34話:橫浜みらとみらいの新居
そして、夏が過ぎ、駆け足で秋、冬となり、アメリカのカリフォルニア大学サンディエゴ校・UCSDのビジネスコースの留学を終えて、シリコンバレーの5つの企業に、就職試験応募を出したと、伊藤一恵も伊東肇からメールが入った。その後、11月6日に、伊東肇が就職希望の2番目の企業に、合格したと連絡が入った。その後、11月8日に、伊藤一恵から、就職希望の3番目の企業に、合格したと連絡が入った。これで、アメリカでの生活が始まると、喜んでる姿がメールからも感じ取れるような文面だった。
そして、2002年を迎えて、日本ネットバブルが完全に崩壊して2002年3月6日に、橫浜みなとみらいMタワーの良い売り物件が出て8900万円で85平米で2LDK、南向きで海が見える地上18階の物件が出たと連絡が入り購入の手続きを取った。手数料込みで9千万円を支払った。その後、引っ越した。余り家具を多くせずに、ベッドと、テレビ、冷蔵庫、洗濯機、ソファーで過ごすようにして、新しく、買い込んだのは電動自転車2台だった。そして、天気の良い日には、港の見える丘公園、橫浜駅、遠い所は、三渓園まで足を伸ばすようになった。
また、中華街や、関内の素敵な洋食屋にも頻繁に出かけるようになった。 そして、伊東徹子が退職して1年が過ぎた2002年5月8日、何か仕事がしたいと言い出し本当に好きな、占いの仕事を中華街の若い人達が来る様な素敵な事務所を借りて、やりたいと言うた。そこで伊東吾郎も事務所探しを手伝った。すると、元町中華街駅から徒歩3分で11階建てのビルの2階の小さな店が閉店するのと聞きつけてテナント料金を聞くと、広さ8坪、26.5平米で賃料が着き8.5万円だった。 そこで、借りる契約を取った。その後、女性の学生アルバイトを1人募集して、電話と入れて開始することにした。
インターネットで広告を打ち、雇ったアルバイトの娘と旦那さんの3人で、元町中華街駅や繁華街でビラを配って回った。そして、健康占い、手相、人相、恋占いなど、軽めのメニューで初めた。最初は、1日5~10人で、1人最大10分で千円とした。すると3ヶ月を過ぎると土日は30人を超える日も出て来て、口コミ、紹介で若い女の子を中心に増えてきた。その後、自分のむいてる商売は何かとか、進路は、とか、予期しない相談も増えたが、上手く話を聞き出して対処した。
やはり、土日祭日中心に混み合うので、朝9時から夜7時前の営業にして、月、火を定休日にした。半年が過ぎる頃には、多い日で50人を超えたので、夜7時で終了とした。その後、ある若い女性から、メールでの相談は、出来ないのですかと言われ、やはり、本人と向かい合っての方が良いと言い、やっていませんと断った。2002年12月は、遂に平均40人を超えて、利益も出るようになった。やがて、2003年となった。