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消失の街ライハナ⑤

 マリク伯爵は、この街に滞在しているらしいのだが、一向に姿を見せない。


 探偵の腹に巻かれた包帯は、ジワジワと血の滲む範囲が広くなり、雨も降り始めたため、取りあえず宿屋のレストランに場所を移す事になった。


「ええと、取りあえずそこのテーブルをどかして、布を敷いてくれます? 探偵はそこに寝かせて……」


 あれだけ呼んでも出て来なかった医者の代わりに、バシリーが探偵の手当てをする事になり、彼が近衛達に指示を飛ばす。

 運び込まれた探偵の額には大量の汗が流れ、意識が無いと言うのに、その表情は苦し気に歪む。


 布の上に寝かされた彼の腹に巻かれた包帯は取られ、痛々しい傷口が剥き出しになる。そこに、バシリーは酒瓶から豪快に液体をふりかけた。漂うアルコールの香り。


(え……。もしかして、あれって普通のお酒? というか、手に持っているのは裁縫用の針と糸?)


 恐らく酒は消毒用なのだろうし、針と糸は傷口を縫う為に用意したのだろう。アルコールランプを用意してあるのを見ると、針は熱で雑菌を殺すつもりのようだ。

 バシリーの反対側に椅子を持って来て、様子をジッと見学するマルゴットとは違い、ジルは、もう怖くて見てられない。


 入口付近で近衛や宿屋の亭主と会話をするハイネの近くまで逃げる。


「ジル、宿屋の親父がフライドポテトを献上するって言ってるんだけど、どうする? 食いたいか?」


「是非とも皇太子殿下にウチの芋料理を味わっていただきたいのです」


「あまり食欲が湧きませんわ」


 探偵の生々しい傷口を見てしまったからなのか、直ぐに物を食べる気になれない。


「じゃあ、俺もいらない」


「残念ですな……」


 シュンとして奥に引っ込んで行く亭主に申し訳ない気分になりながらも、ハイネに話しかける。


「探偵さんはどこで倒れてましたの?」


「ライハナの十五キロ程手前で倒れてたんだ。応急措置をして、後はこの街の医者に治療させたらいいと思ってた。ここの住人は随分非協力的なんだな」


「街全体が、凄く排他的に感じます。全員でよそ者を監視し合っている様な……。この宿屋はそこまででもないのですが」


「そっか。でも俺が来たからにはもう居心地悪い思いはしなくていい。自分の家みたいに寛げる様にしてやる」


 彼がどんな意味を込めて話しているのか、測りかね、ハイネを半眼で見つめる。しかし、彼は自信溢れる笑顔を見せるだけだ。


「ハイネ様! 屋敷を一軒確保いたしました!」


「ご苦労」


 彼の侍従の一人、オイゲンがやって来て、ハイネに謎の報告をした。久し振りに会う彼にニコリと笑いかけると、感じの良い笑顔で頭を下げられる。


(屋敷って何かしら……?)


「ジル、行くぞ」


「え!? どこへです?」


「オイゲンが確保した屋敷だ。修道院では酷い目にあったからな……」



 ハイネは何と、ライハナの豪商の屋敷を一軒丸ごと借りたらしい。いや、借りたという表現ではぬるい。家主達を追い払ってしまったようだ。

 彼のあまりの横暴な行為に、ジルはその背中を唖然と見つめる。


「何、モタモタしてるんだ? そこに立ってると、雨に濡れるぞ?」


 彼に手招きされ、ジルは渋々エントランスに足を踏み入れた。


「他人様の家を横取りするなんて、許されますの?」


「大金渡させたからいいんだよ。それにここは皇太子を泊めた家として箔が付く」


「うーん……。そう言われるとそんな気も……」


 ハイネはジルにとってかなり身近な人になりつつあるが、この国の国民からすると、特別な存在なのだろう。それこそ、家を使用させたら、自慢できるくらいに。


「初めて来る場所は宿屋に泊まるより、丸ごと屋敷を借り切って、同じ屋根の下に居る奴全員を信頼できる者で固める方が落ち着けるだろ」


「というか、ハイネ様はこの街に滞在されるおつもりですの?」


「だって、アンタは何かしらの目的が有ったからここに来たんだろ? そしてその浮かない表情から察するに、まだ解決出来てない。違うか?」


「違いませんわ。でも、ただでさえお忙しいハイネ様のお邪魔をしたくありませんの」


「べ……、別に、多少アンタと過ごす時間を作ったとしても、後でから全力で働いたらいいだけだし」


「むむ……。私の為に無理してほしくないですのにっ」


「アンタと会った後の方が、ずっと会えない時より明らかに仕事が捗る気がするし、余計な事心配しなくていいんだよ!」


「まぁ!? そんなのは気のせいですわ!」


 くだらない言い争いをする二人の横を、布類や食料品類を運び入れる人々が白けた表情で通り抜ける。

 一体どれだけの人間を巻き込んでいるのだろうか? 改めて皇太子パワーに驚かざるをえない。


 ジルとハイネがどうでもいい世間話をしていると、探偵の手術を終えたバシリーやマルゴットが豪商の屋敷に入って来た。彼等から、手術の様子を聞いてみると、探偵はバシリーの大雑把な処置を施されても、息を引き取る事はなく、宿屋で寝ているらしい。

 それを聞いたジルは、心の底から安堵した。探偵とは、ほんの数十分の関わりしか持ってないが、それでも生きてほしかったのだ。


 ゲントナーやクライネルト家の使用人、ハイネの近衛達がこの屋敷に集合したタイミングで、ハイネは全員を会議室に呼んだ。

 ジルはハイネに頼まれ、皆に状況を説明する。


「マリク伯領で、ジャガイモの不作について調査を行っているのですが、そもそもこの調査自体が無意味な可能性があるので、それを立証する為にこの街に来たのですわ」


「それは、アンタが言っていた様に、この街で物流が滞っているかもしれないからか?」


「はい。マリク伯領の不作については、領主が政府に提出する資料を書き換え、意図的に虚偽の報告を行っていると考えていますの」


 ハイネは腕を組み、眉根を寄せる。


「それが本当だとすると、半期分の税務上の過少申告を行ったという事になるな。物価操作については、現状ではウチの国の法律上裁けないけど、模倣する者が現れたら市場が混乱する……。何か制裁を与えたい所だな。まぁ、何にせよ、それが事実だと分かる様な証拠がほしい」


「お腹を刺された探偵さんが、この街の近くに位置する古城が怪しいと言っていましたわ。ですが、そこは命を狙われる危険があるらしいのです」


「口封じに殺すのか。確かに探偵が刺された事を考えると、不穏だよな。俺が連れて来た近衛三十名に一般兵五十余名で、明日古城の捜査を行わせよう。おい、バシリー」


「何でしょうか?」


 探偵の手術を終えてから、妙に上機嫌だったバシリーは、満面の笑顔で立ち上がった。


「今ジルが話した内容をまとめて、皇帝陛下への報告書を作成しろ。この街の郵便は宛てにせず、書面は兵士数名で帝都に運ばせるんだ」


「すぐに対応いたします!」


「あ! バシリーさん!」


 会議室を出て行こうとするバシリーを、ジルは呼び止める。


「何でしょう?」


「エミールさんは、この街での事をいち早く気づいたのだと思いますわ。だから口封じに殺されたのだと……」


 バシリーは軽くため息を吐き、肩を竦めた。


「やられたら、やり返すのが僕の流儀です。この捜査に協力してくれた貴女への恩も必ずお返ししますよ」


(バシリーさんにはかなりお世話になっているから、恩は返してもらわなくてもいいのだけど……)


 ドアの向こうに消えた彼の律儀さに、苦笑する。

 バシリーと入れ替わる様にして、会議室に入って来た兵士が、入口近くで敬礼する。


「ハイネ様、報告いたします! マリク伯爵がこの街に所持する邸宅はも抜けの空です。おそらく、先程の広場での騒ぎを聞き、逃げ出したものを思われます!」


「逃げ足の速い奴だ。ライハナ周辺を捜索しておけ。それと帝都に伝令として向かう者達を増員しろ。急襲を受けたらたまったもんじゃないからな」


「は! 殿下の仰せのままに!」




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