20話:伊東徹子の昇進
1979年の冬も風邪に注意して、過ごたが、それでも1度、警視庁で風邪がはやり、今迄、無欠勤だった伊東徹子が2日、休みを取った。その2日は旦那の伊東吾郎が有給休暇を取って、双子と奥さんの3人の面倒を見た。それでも風邪は、これだけで済んだ。3月18日に伊東徹子が、上司の久松部長に呼ばれて、部屋に入ると、いきなり、課長昇進、おめでとうと言われた。そこで、詳細を聞くと、君が管理している、全国の特殊捜査官のめざましい活躍と、新たに、特殊捜査官養成者が全国に20名となり、本格的に動き出したことが評価されて、特殊捜査課長に任命されて、全国の特殊捜査官のトップだと言われた。給料も、期待して良いぞと言われた。
1979年4月10日、糸島祐子・旧姓・水島が、元気な男の子を出産して、お祝いに、伊東吾郎も、お祝いに行くと、旦那さんの糸島大助の実家の糸島家は、代々の千葉の個人病院の家系で、糸島大助の兄も、2人の弟、妹の3人が、それぞれ、整形外科、外科、心臓内科、皮膚科で、長男が糸島病院の副院長、外科の弟も副院長、心臓内科の弟は大病院で研修中、妹も、東京の私立大学病院の研修医となっていた。だた、糸島大助だけが、頭が悪く東京の私立大学の経営学科を出て病院経営を引き受けた・そして医療保険の関連、診療所の運営など病院の事務系の代表として議員とのパイプをつくった。
また大学病院とのパイプ作りなど金の臭いがする、若干、危ない仕事をこなし何時も忙しそうにして接待と言っては、飲んで帰る日々が多く、糸島祐子も付き合い始めて約10年、辛酸をなめたと言った。 今度は、反撃する番よと言い伊藤家の会員制のリゾート施設も、仲間達で、バンバン使いましょうと言い、子供が大きくなれば、時間ができた人と日本中の34の施設、海外8つの施設を自由に、低料金で使えるので行きましょうと誘っていた。伊藤家の千葉の九十九里にある大きな別荘も病院の従業員には使わせなかった・そして代議士、大学の教授クラスなど特定の人にしか使わせなかった。そこで私たち3家族合同で使いましょうと言ってくれた。6月になり、あじさいの色が、きれいになり、梅雨を迎えた。その頃、伊東吾郎が、奥さんの徹子に、午後15時まで自由時間なのだから株投資したらと言われた。
株式関連の資料を見せてもらい、確かに2足のわらじと言う言葉も、あるくらいだから、どうせ1度の人生、冒険してみようと考え投資予算を300万円として送金した。この頃も伊東吾郎は、水曜日が定休日で家から近い東京の洋食屋のランチを一緒にとった。そのため多くの店を食べ歩いていた。食後、ゆっくり、お茶して午後15時過ぎに店を出て徹子は、警視庁に4時過ぎに入る。そのため用事のない水曜日は、双子用の大きな乳母車を押して、散歩したり、ランチをしたり、本屋に入ったり、デートをするのを楽しみにしていた。
本木徹子が、あまり休暇を取らないので久松部長に、せめて春と秋に3日くらい連休取ってリフレッシュしてこいと言われた。そこで今年の秋に、熱海への旅行を考えた。そして、旦那さんの伊東吾郎と火と水曜2泊で10月20日から22日まで熱海の温泉に泊まり熱海の海沿いを散歩して風呂に入り、子供二人と、ゆっくり過ごしてきた。やがて、1980年を迎えた。初詣でに行き、家内安全と子供の健やかな成長、商売繁盛を祈願してきた。