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32話:米国人の友人と米国留学の話

 その後、日本に在住のアメリカ人の女の子3人の1人がフェリス女学院高校出身で、学園祭に行ったり、横浜元町、中華街に頻繁にいくようになり、彼女の橫浜の家にもいくようになり、彼女の父親が、自宅の近くの教会の牧師さんをしていて、たまに、YCAC・横浜カントリー&アスレチック・クラブに連れて行ってくれるようになり、伊藤一恵、伊東肇にとっても、生きた英語の勉強に役立った。そして、中華街の美味しい中華料理屋、関内、近辺の美味しい洋食屋、ポンパドールなどに連れて行ってくれるようになった。1998年の夏休み、シアトルに住むアメリカ人の友人のおばあさんの家に、伊藤一恵、伊東肇と、他3人の5人で、初めての海外旅行へ出かけて14日間の旅行をして

、1998年9月6日に、日本に帰ってきた。


 その時、シリコンバレーの話を聞いて、伊藤一恵、伊東肇が、卒業後、あそこの企業で働きたいと、熱く語った。1999年1月18日から冬休みの10日間、シリコンバレーの企業見学を兼ねて、サンノゼに伊藤一恵、伊東肇と友人2人の合計4人で出かけた。一方、伊東吾郎の株投資の方は、うまくいき、1999年12月30日、ソニー株を成り行き買いで、2万株を60600万円で売れ、税引き後利益が49510万円となり、残金合計が58000万円となった。そこで、子供達の留学費用200万円を出してやることにした。


 2000年2月2日にディスコを成行で売り、28500円で1万株を28500万円で売れ、税引き後利益が23000万円となり、残高合計が81000万円となった。そこで、2000年1月5日に伊東吾郎が、外貨に強い銀行として、アメリカのシティバンクに口座を開いて、伊東吾郎名義で1500万円、伊東徹子の名義で1500万円、伊藤一恵と伊東肇に、それぞれ1千万円の口座を開いた。


そして103円で20万米ドルを2080万円で購入して、伊東吾郎と伊東徹子の口座に送金した。、伊東吾郎名義で10万ドルと500万円、伊東徹子の名義で10万ドルと500万円とした。その結果、2000年2月5日、現在の伊東吾郎の残金は74900万円となった。2000年も夏休みも14日間のカリフォルニア旅行をして、大学を卒業して、カリフォルニア大学サンディエゴ校・UCSDのビジネスコースに留学して、シリコンバレーの企業に就職したいと言い出した。費用を聞くと半年間で1人100万円だと言う。もちろん日本の大学を卒業してから留学したいと言った。とりあえず、大学卒業した時に、また、相談しようと言うことにした。


 2001年3月に、伊藤一恵も伊東肇も、それぞれの大学を留年せずに卒業した。そして帰ってきた時に、カリフォルニア大学サンディエゴ校・UCSDのビジネスコースの留学を許可すると言うと、大喜びしてくれて早速、手続きを取ると言い始めた。そして、2001年5月14日に、カリフォルニア大学サンディエゴ校・UCSDのビジネスコースの留学試験を受けて合格して、手続きを取り、自分の口座から、学費の5万ドルを送金するように言った。

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