1・王子と侵入者
今回は26話で終わります。
最終話まで予約投稿済みです。
ごゆっくりどうぞ。
ちょっと二重人格の印象が違うかも知れません。
重くない感じにしているので、気になるかたにはごめんなさいです。
俺はその時、少し高い位置から自分の姿を見ていた。
世の中は春。
だけどその白い部屋はひんやりとしていて、そこには泣き崩れる女性がいた。
「健ちゃんん、健ちゃああああん」
大きな病院の地下にある霊安室。
そのベッドに横たわり、三つ上の姉に縋りつかれているのは紛れもなく自分の姿だ。
両親や五つ上の兄はまだ仕事で駆け付けられないのだろう。
霊安室の天井に浮かんでいたらしい俺は、小さく姉と病院の関係者らしい人に頭を下げた。
(ありがとう、姉さん。 皆さん)
俺は十歳の時、不治の病を発症し、ずっと病院と家の往復だった。
(やっぱり……だめだったな)
まともに学校にも行けぬまま、俺、貫井健治は二十歳でその鼓動を止めた。
(さて、これからどうすればいいんだろう)
見ているのがつらいほど湿っぽい部屋を出ようと思ったら、すんなり壁を通り抜けてしまった。
外は眩しかったが、気持ちは重い。
入院中、時々日向ぼっこをしていた中庭の隅のベンチにぼんやりと座る。
ふいに花壇が目に留まり、誰かが手入れしている花々の中に不思議な赤い花を見つける。
(なんだろう、すごく変な感じ)
数歩近寄ってみる。
ああ、自分の足で歩いている感じはない。 なんだか思っている場所にすーっと移動するという感じだ。
その花をじっと見ていると身体がぐいっと引っ張られる感じがした。
(えっ?)
あっという間に俺はその花に引き込まれた。
◆◇◆◇◆◇
はっと気が付くと、 ほんのりと明るい光沢のある黒く固い床と壁に囲まれていた。
とはいっても、めちゃくちゃ広いんだけど。
まるで宇宙か、夜空の中に浮かんでいるような感じがした。
「え?、え?」
キョロキョロと周りを見回す。
ここは一体どこなんだ。
ハッとひとつの可能性に気づく。
俺だって一応男子だ。 同年代の友達の間で流行っているものは知っている。
病院は暇だから、いろんな本も読んでいた。
アリエナイと思いながらも、もしかしたら、なんて考えたこともある。
ここがその世界なら美しい女神がいるはずだ。
「……えっと、神様?」
しかし、そこにいたのは、自分の着ている服さえ重そうな、腰の曲がった小さなお婆さんだった。
突然、自分の足元が光り、魔法陣のようなものが浮かび上がる。
その色はまるで血のように赤い。
「ひっ」
不吉な色に俺は当然逃げようとするが、身体は動かない。
俺はすぐに魔法陣の光に包まれる。
「いやいや、わたしゃ神などではないよ」
初めてお婆さんの声が聞こえた。 今のは俺の魂を安定させるものだったらしい。
ひょっひょっひょ、と笑う声はしわがれている。
漫画の魔法使いが持っているような背丈ほどの高さの杖に縋るように立っていたが、その背丈は子供のように低い。
「ようこそ、ケンジ殿。 突然、お呼び立てして申し訳ない」
混乱している俺が落ち着くのを待ってくれた。
そしてゆっくりと俺を呼んだ理由を話し出す。
「わたしゃ、ある方に仕えておってな。 その方を助けて欲しいのじゃ」
「え、俺がですか?」
そのお婆さんは、見た目通り魔術師だった。
ある国の宮廷魔術師という職に就いており、その国の王子が病気なのだそうだ。
その王子に一番近い魂を、この空間でずっと探していたらしい。
俺を引き付けたあの赤い花がそのアンテナのような役割をしていたと聞かされる。
そんなこと言われても俺には病気など治せないと思う。
なのに、そのお婆さんは低い腰をもっと低くして俺に縋るように懇願する。
「お前様さえいれば、何とかなるのじゃ」
「ええええ」
その必死な姿に俺はだんだん申し訳なくなってしまう。
「まあ、どうせ死んだ身だし、何かの役に立つのなら」
今まで世話になった家族には何も返せなかった。 その後悔が俺の中できしきしと鳴いていたのは事実だ。
「おお、そうか。 ありがたい」
俺の返事を聞いたとたん、今にも崩れ落ちそうになっていたお婆さんの身体がしゃんとした。
「これをもってお行き。 それと、わたしゃ長くここに居過ぎて、もう出られない。
王子によろしゅう伝えておくれ」
少ない言葉を交わす。
何もない、ふたりだけの暗い空間に巨大な魔法陣が浮かびあがり、俺はその光に包まれた。
◆◇◆◇◆◇
目が覚めると、そこは知らない部屋だった。
「〇〇〇〇〇〇?」(ケ、ケイネスティ殿下?)
ベッドの側にいた若い女性が、俺を見て驚いた顔をした。何かしゃべっているけど言葉が全く解らない。
「あ、あの」
「〇〇〇〇〇〇」(ひ、ひぇえええ)
怯えた顔をした彼女が部屋を逃げるように出て行くのを、俺はただポカンと見ていた。
そこは何だか古い洋風の室内で、大きな窓の外は美しい庭が広がっていた。
「ここはどこなんだろう」
俺は身体を起こし、ベッドを降りて周りを見回した。
あの魔術師のお婆さんの言葉を思い出す。
「王子様に仕えてるって言ってたな」
そこで初めて俺はガラス窓に映った自分の身体を見る。
十歳くらいの男の子だ。
ゆるい巻き毛の金髪で緑眼の、ファンタジー世界の王子そのものだった。
しかしその身体は細く、見るからにガリガリである。
「病気、だったんだっけ」
俺は以前の自分の姿を思い出す。
自分自身の身体もこの男の子の状態に近かった。
バタバタと足音がして、数人の大人が部屋になだれ込んで来た。
ベッドから降りている俺を見て驚く。
「〇〇〇〇〇〇!」(殿下、ケイネスティ殿下が生き返った!)
医者なのだろうか、清潔そうな服装の年老いた男性が叫ぶ。
「〇〇〇〇〇〇」(そんな、まさか)
周りを囲まれ、手や足を引っ張られ、顔を触られ、服まで脱がされそうになる。
「ちょ、ちょっと止めてください」
俺以外の全員がギョっとした顔になった。
「〇〇〇〇〇〇」(で、殿下がしゃべったー)
何故彼らが驚いているのか分からず、俺はただ困った顔をしていた。
「〇〇〇〇〇〇」(とにかく、殿下はお疲れのようだ。皆、一旦外に出よう)
一番年上の老人の言葉に全員が部屋を出て行くと、俺はふぅと息を吐き、ベッドに上がって横になった。
「何なんだ、いったい」
やはり体力がない身体なのだろう。
俺はすぐに眠ってしまった。
◆◇◆◇◆◇
寝ているのか起きているのかも分からない。
気が付くと、何もない空間にただぼんやりと座り込んでいた。
ふと視線を感じて振り返る。
「誰だ」
少し離れたところに、子供がぐったりとした様子で座っている。
「あなたこそ、誰ですか?」
顔を上げた子供の声は、弱々しいがその瞳は決して弱くはない。 キッとこちらを睨んでいる。
「あ、もしかして」
俺は気が付いた。 その子供の姿は、先ほど自分が見たガラスに映っていた。
「王子様?」
金髪緑眼の子供が驚いた顔をしている。 間違いなく王子のようだ。
「あー、心配しないで。 敵じゃないよ」
きっとここは王子の夢の中か、心の中だ。 自分たちは今、繋がっている。
俺は、大雑把にここへ来た理由を話した。
「その魔術師は宮廷魔術師だと言ったのだな」
「ああ、背の小っさい婆さんだったけどね」
「そうか」
王子は顔を逸らした。
「すまなかった」
「いえいえ」
俺は自分の年齢の半分しかないこの子供が、それでもしっかりと自分に王子として対応していることに感心した。
だが、その眼に涙が浮かんでいるのが見えた。
「お、おい。 どうしたんだ」
「その魔術師はずっと行方不明だったのだ。 そうか、私のためにそんなことをしていたのだな」
「へっ」
俺は、そういえば魔術師のお婆さんは「ずっと探していた」と言っていた事を思い出す。
おそらくこんな風に身体に入れる者は限られているんだろう。
相性というか、拒絶しない相手を探して異世界まで来ていた。 たいした婆さんだ。
「なあ。 俺はここに来てしまって後戻り出来ない。 もし俺に出来ることがあるなら手伝うよ」
王子は少し口の端を歪めて笑った。
「あなたの好きにすればいい」
相手は子供だ。 俺はムッとする気持ちを抑えた。
「ああ、好きにやらせてもらうさ」
魔術師のお婆さんから渡された一枚の紙を取り出す。
「確か、こうやるんだよな」
ブツブツと呟きながら、その座布団サイズの紙を足元に置き、その上に乗った。
<王子に出会ったならば、この魔法陣の上に乗り、発動と祈れ>
婆さん、これでいいのかい?。
「発動」
目の前が真っ白になった。