彼女の兄は根っからの犯罪者④
ヨナスが御す馬はトリニア王国に向かって爆走する。
御者台の上、胴を縄で巻かれたままジルはヨナスの隣に座せられていた。デコボコとした山道なのに、両手が使えない状態なのはなんとも不安定で、何度も落っこちそうになり、嫌なスリルを味わされている。
――ゴトン!!
「……わっ!!」
グラリと身体が傾ぎ、また落下しかける。今度こそ地面に激突すると覚悟するが、胴に巻かれた縄をグイッと引かれ、事なきを得る。
「吊り橋効果で、俺を好きになっちゃうかもね」
ヨナスはヘラヘラと笑い、ウインクする。
そもそも、この男の所為で危険な目に合っているというのに、この態度。ジルとしては憤懣やるかたなしだ。
「よくそんな事を言って、虚しくならないわね」
「結果がうまい事いくなら、経緯はどうでもいいからね」
「恋愛についてアレコレ言うくせに、随分と情緒が欠落しているんじゃなくて?」
「貴女もそういう傾向あるけど? 相性ピッタリなんだよ。俺達は」
ヨナスはこの不毛なやり取りすら楽しいらしく、マリク伯爵のカントリーハウスを出てから笑顔を絶やさない。逆にジルは、彼にエネルギーを吸い取られて続け、テンションは地を這うように低まっている。
「トリニア王国に着いたら縄を外すと言っていたけど、ちょっと耐えられないのだけど。今解いてもらえないかしら? 貴方の様な危険人物が傍にいるのに、逃げたり出来ないし、警戒しなくていいわよ」
「貴女はもう二日もしたら、俺のお嫁さんになるわけだし、どんなお願い事も聞いてあげたいけどさ。一時間足らずでトリニア王国の国境を超えるから、それまで我慢してくれない?」
まだ馬車の上で不安定感を味わうのかという失望と、一時間以内で帝国を出国する事になる焦りがないまぜになり、ジルは俯いた。
縄で巻かれたまま御者台に乗せられているという異常な状況なのに、行きかう者すらいないこの山道では、馬車の異様さに気付き、止めてくれる人は期待出来ない。
このままトリニア王国に連れ去られるのは確実だろう。
絶望感が胸を支配し、息苦しくなる。
「十三歳の誕生日、貴女を連れてトリニア王国を目指して失敗したけど、今度は国境を越えられる」
言葉を噛みしめる様な呟きだ。
ジルはあの日、ヨナスによってトリニア王国に連れて行かれそうになっていたらしい。それすら知らなかった。
彼の言葉を無視しようかとも思ったが、好奇心が勝った。
「何故トリニア王国なの?」
「……王国では、異能者が重宝されている。子供でも生活できるくらいに……。俺の叔父もあの国で暮らしているから、頼りながらならだったら貴女を養えると思ったんだ」
(叔父を頼りながら? 常識ある方なら、子供達二人の暮らしの面倒をみる前に、親元に送り返しそうなものだけど……)
「貴方の思い通りに動く人間ばかりじゃないと思うわ」
ジルの刺々しい言葉に、ヨナスは「そうかもね」と笑った。
「親父に勘当された後、俺はトリニア王国で暮らした。叔父さんの養子になってね。ガキの頃にはカラッキシだった魔術も、ワームを従えれるくらいまでに上達した。今じゃ自分の稼ぎだけで暮らせてるよ。家もある」
「勘当……。マルゴットのお父様は厳しい方なのね」
「同情してくれるんだ?」
「優しそうな方だったから、意外に思っただけ」
「ふーん……。息子の俺の目から見ると、ゴマを擦るのがうまいだけの男だったけどね。まぁ、あんな奴どうでもいいよ! それより、首都についたら、貴女の身体に呪印を入れて、家の半径一キロの範囲しか行動出来ない様にする。その中でなら自由にしていいからね」
ヨナスは、ジルに寛大な対応を取るかのような物言いをした。
だけど、呪印で制限を加えた上での自由なんて、素直に喜べるはずがない。
常に見張られながら一生暮らすのかと思うと、気が滅入りそうだ。
やるせない気分になり、ヨナスから視線を外す。返事をしないジルに隣の彼は不思議そうにしていたが、無視を決め込むと、暫く会話が途絶えた。
「あ、見て。あの石塔が国境のマーク」
急に話しかけられ、ハッとする。
彼の指が示す方を見ると、かなり遠くに細長いモニュメントが立っていた。
無言のまま、かなりの時間、馬車は走ったようだ。
「え……。もう国境?」
いよいよこの国を去る時が着てしまった。
ジルは最後に抵抗を試みようか悩む。
(御者台から飛び降りる? でも縄の端をヨナスが持っているから、最悪馬に引きずられて血まみれになっちゃう……。それよりだったら、国境で見張りをしている人に助けを求める方が……)
国境に見張りが居たとしても、ヨナスが何らかの術を行使し、助けを求められない可能性が高い。だからといって、ここで飛び降りたとしても、自分がケガするだけで何の意味もなさない行動だろう。
八方塞がりとしか思えず、ジルは下唇を噛んだ。
「うわ!?」
(なに?)
ヨナスは何かに驚いた様で、馬車を急停止させた。彼の顔を見ると、前方を凝視している。
視線の先には一匹のハリネズミが居て、鼻をヒクヒクとさせている。
「可愛い……」
毒気を抜かれた様な気分になり、ジルは頬が緩んだ。
「邪魔だなぁ……。ちょっと待ってて」
ヨナスはイラついた様子で縄の端を御者台の手すりに繋ぎ、馬車を下りた。何をする気なのだろうか?
彼はハリネズミを両手で持ち上げる。どかしてあげるつもりなのかもしれない。
(マルゴットの家は、確かハリネズミを大事にしていたわね)
不思議な縁に思え、一人と一匹をボンヤリ観察する。
「お前がウサギだったら、今晩の飯にできたのに」
ハリネズミは道の端に下ろされる。そのまま山の奥に向かうかと思い、ジルは心の中でお別れを言った。
しかし、次の瞬間目にした光景に、ジルは唖然とした。
ヨナスが馬車の方を向いた後、その子は黒い粒子となり、空気に溶けてしまったのだ。
「え……?」
目の錯覚か何かかと、ジルは瞬きを繰り返す。
「どうかした?」
「ハリネズミが消えてしまった様な……」
その言葉に何を思ったのか、ヨナスは厳しい形相でハリネズミが消えた方を向いた。
「確かに居ない……。普通の生き物じゃないね」
彼の言う通り、ただのハリネズミではなさそうに思える。でも、だとしたら何故自分達の目の前に現れ、そして消えたのだろうか? ジルは度重なる不安に疲れ、若干ウンザリしてきた。
――ザクリ、ザクリ……。
腐葉土を踏みしめる音が聞こえてくる。今度は一体何が出て来るのか?
「お出でになった様だね」とのヨナスの言葉に、こちらに近付いて来る者がハリネズミの主なのだと察する。
視線を上げる。白馬だ。そしてその上に乗るのは、お下げの美少女。
予想もしてなかった人物の登場に、ジルは御者台の上で立ち上がった。
「マルゴット!!」
「ジル様……、遅くなってすいません!」
彼女は自分を助けに来てくれたのかもしれない。ホッとし、涙で視界が歪む。
「誰かと思ったら、お前かよ。警戒して損した」
「クソ兄貴……。まだ生きてたの」




