6話:悲しい予知能力
「最近、交通違反の男の子を見て、その子の髪の毛が白髪になり、直ぐに、また黒髪に戻るという不思議な経験をするようになった」。
「その子が決まってバイク事故で亡くなると言う悲劇が続き、最初は偶然だと自分に言い聞かせていたが、それが10人以上も続いた」。
「遂に10月には恐ろしくなってしまい、誰にも相談できなくて困っている時に部長の久松賢人さんに部長室に呼ばれた。」
「君、この頃、顔色悪いが何か困った事があるのかと聞かれ、バイクの少年の白髪の話をすると、それは確かに気味悪いよなと言い、君には本当に特殊能力があるのかも知れないと言った」。
「どうしても耐えられないのなら、この仕事を辞めるのも君の自由だから、僕は、止めないよと言ってくれ安心した」。もう少し頑張ってみますと言い部屋を出た。そして今年から犯人検挙数に応じて割増金が正式に支給されて月に手取りで15万円を越え、やがて1976年を迎えた。
この年にはボーナスも増えて年収200万円を越えた。全て、お金の管理は、母に依頼していたので、ワリコー、ワリチョー、郵便局定額、定期預金に積んでくれた。そんな1976年4月3日に、中学の同級会の案内が郵送された。5月3日、上野のレストランで夕方4時からだったので、あらかじめ有給休暇の申請を提出して出席した。5月3日は、精一杯、オシャレして、同級会に参加しレストランに着くと、もう5人の友人が来ていた。
開始の4時には10人集まり、元・級長の高見沢孝くんが、これで参加予定者10人そろったと言い、飲み物を注いで乾杯した。担任の先生は帰京していて、同級会には参加できないようだ。中学時代仲良の神田明美、渋谷一美が寄ってきて、徹子、今、警視庁に配属されてエリートコースを歩んでいるんだってと言われ、まぐれですと言うと謙遜しなくても良いのよと言われた。そして
「明美が徹子に、あなた昔、恋占いが上手で当てていた」と言った。
「明美は自分が何に向いてるか徹子に占ってもらい、お父さんが奨めた外科、整形外科、脳外科でなくて、皮膚科の医者の道を進んで良かったと言った」。
明美の家は、昔から鎌倉で有名人を相手にした小さな外科病院の院長で金持ちで、お父さん自身は、現在、診療をやめて、東京、橫浜で貸しビルのオーナーになってハワイに別荘をもち裕福な生活をしていた。それに比べ一美は小さい時に働き手のトラック運転手だったお父さんを交通事故で亡くして、中学校の時に、近くの雇用促進住宅に弟と、お母さんの3人で住んでいた。一美は、給料が少なく、生活保護をもらっていたが、勝ち気で、何でも一生懸命で、勉強も出来た頑張り屋さんだった。徹子も店で売れ残った、おはぎや柏餅など食料を持って、遊びに行くと、本当に喜んでくれたのがうれしくて親友になった。