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彼女の兄は根っからの犯罪者②

 後方から馬の蹄の音が聞こえ、ジルは振り返った。


『ヨナス! お前、お嬢様をどこに連れて行く気だ!』


 鬼の様な形相で近付く三十代位の男性は、確かジルの生家であるシュタウフェンベルク家で働く医者であり、マルゴットの父親だったはずだ。


『親父……!?』


(この子、マルゴットの兄か弟なの!?)


 子供は狼狽え、ジルの手を引き、逃げようとする。だが、急に引っ張られたため、この身体は二歩も進まぬうちに転んだ。地面に顔が衝突すると同時に、意識がボンヤリ霞すむ。

 屈み込む子供の姿も、その父親の姿も、輪郭が曖昧になり、消えゆく。



 バチリと目を開けると、見知らぬ天蓋が目に入った。幾重にも重ねられたレースは、まるで貴婦人のドレスの様なドレープを描き、床に落ちている。体にかけられたベッドカバーはグレーとゴールドのストライプなのだが、こちらも見覚えがない。部屋の中は、厚手の生地のカーテン越しの光が差し込み、薄暗い。

 身を起こしてみると、ハイネと話した時の服装のままだった。


(私、たしか右手首から蔦が生えて、身体に巻き付いて、それで……)


 ジルの名前を呼ぶハイネの声を聞いた以外、あの時の事を良く思い出せない。底知れぬ暗闇に沈む様な感覚だけが残っている。

 闇に沈んだ後、ここに放り出されたのだろうか?


 今居る室内は、ライハナにある豪商の家の中でジルに割り当てられた客室とはだいぶ異なり、シンプルながらも豪華な内装だ。当然ながら宿屋や自宅の内装とも異なる。心当たりが無く、不安がつのる。


 部屋が明るいという事は、日付が変わっているはずだ。一晩なのだろうか? それとも、数日経っているのだろうか? 何も分からない。


(ハイネ様の腕の中から、どこかに移動させられた? もしかして右手首のアザの所為?)


 手首を見てみると、付いていたはずのアザは綺麗さっぱり消えていた。それ自体は嬉しいのだが、心当たりのない部屋に寝ているという異常事態が怖すぎる。

 これは、ジルに呪の印を付けた不審者の仕業なのだろうか?


(ここ、あの人の家なのかしら?)


 野菜屋の店主が口にした『ヨナス』という名を思い出す。夢の中の子供の名前と同じなのは、偶然にしては出来過ぎている。


(もしかして、同一人物?)


 思い至った瞬間、堰き止められていたダムが決壊するかの様に、一気に記憶が蘇る。


 夢に出て来たヨナスという名の子供は、マルゴットと三つ離れた兄だ。

 ジルの生家であるシュタウフェンベルク公爵家の領地で暮らしていた彼は、妹のマルゴットや、彼の父親と共にたびたびカントリーハウスを訪れ、一緒に遊んだり、勉強したりした。


 妹に意地悪ばかりだったヨナスは、ジルには違う一面を見せ、優しかった。だけど、次第に好意を向けてくるようになった彼をジルは避けていた。当時九歳だったため、三つ年上というだけでもとてつもなく大人に思え、よく分からない感情を向けて来る彼が苦手だった。

 他に興味が向くようにとの願いも虚しく、彼の十三歳の誕生日、ジルは彼の家出に付き合わされた。駆け落ちのつもりだったらしい。だけど、全くその気のないジルからすれば、ただの誘拐だ。

 結局、半日も経たずにシュタウフェンベルク家の領地内でマルゴットの父に捕まり、連れ戻されたわけなのだが、その日以降の彼に関する記憶がない。

 あの日から、先日帝都内の大学のキャンパスで会うまで何をしていたのだろうか?


(私が今までヨナスの事を忘れてたのって、誰かに強制的に忘れさせられていたから?)


 おそらくマルゴットか、彼女の父親の術によるのだろう。深くため息を吐く。


(記憶を消すのは、その時はいいのかもしれないけれど、こうして再び接近されたら危険に気付けないじゃない)


 やるせない様な気分だ。別にヨナスの事は嫌いじゃなかった。だけど過去実害を加えられた以上、友好的に接するのは厳しい。


 取りあえず、ベッドを抜け出し、手櫛で髪を整える。


 窓に近付き、シックな色合いのカーテンを開けてみると、ジルが今いるのは二階の高さだった。

 庭が見える。正門が無いため、前庭ではない様だ。

 可愛らしいピンク色のコスモスが風に揺れている。他国のガーデニングの流行りをいち早く取り入れている様で、自然美を表現した庭には、見覚えがある。

 ここは、六月に訪れたマリク伯爵家のカントリーハウスだったはずだ。


(嘘……。ライハナとは四十キロは離れているはずよ)


 あんな手首の呪い一つで、こんな所まで移動させる事が出来るのかとゾッとする。

 取りあえず、この部屋にずっと閉じこもっているわけにはいかない。

 ライハナまでは徒歩でも何とか辿り着けるはずだ。道は知らないが、マリク伯領の領民に尋ねれば教えてくれるだろう。

 ズンズンと扉まで歩き、ドアノブを捻る。

 開けられない……。


「え……。外側から鍵がかけられる仕様なの!? どんな家なのよ!」


 ここに住む人間の性格の悪さを感じ取り、顔を顰める。

 窓から脱出できないかと、再び近寄るが、飛び降りたら骨折してもおかしくない高さだ。


(う~ん……。カーテンを使う? でも結び方を間違えたら、地面に落ち立つまでの間に解けて、落下しそうよね)


 悩んでいると、扉の向こうから足音が聞こえた。


(誰……?)


 カーテンを握りしめたまま、扉を注視する。

 ガチャガチャと鍵を開ける音の後、姿を現したのは、不審な男。もとい、マルゴットの兄ヨナスだった。


「おはよう。いい夢見れた?」


 人懐っこい笑顔。改めてその顔を見ると、マルゴットによく似ている。夏からの二度の邂逅で何故気づかなかったのか?


「ヨナス。ここに連れて来たのは……。あんな夢を見せたのは貴方の仕業ね?」


「名前、思い出してくれたんだ!? 良かった! 親父が君に、俺の存在を忘れる術やら、認識できなくなる術やらをかけていたから、昨日解除したんだよ」


 パンや果物が乗ったワゴンを押しながら部屋の中に入って来た彼は、機嫌がいいらしく、ニコニコとしている。

 あまり刺激しない方がいいとは分かっているのだが、彼への不満からつい際どい事が口から出た、


「私を殺すつもりなのかしら? エミール・フォン・ファーナー氏の様に」


 気になっていた事を問いかけると、彼の表情から笑顔が消えた。


「貴方を殺す? そんなわけないじゃない。貴女には俺と一緒にトリニア王国に来てもらう。俺のお嫁さんになって」


「ええ!? 凄く、凄く嫌!!」


「貴方を贅沢に暮らさせるくらいの稼ぎはあるから、心配しなくてもいいよ」


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