23話:ロス疑惑の三浦和義事件1
その後、ロス疑惑と呼ばれた時間が起きた。この事件は、1981年8月31日、輸入雑貨商を営む三浦和義の妻の三浦一美とロサンゼルス旅行中、三浦一美が宿泊していたリトル東京のホテルニューオータニの部屋で一人になった時、「アジア系」の女性が上がり込んできて三浦一美の頭部を鈍器で殴打、三浦一美は軽症を負う。1981年11月18日午前11時5分頃「現地時間」、三浦夫妻は、当時滞在していたロサンゼルス市内の駐車場で銃撃事件に遭遇した。2人組の男に銃撃され、三浦一美は、頭を撃たれて意識不明の重体。夫の三浦も足を撃たれ負傷した。三浦は「犯人はグリーンの車に乗っていたラテン系の2人組で、1人は長髪を束ねたサングラスの男」と主張していた。
1982年1月、当時「悲劇の夫」としてマスコミにたびたび登場していた三浦は、米軍の協力を取り付け、三浦一美を日本の病院に移送する際に、三浦一美を乗せた上空の米軍ヘリコプターに対して地上から発炎筒で誘導する場面が印象的に報道されていた。三浦一美は、その後日本に移送され、神奈川県伊勢原市にある東海大病院に入院したが、意識が戻ることはなく11月30日に死亡した。この事件について、伊東徹子が、久松部長に呼ばれた。そして、伊東徹子に内密の内に集められた多くの証拠写真が渡され、数日間中に、どう思うか意見を聞かせて欲しいと言われた。3日後、伊東徹子が、再び、久松部長に呼ばれ、意見を求められた。それに対して、最初に、伊東徹子は、黒のような気がしますと、静かに言った。
これに対して、久松部長も、同感だと言った。続けて、最愛の奥さんと旅行中で、2度も襲われるというのが、解せない。普通、奥さんが、危ないと思ったら、日本に帰国するだろうと言い、それをわざわざ最も危ないと思われるようなロサンゼルス市内の人目の着きにくい駐車場に行き、再び襲われて、殺されるなんて、おかしいと思うが当たり前だと言った。しかし、日米の捜査当局の規約で、日本の警察が米国内の殺人事件に手を出さないのだと、悔しそうに言った。その後、夫の三浦和義は、保険会社3社から計1億5500万円の保険金を受け取った。
涼しくなった頃、1981年、米国カリフォルニア州ロサンゼルスで起こった殺人事件に関して、当初、被害者の夫と見られていた日本人男性が「保険金殺人の犯人」ではないかと日本国内のマスメディアによって嫌疑がかけられ、過熱した報道合戦となり、結果として劇場型犯罪となった。殺人事件に対する科学的な考察よりも、その男性にまつわる疑惑について盛んに報じられた。1981~83年は、この話題で、マスコミ、日本の警察、アメリカの警察を巻き込んで、大きな騒動となったが、結局の日本の裁判では、無罪が確定した。