侍女の現場視察
昨夜遅くに帝都のクライネルト邸に帰って来たマルゴットは、術の多用と長旅で疲れ切り、珍しく泥の様に眠った。目が覚めたのは、随分陽が高く昇った頃で、慌てて地味なブラウスとスカートを着用し、ジルの姿を探す。
(ジル様の荷物を片付けるつもりだったのに、こんなに寝ちゃうとか、最悪……)
私室にも、サロンにも、ジルは居ない。いったいどこに行ってしまったのか?
寝ぐせのついた前髪をおさえながら、回廊を歩く。
中庭に面した窓から眩しい光が差し込み、寝起きのマルゴットにはちょっときつい。
輝く中庭に視線を向け、マルゴットの心臓はドキリと跳ねた。
ジルが居た。
ライラックの木の下、木製のトレーが幾つも並べられ、ジルはそこに色とりどりの花を並べていた。
その傍らには、金髪の少年。この国の第一皇子の姿があった。
たぶん二人で、マリク伯領で積んで来た花々をポプリにしているのだろう。
言葉を交わし、笑い合う。
ただそれだけなのに、一枚の絵の様に美しい。
ジル達の関係は、この二日程でまた変化した様な気がする。
前まで、ジルはハイネと接する時に壁を作っているようだった。彼への恩や単純な性格の不一致、それと母国への望郷の想い――――彼女を見守る中で、色んな感情を読み取ってきた。
彼等が二人で居る時は、どういうわけかジルの姿が縮んで見えたものだったが、今は対等な――ただの恋人達みたいだ。
(兄貴は、敗北者……か……)
ざまぁ見ろと、思おうとしたが、胸に引っかかりを覚えた。何故だかほんの少し面白くない。
自分の感情に釈然としない物を感じ、しょうがなく記憶を辿る。
(私、ちっさい時は兄貴を応援してたかもしれない)
ヨナスがジルと結婚してくれたら、彼女と家族になれるかもしれず、抗いがたい魅力を感じていた。
でも現実は甘くはなく、兄はジルに拒否され、暴走した。やってはいけない事をしたのだ。
父はシュタウフェンベルク公の顔色を窺い、兄を他国に住む叔父に預け、ジルからヨナスに関する記憶を消した。
マルゴットは少しだけ複雑な心境になった時期があったかもしれない。自分達家族は、公爵家の血に惹かれる様になっている様で、傍に居たいと願ってしまうみたいなのだ。父も、姉も、兄も、マルゴットも……、魂の安寧は公爵家の者達とある事で叶えられる。
だけど、いくら傍に居たくても、恋愛感情はタブーなのだ。身分差は超えられない。
貴族と平民の違いをあの事件を通して思い知らされた。だけど、ジルとハイネはアッサリと超えてしまったらしい。
たぶん本人達次第なのだろう。
(つまり、兄貴には魅力が無かった。それだけの話、なんだね……)
我が兄ながら悲しいと、マルゴットは苦笑する。
「また気が向いたら攫いに来る」と言って闇の中に消えて行った兄。執念深いだけの馬鹿野郎だ。
溜息を吐き、中庭で身を寄せ合う二人から視線を外す。
テクテクとエントランスに向かって歩みを進めると、近くの扉がガチャリと開き、イグナーツが姿を現した。
泣きはらした様に目元が赤いのに、表情は嬉々としている。
「うわ……」
いつにも増して気持ち悪くて、マルゴットはササっと離れる。
「マルゴット、お待ちなさい」
「私今から出かけるつもりなんだけど……」
「どこへ?」
「マリク伯爵家のタウンハウス」
事件の結末に、僅かばかり興味がある。ハイネが帰ったら、ジルに直接聞けばいいのかもしれない。だけど、以前マリク伯爵がジルに吐いた暴言を思い出すと、呪いの一つや二つ、この機会にかけてやりたくなる。
(まぁ、あの赤毛の侍従が与えた制裁次第かな……)
バシリーは、一族が受けた借りを返すと言ったいた。ヘラヘラした顔の下でえげつない事を考えてている様なあの男のことだから、それなりの事をしてくれていそうではあるが、マルゴットは自分の目で確認したい。
「偶然だな。実は私もそこの弁護人と話があるんだ。共に行こう」
様子のおかしい奇人と二人で出かけるなんてあり得ないと、普段だったら思っただろう。でも悲しいかな、ジルをハイネに取られてしまい、心に隙間風が吹いている。気が付くとウッカリ頷いていた。
後悔した時にはもう遅く、庭の馬車に詰め込まれ、空いた道を快走している。
(うーん……、何だか調子が出ないな……)
窓枠に肘を付き、握った拳で、自分の頬を軽く叩く。
斜め前に座る男の顔をチラリと見る。
イグナーツの目は擦りすぎたのか、腫れぼったくなり、折角の顔面が台無しになっていた。
つい、ハハンと笑いが零れた。
「人の顔を見て笑うなんて失礼だな」
「何で泣いてたの?」
古くからの腐れ縁だから、しょうがなく気を遣ってやる。マルゴットはたまにジル以外にも優しいのだ。
「ハイネ殿下と初めてお会いしたんだ。あの方に、牽制されて……、お嬢様はもう私の手の届かないところに……、悔しくて悔しくて悔しくて悔しくて……快感が……」
「キッモ」
思った以上に聞くに堪えない話で、吐きそうだ。甘く考えていた自分が悪いのか?
「素晴らしい方だ……色んな意味で……。それはそうと、朝、お嬢様から執事にならないかと言っていただいた」
「へー。って、ええ!?」
想定外の話をポンポンとされ、マルゴットの頭は混乱気味だ。
「家の事で、責任ある事をしてくれているから、何か肩書があった方が動きやすいだろうと……。ついに、私はお嬢様に認められた。いつ死んでもいい……」
「じゃあ、今死んでみる?」
マルゴットが魔導書を携えると、イグナーツは焦った様子で「やめろ!」と怒鳴った。
もっと早くに殺っておくべきだったと、ジリジリおいつめるが、いい所で馬車の扉が開けられた。
「お二人とも何をやってるんです? 着きましたよ」
使用人は呆れ顔で二人を交互に見る。
「イグナーツ、命拾いしたね……」
「そのうち私の方が立場が上だと教え込まないといけないようだな」
偉そうな男の事は無視し、伯爵邸に視線を移す、その外観を見て、マルゴットは思わずポカンと口を開けてしまった。大きな邸宅の外壁のいたる所に大穴が開いている。そして窓ガラスは全て割られている。
長年手入れを怠った廃墟の方がまだマシ、といった感じの様子だ。
「ナニコレ……」
「庭に大砲が置いてあるけど、前来た時は無かったぞ……」
マルゴットが帝都を離れていた間に他国に攻め入られでもしたのだろうか? そのわりには周辺の家々問題なさそうに見えるが……。
「怖……」
イグナーツと二人、門扉の前で立ち尽くしていると、通りの向こう側から一頭の馬が近付いて来る。
「マルゴットさんじゃないですか。昨夜帰って来たのに、休んでなくていいんです?」
現れたのはバシリーだ。上機嫌な様子に首を傾げる。
「何で家がハチの巣状態に……?」
「僕の叔父が絶対に許さないと暴走しまして、この屋敷に砲撃し、伯爵を連れていってしまいました。アハハ……」
(アハハって……)
記憶が確かなら、この国は私刑を禁じているはずだ。バシリーの話しが本当なら、彼の叔父はそういう法律をガン無視した事になる。
だけど、マルゴットは正義になんて一切興味がない。
半笑いで、バシリーに頷くにとどめた。




