスが支給されて、1976年12月24日、警視庁の久松賢人部長に一身上の都合で退職させていただきますと言った。
「そして退職願を渡すと、ご苦労さんでしたと握手し、よく頑張ったねと言ってくれ、この言葉が徹子の心に刺さり号泣してしまったが久松部長が、ゆっくりと心の休養を取って、元気で暮らし長生きして下さいねと言った」。
「その顔が恵比寿様のように神々しく見えた」。
そして実家に帰り退職した理由を話した。結局、警視庁で4年8ヶ月勤務して預金が利子も含めて約300万円となっていた。