消失の街ライハナ②
ジル達一行がライハナの城壁を通り抜けると、ちょうど夕刻を告げる鐘の音が鳴り渡った。
雨天という事もあり、空の様子からは時刻を察せなかったのだが、いつのまにか辺りは暗くなっていた。
「宿屋に直行する?」
ゲントナー女史は街の様子を見回しながらジルに声をかける。
「その前にこの街の市場で農産物のお値段を見てみたいですわ。ゲントナーさんがお疲れでないなら……ですけど」
「馬車でずっと寝ていたから平気だよ。じゃあ近衛君に宿屋の予約を取りに行ってもらって、私達は市場に行くとするか。君達分は予約とってるわけだけど、私達はまだだろ? 街に一つしか宿屋はないからちょっと心配でさ」
「はい!」
ジルが御者台に座る近衛に行先を告げると、馬車は狭い道を広場に向かって走る。広場は市場にも宿屋にもアクセスが良いらしいので、その近くで馬車を停める事にしたのだ。
馬車を下り、市場に行く組と宿屋に向かう組に分かれる。
広場を貫く様に位置する通りを、ジル達は市場の方向へと歩いて行く。
夕刻時だというのに人通りがまばらなのは、小雨が降るからなのか、それとも相次ぐ旅人たちの失踪事件の所為なのか……。折角初めて来る街だと言うのに、気分が上がらない。たぶん陰鬱すぎる雰囲気だからだ。
ジルに反して、マルゴットの顔は輝いているのだが……。
市場に入ると、予想以上に活気がない。少し歩くと、市場の入り口付近に野菜屋があり、その斜め向かいの店にも野菜が詰まった籠が見える。近い位置に同業者が居ても商売が成り立つのだろうか?
入口付近の野菜売り場を覗いてみる。店内にはジル達の他に一人客がいるだけで、閑散としている。
並べられた籠を見ていくと、ジャガイモが売られており、価格は帝都よりもだいぶ安い。
「かなり安いですわね」
「マリク伯領で一番遅くに収穫されたジャガイモがそろそろ悪くなるような時期だしね。それとライハナで商売している中間業者の間であまり取引されてないままに売り出されてるのかな? だけど例年と比べても安いくらいなのは、違和感あるね」
ゲントナーの話に頷きながら、小麦の値段も確認する。やはり帝都で売られている物よりもだいぶ安い。
(本当に不作だったら、品薄で価格が割高になるわよね。バザルでの影響もここでは微々たるものの様な気がするわ。やっぱりおかしい……。あれ? マルゴットはどこに行ったのかしら?)
馬車を下り、市場の入り口までは一緒だったのは記憶しているので不思議に思い、見回す。そんなジルの様子に気が付いたのか、クライネルト家の使用人が近付いて来て、耳打ちする。
「マルゴット様は、この街で格安に手に入る薬草を買いに路地裏に入って行かれました」
「あら、そうなのね。分かったわ」
この市場の陰鬱な雰囲気を物ともせず、路地裏に入って行けるマルゴットは流石だ。ジルは感心しながら使用人に頷く。
(やりたい事してくれる方が気が楽だわ)
「ゲントナーさん、私、向うのお店に行ってみます!」
「了解。何かあったら声をかけるんだよ」
「はい!」
(ゲントナーさんて、美人だし、優秀だし素敵だわ!)
最近ゲントナーはジルの理想の女性像になりつつあり、将来あんな感じになりたいと思っている。
会社の経営に関わる事が増えているものの、ジルはやっぱり研究者になりたい。ハイネは未だにジルと結婚する気でいる様ではあるが、別に具体的な話があるわけでもないし、自由に将来を考えたっていいだろう。彼の力を考えたら無理矢理ジルを嫁にする事だって可能なのに、そうしないのは、彼自身何か考えや迷いがあるかららしいのだが、ジルとしては彼の好みに完全に応える相手になるのもおかしいと思っているし、大人しく結婚を待つのを馬鹿らしいと考えている。
新しい人生を手に入れたからこそ、自分でどこまで出来るのかチャレンジしたい気持ちだ。
将来の事をボンヤリ考えながら、もう一つの店に入り、ジャガイモや小麦の値段をチェックする。ここもさっきの店と似た様なもので、帝都に比べ大分安い。
物を見ているだけじゃ情報が限られるだろうからと、ジルは店主に声をかける。
「あの、すいません。ちょっと質問よろしいかしら?」
「なんだ? 値引きはしねーぞ」
「いえ、値引きではないのですわ。このジャガイモの入手経路を教えてくださらない?」
「何でそんな事が気になるんだ。ていうか……、アンタ見ない顔だな」
「そ、そうですか……?」
「どこから来た? 何をしに?」
店主の声が徐々に冷えていく様に感じられ、背筋が寒々しくなる。ここは旅人の失踪が続いている街。誰が事件に関わっているのか分からない。もしかしたらこの店主なのかもしれなくて……。
「おじさーん。このナシ三つちょうだい!」
何と答えようかと、悩んでいると、ジルの背後から誰かが店主に声をかけた。振り返ると、薄茶色の髪の若い男が立っていた。何がそんなに楽しいのかと思うくらいに顔を緩めている。異民族風の服装に身を包んだその姿をジルは最近見ている。
大学の構内であった不審者だ。新たな危機に、ジルは固まる。
「あ、あなたはっ!?」
「この娘、俺を遠方から訪ねて来てくれた恋人なんだ。可愛いだろ?」
肩を抱き寄せられ、ジルは男の恋人扱いされる。
(え……。助けてくれたのかしら? いやいや、こんな所でまた会うなんておかしい!! やっぱり不審者に違いないわ!)
「何と! 恋人でしたか! こんな街に呼びつけるとはヨナス様は人が悪い! ナシは恋人殿に無礼を働いちまったからタダでいいっすよ。 今夜はお楽しみくださいね!」
急に馴れ馴れしい態度になった店主は、ジルの肩を抱く男にゴマを擦る。
「え!? タダでいいの!? うれしいな」
(ヨナス……? どこかで聞いた事がある様な……)
ジルは男に肩を抱かれたまま店の外に連れ出される。
「あの……有難うございます。……もう手を放してほしいですわ」
ヨナスと呼ばれた男は笑顔のままジルの肩から手を放すが、何故か手首を持ち上げられる。
その行動の意味が分からず、困惑してその紺色の瞳を見つめる。
「このまま貴女を攫っちゃいたい。失踪って事にしてさ」
ジルの手首は裏返され、静脈が浮き出た所に男の唇が落とされる。
間近で見る瞳の中には闇が広がる。笑顔なのに、怖い。
「やめてください!」
男の手から、自分の腕を引き抜く。ジルの拒絶さえ楽しむような余裕の表情で、男はナシをジルに差し出す。何をしたいのか分からず、男とナシを見比べる。
「不快にさせたら、ナシを渡せば許されるらしいじゃない。だから、仲直りの品だよ」
「要りませんわ。……元々貴方と私は何の関係もないのに、仲直り、なんて変です」
「美味しそうなのにね! まぁ貰い物をそのまま渡すってのも、無粋か~」
「貴方は一体誰なんですか……?」
「ご自分で思い出してみては?」
急に敬語を使われる。男との会話は、振り回される様な感覚がして、好きになれない。
「この街ではあまりあからさまに嗅ぎ回らない様に。兄ちゃんからの有難い忠告。じゃあね」
ナシを一口齧り、男は市場の奥へと消えて行った。
「兄ちゃん……?」
ジルは彼に口付けられた手首を見つめる。薄っすら見える静脈の上の皮膚が、少しだけ赤く染まっている。
(……っ)
嫌な気分になり、ハンカチを取り出し、その部分を拭く。あの男に自分で思い出す様に言われたが、記憶をたどってみても、どういうわけか霞がかった様に男の事を思い出せない。
「ジル様、どうしました?」
手首を拭く事に夢中になっている間に、いつのまにか真横にマルゴットが立っていた。不思議そうにジルを見上げている。
「何でもないわ……」
「そろそろ宿屋に入らないかってゲントナーさんが言ってました」
「あ、そうなのね! 行きましょう!」
懐中時計を見ると、とうに十八時を過ぎていて、夕食時だ。片田舎の街なので、運が悪いと宿屋に併設されているレストランが早く閉まって、食べ損ねる可能性がある。
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