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24話:伊東徹子の北海道での調査

 実は、久松部長を中心とした、特殊捜査官養成候補者の指導について1983年に、日本の警察当局のトップから、急ブレーキがかかった。久松部長が、調べたところによると、政府与党の幹部から、特殊捜査官が、戦前の特高警察の悪いイメージを思い出させて、庶民の味方である、日本警察というイメージを悪くすると言う話が伝わってきた。それにより特殊捜査官養成候補者の指導の仕事は、1983年ので終了した。つまり、折角、特殊能力のある警官を10人以上、見つけ出して、教育した2年間が、全く無駄になった訳だ。


 しかし警視庁には、特殊捜査官チームを存続させて必要な時には、日本全国の警察署と連携して、難事件を解決する仕事は、残された。そして全国の警察署から事件に対して捜査協力が頻繁にあり、この部署の男性警察官が、呼ばれると、日本各地へ出張して、資料を集めて、その資料から、伊東徹子や、その道のプロが、分析して、その結果を、担当の警察署に渡す格好となった。しかし、東京警視庁・特別特殊捜査部のスタッフは、以前よりも人数が増えて、パワーアップしていた。


 まず、鑑識のプロが3人配属され、疑わしい事件の再捜査、最先端科学捜査をする事ができた。もし必要なら、つくばの国立科学研究所に出向き分析したり、その分析の日本の第一人者に捜査の依頼をする事もできるようになった。その他、行動分析、精神分析の専門科として、心理学者、精神科医、神経内科医、心療内科医も揃えた。そして、伊東徹子も、一時は、退職を覚悟したが、警視庁に特殊捜査官チームが残り、日本中での捜査要請、分析依頼が舞い込み、むしろ忙しくなった。


 その上、伊東徹子も、首都圏、東北、北海道、中京、関西、山陰、四国、九州、沖縄、日本海側で、依頼があれば出張し、年間出張の回数が20回を超えた。その分、出張手当、特殊手当なども着いて、給料は増えて、既に年収6百万円を越えるまでになった。1983年が終わり、1984年を迎えた。この年は、正月に初詣でに出かけ、家内安全、健康祈願、商売繁盛を祈願した。


 その後、伊東吾郎の株投資の方は、順調にいき、東京エレクトロン株が1984年4月迄に数回、分割し1万株が24600株に増え1984年4月に3870円で全株を売り税引き後利益が7600万円となった。


この年は、伊東徹子が1984年8月1日から北海道で起きた殺人事件に関する調査で札幌に出張を依頼され飛んだ。最初は、旭川で聞き込み調査、小樽で聞き込みと関係者の事情聴取を行った。その後、苫小牧での聞き込みと関係者からの事情聴取し、捜査で7日間かけ、捜査して、重要な証拠をつかんた。札幌の警察署で、をの資料を作成し報告書を書き事件を解決に導いた。

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