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七.経る時

ゴールデンウィークの最終日、私は駅の改札口で紺野ちゃんを待った。

紺野ちゃんは大きめのリュックを背負っていて、すぐに見つけられた。

彼女は身長が150 cmくらいと小柄で、でも服装はかわいい色や柄が入ったものを好んで着ていたので、会社にいたときもそれなりに目をひいた。

私の身長は161 cmあり、基本的には無地でシンプルなデザインの服を選んで着ていた。

紺野ちゃんとは外見や服の好みは全く違っていたが、職場の同僚の中では一番仲が良かった。

私は会社に大卒で入ったが、紺野ちゃんは高等専門学校を卒業してすぐに入社したので、同期ではあるが、年齢は私の方が二つ上だった。

それでも私たちは互いに敬語を使わず、それが心地よかった。

紺野ちゃんは私と視線が合うと、笑顔で駆け寄ってきた。

紺野ちゃんは童顔だったが、世話焼きなところや涙もろいところは、どこかお母さんのようだと私は思っていた。

紺野ちゃんは私の手を握って言った。


「ほっかちゃん、久しぶり」


紺野ちゃんは本当にお母さんみたいだと思った私は、笑顔で返した。


「連絡くれてありがとう。会えて嬉しい」


私はそう言うと、紺野ちゃんを駅の出口に案内した。

私が蒼汰に友人と鳴子温泉に行くことを話すと、蒼汰は私たちを宿まで車で送ってくれると言ったのだ。

紺野ちゃんも了承してくれたので、私は蒼汰の申し出をありがたく受けた。

蒼汰は車を駅のロータリーに停車し、車の外に出て私たちを出迎えた。


***


蒼汰は姉の私から見ても、もの柔らかな好青年だった。

紺野ちゃんと蒼汰は初対面だったが、移動する車内での会話は弾んだ。

紺野ちゃんは三人姉弟の中間子だと知っていたが、紺野ちゃんの弟は蒼汰と同じ年だと分かった。

しかも、紺野ちゃんの弟はすでに結婚して、子供もいると言った。

紺野ちゃんの話を聞いた蒼汰は、苦笑いをして言った。


「俺の友達でも結婚している奴はいますけど、まだ独身の方が多いから、結婚とかあんまり意識していなくて。

でも同学年で子供もいると聞くと、どきっとしますね」


すると、紺野ちゃんは笑いながら言った。


「私なんて、弟に先を越されているのよ?」


すると蒼汰も笑いながら返した。


「そっか。なんて、ごめんなさい」


車内は終始そんな感じで、楽しい雰囲気だった。

私たちは、鳴子に行く道中にあった『道の駅』で昼食をとり、温泉地を一旦通過して間欠泉を見て、鳴子峡で電車が通過するのを見て、こけしの販売店をめぐり、宿に着いた。


私と紺野ちゃんは宿に入ると、部屋の窓を開けて温泉街を眺めた。

鳴子温泉の温泉街は、こぢんまりとしてレトロな雰囲気だった。

宿の隣の建物の隙間から、白黒模様の猫が足早に出てきて道を横切った。

私は猫の姿をなんとなく目で追った。

紺野ちゃんは私の隣で、鳴子に来たのは初めてだと言った。


「温泉街って、道が狭いところが多い気がする」


紺野ちゃんはゴールデンウィークの間は、お姉さんがいる盛岡で観光をしていたと言った。


「お姉ちゃんのダンナさんが盛岡に転勤になって、泊まるところができたから、色々と見てきたの。

石割桜っていう、岩から桜の木が生えているのがあるのだけど、花がちょうど見頃だった。

盛岡から秋田方面に向かったところに鶯宿おうしゅく温泉おんせんっていう温泉街があって、そこもレトロな雰囲気で良かったよ。

せっかくの機会だからって思って三陸沿岸にも行ったけど、盛岡から一番近い沿岸の宮古みやこですら100 kmも離れているって知って、びっくりしちゃった。

さっき見た新幹線車内のサービス誌に『東京から群馬までおよそ100 kmです』って書いてあるのを見て、さらにびっくりした」


私は苦笑いをしながら言った。


「岩手は本州で一番広い県だからね。

私が今住んでいる市は、東西に長くて80 kmもあるよ。

『平成の大合併』で合併したからみたいだけど。

気になって調べたら、面積は東京二十三区の1.2倍もあるの」

「へぇ、人口は?」

「それは・・・東京と比べられても、ねぇ」


私が言葉を濁すと、なぜか可笑しくなって、二人で笑った。

私は窓を閉めると、お茶を入れて一口飲んだ。

紺野ちゃんは私の向かい側に座った。

そして真顔になって、私をまっすぐに見て言った。


「黄楊さんに、ほっかちゃんのことを話してごめん。

あと、黄楊さんと二人でご飯に行ったの。ごめんね」


突然の告白に、私はとっさに返すことができなかった。

それでも、悲しそうな表情になった紺野ちゃんを見ているのが辛くなり、私は慌てて言った。


「私の方こそ。私の事で、紺野ちゃんに負担をかけてごめんね。

黄楊さんは口達者だから、紺野ちゃんを言いくるめたのだと思う。

それに、私は黄楊さんが誰とご飯に行っても、とやかく言う理由はないし。

紺野ちゃんが黄楊さんとつきあったとしても・・・」


私が言っている途中で、紺野ちゃんは首を横に振った。


「黄楊さんの仕事ぶりは尊敬しているけれど、恋愛感情はないよ」


紺野ちゃんはきっぱりと言った後で、おずおずと言い直した。


「でもね、ほっかちゃんに戻ってきてほしいのは、黄楊さんと一致している。

これから産休と育児休暇を取る人が増えて、職場の人手が足りなくなるの。

即戦力が欲しいから、新卒じゃなくて中途を募集する計画があるって・・・これは黄楊さんがリークしてくれたから、上の人に採用の状況を聞いた。

ほっかちゃんは仕事が嫌で辞めた訳じゃないことはみんなが知っているから・・・ほっかちゃんに復職の気持ちがあるなら応募して欲しい、って」


自己都合で辞めた私を、職場の人が誘ってくれるのはありがたかった。

でも、私は言葉を返すことができなかった。

しばらくして、紺野ちゃんは言った。


「ほっかちゃんはしっかりしているから、自分のことをちゃんと自分自身で考えて決めているんだろうな、って思う。

でも、決める前に他の人の相談・・ていうか、意見を聞いてもいいと思うの。

違う視点の意見を聞いて、それから決めてもいいと思う」


私は紺野ちゃんの話の意図がよく分からなかった。

紺野ちゃんは続けて言った。


「病気療養のために会社を辞めたのは分かる。

でも治ったら、生きるためのお金が必要じゃない?

私はほっかちゃんの病気が治るのを願っていたし、治るって信じていた。

ほっかちゃんは、治療と仕事の両立が難しかったのかもしれないけれど、もし仕事に未練があるのならば、職場の人ともっと話をすれば、解決の方法があったかもしれない」


紺野ちゃんは一旦言葉を切って、言い直した。


「私の弟は、小児がんで右腕を切除しているの。

でも弟は大学まで行って、銀行に就職して、中学の時の同級生とあっさりと結婚して子供もいる。

それに対して、お姉ちゃんと私は『自分たちもがんになるのではないか?』ってすごく悩んだ。

お姉ちゃんは三十歳になってようやく決心して結婚したけれど、私はまだ家庭とか、持つ気持ちになれない。

だから・・・ほっかちゃんとは状況が違うかもしれないけれど、病気で不安になる気持ちはわかる。

でもこれからは、病気になっても長く生きられるようになるよ。

だから病気になっても、これまで通りの生活を送ることを考えていいと思う。自分も会社も努力する必要はあると思うけど。病気になる可能性は、誰にでもあるのだから」


紺野ちゃんの言葉は、私の胸にしみた。

それでも涙が出なかったのは、紺野ちゃんの言葉はとても冷静で、私を前向きな気持ちにさせたからだった。

私は紺野ちゃんに言った。


「ありがとう。これからの事を、ちゃんと考える」

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